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SIDEWALK TALK

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駆けぬけてゆくもの

2022-07-12 09:49:39 | 佐野元春
Pajamas仕事の環境が変わり、
午前中に時間が取れるようになった。
というか、暇になった。
それで、しばらくサボっていたブログを
やってみようという気になった。
さて、前回につづき、佐野元春のことである。


佐野元春という人にライヴで接したり、
作品を聴いたりするとき、
ときどき阿羅漢のようだと思ってしまう。


無明長夜という山坂を懸命に駆けつづけている阿羅漢というのは、
当然ながら、
虚空の中の絶対光明の世界へ出ようとしている。
その野に出れば、
舞い散る落ち葉も光明であり、
落ちている石ころも光明である。


僕は、古代インドの心のままのこの阿羅漢が、
絶えず目の前を駈けぬけていくのを、
あらゆる佐野作品に見るのである。


新作『今、何処』を聴いて、
佐野さんに対する雑感を
少し気取って
しかつめらしく書いてみた。

『今、何処』に寄せて

2022-07-11 10:44:15 | 佐野元春
Pajamas佐野元春 & The Coyote Band の新作
『今、何処 (Where Are You Now)』がリリースされた。
数回、通しで聴いてみた。
ぼやっとした印象だけど、
イーグルスとデヴィッド・ボウイのミクスチャーと感じた。
むろん、佐野さんとバンドにそんな意図は毛頭ない。


誇りといえば自慢めかしいが、
なにがなくなっても、
あるいはすべてをうしなっても、
ロックンロールだけ残れば、
僕は立って歩くことができる。


佐野さんの音楽はいうまでもなく、
その言語とその感受性とその思考法の、
みがかれた集成である。


僕は10代の多感なころに佐野音楽に出逢った。
最初の拠りどころであるだけでなく、
たとえ人生の途上で置き忘れようとも、
終の棲家であることにはかわりがない。

『或る秋の日』を聴いて

2019-10-16 10:05:18 | 佐野元春
A Long Time佐野作品はつねづね名匠の境域を感じさせる。
『或る秋の日』にも、華やぎと情趣があって、
重心にゆらぎがなく、
しかも細部にまで心配りがゆきとどいている。


会話の感じがいい。
日本語ロック(死語?)の歴史がふまえられていて、
しかも晦渋せず、
一語も耳になじまないということがない。


佐野元春は、いまの世にいる。
だから、その個性はなまなかには理解されにくい。


自由でありすぎ、平等でありすぎ、
しかも世間には迷惑のかからぬようにして、
自分を架空の部屋に閉じこめている。
みずから檻に入った獅子のようなものである。


しかも野を駆ける夢を
自分で禁じているように見ようとはせず、
また夢死はしないものの、
酔生をよろこんでいる。


どうも、こんな境地は努力して得られたものじゃなく、
単に佐野さんの性分にちがいない。
僕は、佐野元春というミュージシャンを同時代に得たことに、
誰彼なしに感謝をしたい。

非考証・佐野元春 雨

2018-09-20 17:02:22 | 佐野元春
Rainロックンロールは、いうまでもなく、
アメリカ合衆国がおこりである。
アウトサイダーが胸中の鬱懐を展開するという、
それまでの世界の音楽のなかでも特異な分野である。


以下、佐野元春の胸中の世界にふれる。
とくに雨景が佐野さんの理想郷をあらわすうえで
別趣のものがあるのではないかという、
僕の勝手な思い込みを述べたい。


佐野さんの雨景には、高貴な単純さがある。
煙る雨のためにたださえ万物が瑣末さをうしなっている。
佐野さんは、さらに音を色面化することによって、
心中の雨の形象だけをうかびあがらせる。


近年の傑作に「新しい雨」という佳曲がある。
コンテンポラリーなロックンロールを基調とし、
世代間の濃淡が色彩以上の力をもって、
雨の情景を描いている。


佐野さんにも、嘆きがあると思う。
等しなみに衰えてゆくという、命の嘆きだ。
「新しい雨」は、雨が動詞になっているところがすばらしく、
動詞であればこそ流転(Rolling Stone)の轟きを感じさせる。


僕の世代、君の世代
さっきからずっと君は
ここで雨を待っている


心の弱ったときなど、
とくにこのリリックとメロディによって励ましをうける。
もちろん、元気なときもそうである。

この街の夏が過ぎてゆく

2015-07-25 09:36:18 | 佐野元春
Letter佐野元春の新作『BLOOD MOON』が届いた。
いつもなら踊躍歓喜して
すぐさまプレイヤーにセットするんだけど、
今作については僕にはある種の杞憂があった。
最近の佐野さんの政治的な発言や行動が、
少し気にかかっていたからだ。


けれど1曲目の「境界線」のイントロを聴いた時点で、
そのチンケな杞憂は吹き飛んでしまった。
コヨーテ・トリロジーの3作目(最終章?)に当たる今作は、
ひと言でいえば「夏のアルバム」だ。
ある夏の日、街のあちこちで起こった物語について歌っている。


分厚いダンサブルなバンドサウンドに
佐野さん流の社会に対するステートメントを乗せている。
陽気なビートに怒りを含んだリリックという矛盾を敢えて冒し、
その化学反応を楽しんでいるかのようでもある。


佐野元春は、諸事たしかな人である。
贅沢なことながら、以前、佐野さんの面晤を得たことがあり、
後日、お手紙も頂戴した。
ものの読み込みがたしかで、
権力の得たい知れなさを生命の仕組みように解きあかしつつも、
光るような心の優しさがとだえることがない。


社会(もしくは政治)への怒りが込められた今作だけど、
佐野さんは決してあきらめてしまったわけじゃない。
この人のもつ生来の陽気な性分が、
ネガティヴの迷宮に潜り込むことを阻んでいる。
今は息を潜めて、この街(国)の行く末を眺めている。

この街の夏が過ぎてゆく

夏草の誘い

2015-04-11 09:38:52 | 佐野元春
Letterヘルニアの治療(リハビリ)で朝ウォーキング。
今朝も、おととい聴いた余韻が脳裏に残っていて、
佐野元春のセルフカバー作品『月と専制君主』アルバムで、
口笛を吹きながら春の朝を歩いてゆく。


80年代、90年代の作品をアダルト・コンテンポラリーな解釈でリテイク。
円熟したプレイヤービリティーが、
オーガニックなサウンドと都会的な要素が絡まったような演奏を可能にしている。
もし10代の僕がこの作品を聴いたとしたら、ピンとこなかったかもしれない。


今回フィーチャーしたいのは「夏草の誘い」。
オリジナルは80年代にシングルとしてリリースされ、
後に『Café Bohemia』アルバムに収録された。
当時から邦題としてこの呼称はあったものの、
一般には「シーズン・イン・ザ・サン」として親しまれていた。


オリジナルはRomyとのデュエットが印象的なポップなダンス・チューンで、
僕は東京マンスリーでこの曲をオリジナル・アレンジで初めて聴いた。
時を経て、Plug & Play '02 ツアーではフォークロックの解釈での演奏を楽しんだ。
このセルフカバーでは、フォーキーなサウンドに仕立てられている。
演奏にホルンが複数採用されていて、
この楽曲がもともと備えている牧歌的なニュアンスがより強調された。


この曲を聴くと、僕にはあるシーンが頭の中に浮かぶ。
ある湖畔の木製ベンチに切なげな顔をしてたたずむ女の子。
彼女の笑顔、白いワンピース、ハートのイヤリング。
実体験そのものではないのだけど、鮮明な景色として80年代からあった。


ともかく「佐野元春と歩く日」散歩は、
僕が失いかけていた様々な記憶と切ない気持ちを思い出させてくれる。
いい習慣にしたい。
本来の目的は、筋力麻痺の回復ですが...

佐野元春と歩く日

2015-04-04 09:41:46 | 佐野元春
Letter先週、腰をやっちまった。
単なる腰痛かと思ってたんだけど、
痛みが腰からお尻へと移動。
ついには左足首まで痛みだした。
診察を受けると脊柱管狭窄症。
とりあえず手術は回避して、
投薬と運動リハビリでの治療となった。


左足の筋肉の一部が麻痺していて、
その回復ためにはある程度の運動が必要らしい。
10年ちかく続けてきたアーリーワーク、
ボート漕ぎは腰への負担が重いということでNG。
ということで、今朝からウォーキングをすることにした。


話は変わるが、僕はいわゆるウォークマン世代。
けれど移動中にイヤフォンを付けて音楽を聴くのは、
むかしからどうも苦手だった。
若いころ、好きなミュージシャンのアルバムは
オーディオの前で正座して聴いていた。
そんなガキだった。


今般、ウォーキングを開始するにあたり、
思い立ってスマホの音楽アプリを使ってみることにした。
とはいえ、なんせ今までまったく使ってなかったので、
メモリーにデータ保存してるのは佐野元春の『ZOOEY』アルバムのみ。
てことで、図らずも今朝は「佐野元春と歩く日」になった。


うん、楽しかった!
左足の麻痺が少しあるから歩き方は不格好だし、痛みも走る。
それでもアルバムを通しで聴く機会があまりなくなった昨今、
これはいい習慣になるんじゃないかな?
早速、佐野さんのアルバムを数作データ保存してみようと思う。

散歩しよう 風に寄りそって♪

「New Age」考

2014-07-26 13:02:41 | 佐野元春
Visitorsきのう苗場のロックフェスで、
佐野元春がアルバム『VISITORS』の再現ライヴをおこなった。
早いもので、今年がリリース30周年の節目にあたるらしい。
リリース直後は「戸惑い」と「称賛」に評価が二分されていたが、
僕はどちらかといえば「戸惑い」派だった。


戸惑っていた僕だけど、すんなり受け入れられた曲もあった。
「Visitors」「Sunday Morning Blue」
そして、今回考察してみる「New Age」だ。


この楽曲のテーマ(or モチーフ)は、何なのだろう?
僕はずっと疑問に思ってきた。
1980年代の米国で制作されたことから察して、
New Age Movement(ニューエイジ運動)の影響があるんじゃないだろうか?
と、ずっと独り合点していた。


この運動がいうところの「ニューエイジ」には、「新しい時代」の他に、
「新しい世界」「新しい思想」が含意されている。
「ヨハネの黙示録」にこの表現があり、
キリスト教徒の一部の宗派が採用している「千年思想」が背景にあると言われている。


教科書(神学)ふうにいうと、
神と悪魔の戦いが千年続き、最後に神が勝利して、
新しい世界(New Age)がやってくるというものだ。
基本的には、伝統的な教えの中から、古くて役に立たない教えを廃し、
真の意味での教えを明らかにしようという運動である。


New Age Movement について述べるとキリがないんだけど、
以下のように、功罪が相半ばしている。
ニューエイジは、ラディカルな社会運動と結びつきやすく、
環境運動やフェミニズムの進化に好影響を及ぼしたが、
反面、カルト宗教を生み出す素地になりやすいといったマイナス面がある。


僕は、佐野さんが New Age Movement について
コメントをしているのを聞いたことはない。
けど「New Age」は、この運動の影響を受けてつくられたような気がしていた。
New Age Movement は、60年代のカウンターカルチャーをその直接の起源とする。
当時のカウンターカルチャーだったヒップホップ・カルチャーの渦の中で、
佐野さんがこの運動を表現したのだと確信めいたものもあった。


けれど、この考察は僕の思い違いだった、
ファン誌「Café Bohemia」2014 夏 Vol.134 に、
「New Age」について佐野さん自身の言葉で述べられている記事が載っていた。


憂鬱か甘美か一言では言えない複雑な未来に思いを馳せて作った曲


詳細はここでは触れないが、僕のひねくれた考察とは真逆の
もっとロマンティックな衝動で書かれた曲だということがわかった。
長年の澱が落ちたような感覚があって、
僕は今まで以上に「New Age」という曲が好きになった。

A's Gift

2013-12-04 09:41:25 | 佐野元春
Somedayことさらに大仰に言えば、
僕の人生の僥倖のひとつは、
多感なころ、16歳のとき、
佐野元春のアルバム『SOMEDAY』に
リアルタイムで出逢えたことである。
若くて粗野でロック音楽の知識もろくになかったけれど、
魂を鷲づかみにされたような感覚は、
いまでも鮮明に覚えている。


今般、M-ON!で「名盤ライブ」という企画がスタート。
往年の名盤をアルバムの曲順どおり、当時のアレンジで全曲再現する。
その第1弾に『SOMEDAY』が選ばれた。
東京と大阪でそれぞれ2公演ずつおこなわれたのだけど、
残念ながら僕は参加できなかった。


名盤ライブの参加者には、引き出物的なグッズが配られたらしい。
アルバム制作のエピソードについて、
当時の関係者の証言や未公開資料どをまとめたDVD映像とブックレット。
まさにファン垂涎もののアイテムだ。


正直、気にかけてもなかったのだけど、
ある日突然、僕の肩に天使が舞い降りた。
この名盤ライブに複数回参加したファン友だち(ジャスミンガール)が、
僕にその引き出物?をプレゼントしてくれたのだ。
エンジェルからの贈りものは素晴らしく、
とくに吉野金次さんと佐野さんの対談には、
ガラにもなく何度もウルッときた。


人間の情熱の量などたかが知れたものだが、
ときに巨大な量を持って生まれざるをえなかった人がいる。
佐野元春が、その一人である。


佐野さんにおける生命の炎というべきものは、
もし彼がアーティストじゃなかったならば、不必要に多量すぎる。
佐野さんは幸いミュージシャンであったために、
その火に灼かれることなく生きつづけることができた。
アルバム『SOMEDAY』の制作はその火を包みこんで発光させた作業であり、
若い佐野元春の白炎のようなその気体が、
オブラートに包みきれることなしに、生の炎として噴きだしている。


映像を見ている間中、当時のメンタリティが瑞々しく甦り、
僕は何度もうなずいた。
僕は、佐野元春というミュージシャンを同時代に得たことに、
誰彼なしに感謝をしたい。

新しいクリスマスソング

2013-11-29 11:36:56 | 佐野元春
Motoharu_sano8佐野元春のクリスマスソングといえば、もちろん
「Christmas Time In Blue - 聖なる夜に口笛吹いて」である。
世間的にどういう評価を得てるかはさておき、
ファンの間ではクリスマス・スタンダードとして人気が高い。


僕が二十歳くらいのころにリリースされたと記憶してるが、
初めて耳にしたとき、「ズンチャカ♪ズンチャカ♪」という
レゲエ独特のリズムには意表を突かれた。
もちろんジャマイカにもサンタクロースはやってくるだろうけど、
レゲエ・ミュージックとクリスマスは僕の中では同心円状になかったからだ。
今ではすっかり耳になじんで、あの「ズンチャカ♪」がめちゃめちゃ心地いい。


さて、佐野さんが新しいクリスマスソングを書いた。
「みんなの願いかなう日まで」
早速、MWS特設サイトで90秒のプレビューを聴いてみた。


いきなりウクレレのイントロ。
またもや意表を突かれた。
まさか、今度はハワイアン・ミュージックか?
まぁハワイ音楽ではなかったけれど、いわゆるオーガニック系サウンド。
ピースフルな雰囲気は「Christmas Time In Blue」に通じるものがあるかな?


ひとつ残念なのは、iTunes限定販売ということ。
昔気質の僕としては、ディスクでの発売もしてほしかった。
やはりレコードとは、ジャケットやライナーなどのアートワークと一体なもの。
ましてやクリスマス・アイテムなら、尚更のことだと思う。


僕の例年のクリスマスは日常と何ら変わらない。
せいぜいチキンを食べるくらいのものだ。
今年は佐野さんの新しいクリスマスソングを聴きながら、
中津からあげで一杯。
もっともクリスマスにチキンを食べるのは、日本だけの奇習らしいけど...