理系のじじいリケジイのブログ

リケジイがアッチコッチ行ったことや蝶や料理の話です。

やーめた

2013-09-30 23:28:32 | 日記
ほんとだったら今頃この病室723号室に入院してるところだったんだ。肝心なことなーも知らされてなくて話が違う。ナースセンターでこちらから聞いて初めて説明された。
エーッ?そんなん聞いてないよ。ならもういい!!入院キャンセルだ!!
と、帰って来ました。ヤッパ家のベッドが一番いいなぁ。

はい、まいどー

2013-09-29 08:55:45 | 日記
今日は日曜日だから、いつものように朝5時半に起きて日進市蟹甲の産直朝市に行ってきました。このところの日照り続きで大した物は売ってませんが、一番売れてないおばさんのブースでこんなところです。小池おばあちゃんのブースでいつものアマランサスをいつもの特別価格で
買ったら、さらにオカノリを一袋サービスしてくれました。人気の萩野おばさんのブースは、もうほとんど完売状態。はい、はい、まいどー。

台湾の川中島

2013-09-27 14:29:17 | 旅行
台湾南投県に川中島というがあります。本当の地名は清流といいます。ここは日本統治時代に、抗日の霧社事件を起こして投降した、セデック族の人々を収容したところです。旧日本軍は、これらの人々と対立しているの人を使って、ここを襲わせたのです。結果は第二の霧社事件といわれるほど悲惨なものでした。このように日本政府の同化政策によって、あの痛ましい霧社事件が起きた小学校でも事件が起きる前には、このようなあどけないセデックの少女たちが日の丸を掲揚していたのです。この写真は川中島の余生記念館に展示してありました。余生記念碑はかつて川中島神社があった所に建てられています。ここに住むセデック族末裔の人々は、あんなにひどいことをした日本人を、さぞ恨んでおられるだろうと覚悟して行きました。ところが全く逆で、村人はとても親切で、大歓迎をされました。バスを待つ我々に椅子を用意して、一緒に飲もうと言ってくれるのです。
帰りにはこのようなセデック族の衣装を着けた熊の縫いぐるみをお土産にもらいました。これには大感激でした。お礼に5ヵ月後の8月に再度ここを訪れることになりました。そのことはまた次の機会に報告します。

セデック・バレ(賽克·巴莱 /Seediq Bale、「真の人」の意)

2013-09-25 02:06:23 | 旅行
昔、と言っても昭和のはじめ、台湾は日本の統治下にありました。その頃さまざまな軋轢から、原住民セデック族の人々が一斉蜂起し、日本人を皆殺しにした霧社事件が起きました。私はその事件を描いた映画セデックバレをDVDでみて、本当に悲しくなりました。犠牲者は日本人だけにとどまらず、旧日本軍は蜂起したセデックの人々に対して全くひどい報復をして鎮圧をしました。この事件の犠牲者の霊を慰めるため今年の3月末、台湾の霧社と川中島(清流)へ行ってきました。霧社事件記念公園の門です。この奥にモナルダオ頭目像と立派なお墓があります。
事件のリーダー、モナルダオ頭目の銅像です。花を手向けて冥福を祈りました。原住民の人々の抗日運動像です。ここにも犠牲者が眠ると言われているから、おまいりしてきました。モナルダオ頭目の住居のレプリカです。
日本人犠牲者の記念碑や墓は戦後、蒋介石総統によって取り壊され、この石のテーブルの下にご遺骨があるとわれていますが、おまいりする事すら禁じられていたそうです。私はここに手を合わせ、翌日は 旧日本軍の陰謀とされている第二の霧社事件が起きた川中島というところにもおまいりにいきました。そのことはまた別の機会にブログアップします。


蟹甲朝市

2013-09-22 09:22:22 | 日記
名古屋市近郊日進市の蟹甲で、毎週日曜日の早朝朝市が立ちます。地元の農家のおばさんが取れ立て野菜を売りに来ています。こんな風に農協の駐車場でやっています。
私のお目当ては写真右上の野菜、アマランサスといってハゲイトウみたいなやつです。アントシアン系の色素をたっぷり含んでいて、白いキノコといっしょに茹でてゴマ和えにするととてもきれいな紫色になります。