気の広場

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生きることは捨てること ・・・ 5.貪りと怒りを捨てる

2010-11-25 06:36:02 | Weblog
私たちは 多くの人びとから何かを与えられて生きています。


たがいに乞食しあってこそ生きていけます。

おれ一人で食べてゆける ・・・ それはウソです。



ですから 修行者といわず

人間すべて「貪(むさぼ)りと怒りを捨て」て生きよ
 
  ・・・ と釈尊は説かれているわけです。


貪りとは 独り占め 我欲 しがみつきです。

自分だけの幸せを求める心です。


そこからたがいに争いが起こり 怒りが燃えます。



「 乞食するものよ

  それは人間すべて そのように生きているのだ

  お前らは たがいに乞食しあって生活しているではないか。

  それを忘れてはならない。


  食を与えてくれる人

  衣服をくださる人

  そうした人間すべての恩恵にめぐりあって

  はじめて生きていける以上

    どうして貪りや怒りなどもてるのか。


  萎れたバッシカ草の花びらのように

    ・・・ 貪りと怒りを捨てなさい 」



釈尊は その捨て方にさらりとした 自然の姿を求め

自然な姿を求め 自己の新しい人間誕生のためにこそ

    ・・・ 捨てよ と教えるのです。


・・・ 味わい深い聖句(ことば)といえましょう。



* 2010.11  東ブータンで





生きることは捨てること ・・・ 4.自然の理に随う

2010-11-25 06:34:59 | Weblog
人間の身体は 要らないものを外へ排泄します。


捨て そして吸収するくり返しの止まるとき

  ・・・ そこに 死が訪れます。



生きることは 捨てることです。


青春を捨てて壮年の白秋を迎える。

  ・・・ それが自然の理に随うことでしょうね。


老いを平気でうけ入れ 青春と壮年を捨てる。

反抗せず 足をふりならすことなく

  自然界の一部として生きていくこと ・・・

それが バッシカ草の花びらの散るさまなのです。



釈尊は そこまで思索し

さらに 「乞食する者らよ」とよびかけます。


乞食とは比丘(びく)。

インドの修行者のことです。


僧は 家を去り
 
  町々を乞食し 托鉢して食をうる。



しかし この乞食は 私たちがすべての生きざまといえます。



萎(しお)れたる花びらを すておとす バツシカ草のごとく

乞食するものらよ かくのごとく むさぼりと怒りとをふりすてよ

                         (法句経)再掲



* 2010.11  東ブータンで