気の広場

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親子のきずな ・・・ 6.無我の教え

2010-11-22 19:18:22 | Weblog
歯が痛くても 白髪が増えても どうにもならんじゃないか。

飲みすぎるなと自分にいいきかせても 二日酔いしてるじゃないか。

「愛欲に溺れるな 苦しむぞ」と自分に警戒警報を鳴らしながらも

  情欲やバクチに溺れこんでゆくではないか。



自分のものなら もっと自在に扱ってみたらどうか。


空腹でなくとも 目が鼻が食欲をそそるこの不自由さを

  お前はなんとかできるのか。

眠っているとき 何回呼吸をしてやろうとあらかじめ計算して

  その通り息することができるか。


・・・ できはしまい。



「われはわれのものに非ず」

「己は己のものじゃない」

  ・・・ ここに 釈尊の「無我」の教えがあります。



仏教は どこにも「自分」とか 「我」という「実体」はない。

ただ「自分」というものを おたがいの頭の中でまとめているに過ぎない

  ・・・ という原理にたつ教えです。



* 東ブータンで





親子のきずな ・・・ 5.思い通りにならない自分

2010-11-22 18:12:49 | Weblog
財産や子どもが頼りにならないとしたら

  一体誰が頼りになるのでしょうか。

  この自分か。

  この肉体が 最後の足だまりか。



たしかに

子どもに捨てられようと 財産を奪われ喪(うしな)おうと

  この自分の身体さえあれば この腕一本あれば なんでもできる。

いざとなれば どんな荒仕事でもしてみよう。

  大丈夫だ ・・・ こんな気持になるでしょうね。



だが 釈尊は

「されど すでにわれはわれのものに非ず」 といわれています。


「さあ なんでもこい このオレのからだにぶつかってこい」と力む。

その身体も じつは自分のものではない ・・・ のです。


もし 自分のものならば

  自分の思う通り自由になるはずだ ・・・ と釈尊はいうのです。





* 東ブータンで





親子のきずな ・・・ 4.財産に裏切られて

2010-11-22 09:27:14 | Weblog
釈尊は 別のところでこうもいっています。


「財産というものは自分ひとりものではない 五人共同のものだ」

  ・・・ と。


五人とは 「風」「水」「火」「賊」「王」 です。


天災・風水害・火事・盗賊

そして
 
政治権力(これには課税も革命という変動もふくまれている)によって

  いつも危険にさらされているものが財産だ というのです。


財産は 不動の力・人生の楯にはなりません。

時に 奪われ

時に 減らされ

時に 裏切られてゆきます。


なのに 「我に財あり」とおろかにも思い込み

  ・・・ 裏切られて 苦しみます。




* 昨日 東ブータンから無事帰国しました。
  目下写真などの整理中です ・・・

  東ブータンの山中で出会った猿 ・・・