
僕にゆかりのある人たち数人の月命日である。
大切な人たちの月命日が重なってしまったことに、
何か因縁めいたものを感じている。
この国の多くの人たちがそうであるように、
僕は、不信心で、無神論者である。
それでも朝晩、妻の遺影にお線香を上げるし、
月命日には特別な感慨が訪れる。
聞きかじりだけど、
禅語に『石上栽花後 生涯自是春』というのがある。
我流に訳せば、
石の上に花を栽(植)えることができれば、
その後の人生は春のように素晴らしい
と、いうことだろうか?
植物を石に植えることは、むろん不可能である。
けど、それにチャレンジするのが禅(仏教)で、
しかも、ごくごく希に
天才のみが植えてしまう(解脱する)ことがあるらしい。
もし植わってしまえば(解脱すれば)、
あとの生涯は春のように爽やかで幸せだという。
僕んちの宗旨は禅宗ではなく浄土真宗なんだけど、
宗祖 親鸞が唱えた『他力易行』も、
凡俗の僕には遙かな道のように思える。
修行もなにもせず、お念仏(弥陀への感謝)を唱えるだけで、
踊躍歓喜の心持ちになるなんて、想像すらできない。
物の本によると、
仏教のドグマは、一神教のそれとちがって、
「救済」じゃなく「解脱」を目的としているらしい。
解脱は何百万人か何千万人に一人の天才しか到達できない境地で、
凡庸で俗物な僕には無縁なものである。
それでも毎月20日には、仏教の礼式に則って、
ほんの少しだけ特別な気持ちでお線香を上げ、
花束を抱えて、西方浄土に思いをはせたい。

1年半ほど前から、低空飛行が続いていたから、
この日がくることはそれなりに覚悟していた。
けど、男子はみんなマザコンだから、
やっぱそれなりにはね・・・
実は、来月、法事を執りおこなうことにしていた。
父も妻も2月に亡くなったので、
父の十七回忌と妻の一周忌を兼ねての法事のつもりだった。
そのダブル法事に、思いがけず、
母の四十九日法要も重なってしまった。
これは僕の邪推なんだけど、
何事にも手回しの早い母だったから、
1度に法事が済むように気配りしてくれたんだろう。
不信心な僕は、正直いうと、法事なんてどうでもいい。
けれど、家長(と勝手に思ってる)の責任として、
できるだけしっかりと務めるつもりだ。
もちろんそれが見せかけであることは、
泉下の父も母も妻も見抜いているにちがいない。

気が置けない友だちと登山するつもりだった。
けれど、台風襲来で断念。
仕方なく、
いつもの潜水生活を決め込むことにした。
今朝、コンビニ帰りにポストをのぞくと、
なにやら小包が届いていた。
送り主を確かめると、ジャスミンガールからだった。
封を開けると、中には、
目黒寿安のCD、とあるキーホルダー、そして手紙。
望外のことで、胸のあたりがきしんだ音をたてた。
目黒寿安というミュージシャンは知らなかったんだけど、
彼女によると、ディランの影響を大きく受けているらしい。
なるほど、初期のディランのフォークを基調としながらも、
オルタナティヴなコンテンポラリー音楽が心地いい。
そして、ジャジーな要素も感じられた。
キーホルダーは、彼女と僕が好きな、
というより盲信してるアーティストのツアーグッズ。
これは、理屈抜きにうれしい。
とりわけ一番うれしかったのは、彼女の自筆の手紙だった。
僕は慈悲を待っていたのか?
B5サイズほどの便箋にびっしりと書き込まれた文字を、
僕はできるだけ平静を装って、ゆっくりと読みすすんだ。
She’s my Jasmine Girl
彼女が言うには、事実そうなんだけど、
僕らは人生で一度しか会ったことがない。
僕は彼女に「再会楽」とメッセージした。

アクセサリーの類いを身につけるのは嫌いだし、
「わが国にはどこに行っても時計くらいある」
と、嘯いていた。
それでも、常に1本くらいは所有していた。
海外に渡航するときや、
出張のときなどは身につけていた。
そのうち携帯電話をもつようになって、
ますます腕時計が縁遠いものになった。
これまで使っていたのは、14年ほど前、
JC卒業の際に先輩が贈ってくれたG-SHOCK。
ガンダムタイプのモデルで、気に入っていた。
その一張羅が、その頑丈なはずのG-SHOCKの
ガンダリウム合金の一部が知らないうちに剥がれ落ち、
サイコフレームがむき出しになってしまった。
(わかるやつだけわかればいい)
それで、四半世紀ぶりに腕時計を買うことにした。
普段しないといっても、1本ももってないのは便利が悪い。
時計に興味がないから、好きなブランドも欲しい時計もない。
でも、もういい歳だから、あんまショボいのもね。
スーツはほとんど着ないし、スーツのときは時計をしないから、
カジュアルなG-SHOCK(GWR-B1000-1A1JF)にしてみた。
頑丈で、電池交換が不要で、時刻合わせも自動。
つまり手がかからなくてお値打ちってのが、選んだ理由。
前述したように、
最後に自分で腕時計を買ったのは20代半ばだったかな?
先のことはわからないけど、
この時計、「終の棲家」ならぬ「終の時計」なると思う。

どこかに遊びに出かけるということがない。
生来の出不精だし、ひとり旅も苦手だしね。
ここんとこ、休日はもっぱら、
朝散歩、朝風呂、家飲み、家シネマの潜水生活。
そんな折、高校同級生の女子から同窓会に誘われた。
それも@Tokyo、関東同窓会。
この翌週も東京で遊興する予定だし、
お義父さんの一周忌法要のこともあり、
日程的に厳しいと思ってたんだけど、
いろいろクリアになって、参加することにした。
実は、ちょっと前、
同級生のLINEグループのトークルームに、
男子I君からもお誘いの書き込みがあった。
けど、なぜか煮え切らず、重い腰が上がらなかった。
しかし一転、女の子からのお誘いに手のひら返し。
われながら単純だと思うよ・・・

それを言いだした人は、楽天家であったか、
真実、絶望の恐ろしさを知っていた人たちだろう。
そのどちらであろうとも、
言葉というものは、多重性と曖昧さをもって、
真実を伝えることはない、といえる。
初盆、誕生日の朝、
お墓がある霊園までジョグ&ウォーク。
お盆のお墓参りは2日前に済ませてたんだけど、
やっぱね・・・
今朝、後輩のお花屋さんが、
自宅の祭壇の生花のメンテにきてくれた。
うん、綺麗になった!
昨日、斎場でおこなった初盆会。
250人ほどの人がお参りしてくれたんで、
初盆が終わった気になってたんだけど、
よくよく考えたら、今日からがお盆本チャンなんだよね。
夏の嵐が近づいてる。
その影響で、義父の初盆法要が延期になった。
僕にとっては朗報で、これでお参りすることができる。
初盆の待機中、無聊の慰みに、
文脈やテーマなど考えずに気ままに綴ってみた。

後輩の花屋さんに出かけて、2千円の花束を買っている。
いつも、「自宅用」ということと、
「20cmくらいの花瓶に生けるので短めに」とリクエストする。
最近は、みなまで言わなくても、
店の女の子も心得てくれてて、気分がいい。
むろん僕は、花を愛でるような高邁な精神は持ち合わせていない。
無聊を慰めに来宅してくれる友人たちのために、
せめてものおもてなしの気持ちを表したい。
そんな思いで、ガラにもないことをやっている。
昭和40年男だから、
最初は、花屋に入るのにも少し抵抗があった。
うだつの上がらないオッサンが、
毎週のように花を買って帰るのがどこか気恥ずかしかった。
いつまで続くかわからないけど、
一人暮らしの潜水生活に花を添える習慣にしたいな。