goo blog サービス終了のお知らせ 

SIDEWALK TALK

This website is brought to you by KIRIBAKO.NET

銀の月

2022-09-03 09:59:22 | 日記・エッセイ・コラム
Letterひさしぶりにマキ姐さんとサシで飲んだ。
あいかわらず男勝りというか、
彼女自身「わたしは男だよ」と嘯いていた。


若いころ、姐さんの実家に大勢で押しかけて、
よく鍋パをしていた。
母君がまだご健在で、コロッケをつくって、
僕らを温かく迎えてくれていた。


「ひさしぶりに家に遊びにお出でよ」
と、姐さんから誘いを受けた。
で、中秋の名月にかこつけて、
観月会を開くことにした。


即断即決即実行が信条の姐さん。
その場から電話をかけて、
メンバーをあっという間に決めてしまった。
銀の月に照らされながら、
気のおけない仲間と飲む酒は格別だろうな。


いつものことながら、
やぶいたり、壊したり、ひっくり返したりして、
世界中にジャンプしてる姐さん。
かなわんなー!

ニューヨーク物語

2022-08-23 11:38:44 | 日記・エッセイ・コラム
Letter小中時代の同級生から突然連絡があった。
彼女とは、中学卒業以来、
会ったことはおろか、
連絡を取り合ったことさえない。
亡妻にお線香をあげに来宅してくれるというのだ。


彼女は30代半ばでご主人を亡くし、
その後、単身渡米した。
そして今は、NYに居を構えるニューヨーカー。
かっこええなー!


僕は知らなかったんだけど、
渡米前の中津時代、
彼女は亡妻と親交があったらしい。
それで今回の帰国にあたって、
お参りを思いついてくれた。


ガキの時分、特に親しかったわけじゃないけど、
そこは幼なじみ、
40年の時空を超えて、楽しい時間を過ごせた。
20年以上前に亡妻が彼女に宛てて書いた
葉書を持参してくれたのはうれしかった。


彼女はウイスキーをお土産にくれた。
NY生まれのクラフトバーボン「ウィドウジェーン」で、
「WIDOW」という単語が入った銘柄を選んだのは、
彼女一流のジョークだったんだろうか?

女傑

2022-08-04 14:30:58 | 日記・エッセイ・コラム
Letterジェンダーレス社会なんていう
ややこしい社会になりつつある現代、
「女傑」なんていう言葉は時代錯誤なんだろう。


けれど、僕の幼なじみには、
女傑としか例えようのない同級生が複数人いる。
彼女たちは、気性がはっきりしていて気分屋でなく、
知恵に優れていて、行動力があり活発で、
すぐれた意志力と実行力がある。


加えて彼女らに共通している美点は、
あっけらかんとお酒が飲めること。
アマゾネスたちは夜の街でも男勝りなのである。

りえちゃん

2022-07-25 10:45:49 | 日記・エッセイ・コラム
Pajamas幼なじみのりえちゃんとお酒を飲んだのは、
今回が初めてだったと思う。
3年前、妻が亡くなったとき、
やはり幼なじみのミートと一緒に
拙宅にお線香をあげにきてくれた。
約40年ぶりの邂逅だった。


今回、そのりえちゃんが帰省するというので、
コロナ禍をつんざいて、
幼なじみ5人で食事をした。
僕んち近くのちゃんこ屋さんで食事したあと、
二次会はウチにきて、
12時ごろまで楽しいときを過ごした。


りえちゃんは、退職後、長野県松本に行きたいという。
とりあえず1ヶ月ほど滞在したいというのだ。
当の本人は松本に行ったことはなく、
彼女の空想の中で彼の地がシャングリラに昇華されている。


ちょうどメンバーの中に信州大学出身のヤツがいて、
彼の松本経験をりえちゃんに語ってくれた。
りえちゃんは、ますます松本への思慕を募らせていた。


りえちゃんは、松本行きに加えて、
富士山(or 八面山)登山やその他もろもろ企んでいる節がある。
年を重ねても、少女時代そのままの
瑞々しいときめきを胸に秘めている女の子なのである。

宇宙の秩序

2022-07-13 11:46:47 | 日記・エッセイ・コラム
Pajamas無粋な輩だから
花を愛でる習慣はないのだけど、
敢えて好きな花をあげるとすれば、
それはコスモス。


wikiってみると、
語源「コスモス」はギリシャ語の「宇宙」の「秩序」を意味し、
「コスモス」とはラテン語で星座の世界、
秩序をもつ完結した世界体系としての宇宙の事とある。


メキシコにいたスペイン出身の聖職者が
中南米原産のコスモスをみて、
花びらが整然とバランスよく並んでいることに、
ギリシャ語の「調和」と名付けたらしい。


土手の叢中に点々と灯をともしたように咲いているコスモスが、
どういう花より好きです。
人生で、小庭に、
わが手で植えた花といえばコスモスだけだ。


次に好きなのは、ラベンダーで、
他については、
花より青い枝葉の方を好んでいる。

あっけらかんとお酒が飲める女性は美しい。

2022-07-07 14:19:57 | 日記・エッセイ・コラム
Pajamas名古屋に幼なじみが住んでいる。
盛って言わせてもらえば、
彼女は杉浦友紀アナウンサーに似ている。
昨夜、連絡があって、
8月下旬、名古屋で一杯やることになった。


どういうわけか?
ガキのころから、彼女がどうも苦手で、
人的プレッシャーを感じていた。
彼女の秀麗な容姿、明晰な頭脳、
そして親分肌な気質に気圧されていたんだろう。


50歳を過ぎてひさしぶりに再会し、
(失礼ながら)ビビってたことを伝えた。
すると、不思議とその呪縛が解けてしまった。
以来、年イチくらいで食事するようになった。


気が合うなと感じたのは、デザートが出たとき、
彼女は珈琲じゃなくワインをたのんだ。
僕も食後にお茶する習慣はないから追随した。
あっけらかんとお酒が飲める女性は美しい。


彼女は毎年、亡妻の命日に供花を贈ってくれる。
そのお礼を兼ねてご馳走したい。
今回は和食のお店にいって、日本酒を交わそうと思う。
ここんとこ名古屋はたいへんな猛暑のようだけど、
そのころは少しはマシになってるんだろうか?

三年 – Time goes by –

2022-02-20 11:19:08 | 日記・エッセイ・コラム
Pajamas2月20日。
亡妻の命日。
今年で3回目になる。


去年も一昨年も、気の置けない友達が、
一人でいるとろくなことにならないと、
家から連れだしてくれた。
ありがたいことに、今年もお誘いがきた。


お誘いといっても、昼酒をかっ喰らうだけである。
しかも3年連続、焼肉屋さん。
命日に焼き肉とは・・・
ま、これは鄙陋な僕を慮ってことだろう。


毎年、彼女の友人たちが、お参りに来宅してくれる
毎年、名古屋の幼なじみが、供花を贈ってくれる。
毎年、社員さんたちが、お悔やみを伝えてくれる。
毎年、有象無象たちと昼酒をかっ喰らう。
感謝しかない。

パジャマの休日

2021-06-02 09:44:02 | 日記・エッセイ・コラム
Pajamasコロナ禍の昨今、
帰宅後の手洗いとうがいの励行が求められている。
僕は、斜め上をいって、帰宅後すぐに入浴する。
きれい好きというのではなく、
ただ単に若いころからの習慣なんだよね。


僕は断然パジャマ派。
けれど入浴後はパジャマを着ずに、
部屋着で過ごす。
パジャマを着るのは、あくまでもベッドの中だけなのだ。


むかし、ある女性シンガーソングライターの曲に
「パジャマの休日」という佳曲があった。
リリックは失念したが、
パジャマ姿でリラックスして休日を過ごす
という内容の洒落た曲だったと思う。


寝るときだけパジャマの僕は、
休日をパジャマ姿でお洒落に過ごすことはない。
昭和40年男からみれば、
パジャマの休日はだらしない休日に思えるのである。


とはいえ僕の休日は、日がな一日、
部屋着で飲んだくれてるんだから、
僕の方がだらしないことは言を俟たない。

キャンディ キャンディ

2021-05-26 15:59:08 | 日記・エッセイ・コラム
BULMUDA the Lantern姪っ子が二人いる。
22歳と二十歳のふたり姉妹。
自分で言うのもおこがましいが、
僕は彼女たちに好かれている。


しかし、それは当然こと。
小っちゃなころから、遊んでやったり、
食事に連れていったり。
もちろん叱ったことはない。
会えばお小遣いをくれてやる。
嫌われる道理がないのである。


お姉ちゃんが大学を卒業し、
この春から家電店に勤めだした。
伯父様として、必要ないんだけど、
とりあえずバルミューダのランタンを買ってみた。


姪っ子たちは、僕のことをタメ口で、
「だいちゃん」と呼び捨てにする。
その都度、僕は「ウイリアム大伯父様」と呼ぶように
注意してきた。
それがめんどくさいときは、
百歩譲って「アルバート」でもいいと言ってる。

(わかるヤツだけわかればいい)

僕の限界

2021-05-21 10:07:20 | 日記・エッセイ・コラム
河井継之助のことば陽明学は酒精分の強い体系なんだろうか?
地位も学問もある人が、
成功(勝利)が絶望的なのに反乱を起こす。
大塩平八郎然り。河井継之助然り。


王陽明は、知識と行動が一体のものだと提唱。
行動をともなわない学問や思想は空理空論であり、
知識に裏打ちされてない行動は彷徨でしかない。
行動を通じて真理を求める「知行合一」を説いた。


(僕は見てないが)大河ドラマ主人公の渋沢栄一、
幕末の志士では西郷隆盛、吉田松陰、高杉晋作、
軍人では広瀬武夫、東郷平八郎も陽明学の徒らしい。
上杉鷹山や二宮尊徳、三島由紀夫もそうだという。


僕は若いころ、陽明学の徒になりたいと夢想していた。
しかし心の片隅で、
陽明学思想に大きく傾斜することは商売にいい影響はない
というエンジンブレーキもかかっていた。
このあたりの中途半端さが僕の限界で、
事を成すような人間になれない所以なんだよな。