気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

我執の苦 ・・・ 5.きらわれる人

2010-11-28 12:08:30 | Weblog
「我を張る」人は きらわれます。

しかし とかく私たちはそこにおちいります。


政党の醜い派閥抗争をはじめ 世の中にはいたるところに

  「我を張りつめている」といってよいでしょうね。


自分の子ども 自分の家庭だけの幸せを求める心もおなじです。


自分の信ずる宗教以外は一切まちがいだと思いこむのも

  我執の現われです。



人間は
 
もっと広い目をもち 多元的な眼をもたねば カタワになってしまいます。



釈尊は それを盲目者と象にたとえていっておられるのです。



* 2010.11  東ブータンで





我執の苦 ・・・ 4.ひとりよがり

2010-11-28 11:03:47 | Weblog
げに多くの人びとは 自らのの見るところに執着す

ただ一部分のみを見て たがいにあげつらいて争うなり

                  (ウダーナ 衆盲模象経) 再掲


・・・ これは 戯れの議論より実践が第一 という教えとともに

  部分にとらわれ これに固執する「我」を戒められたものです。



自分の考えのみが正しいという 我執

自分の能力の有限性 局部性を知ろうとしない ひとりよがり

  ・・・ これがどんなに人間社会の危機を招くか


              ・・・ それをさとしているのです。



* 2010.11  東ブータンで





我執の苦 ・・・ 3.戯れの議論

2010-11-28 09:57:25 | Weblog
釈尊は
 
  当時の思想家が議論をカンカンガクガクとやっているのをみて

  ・・・
 


彼らは盲目が象をなでて ・・・

  頭部にさわったものが 甕(かめ)のようだといい

  耳にさわったものが 蓑(みの)のようだと答え

  身体にふれたものが 穀物の倉のようだといい

  脚にさわったものが 象は柱のようだ

  ・・・ と 勝手にいっているのと同じである。


それぞれ一部分をさわっただけで これが象だときめつけ

  さわぎ ケンカしているようなものだ。


自分の目で象をみている人からすれば 片手おちのナンセンスに思える。



しかし

その全体の道理を知らずに 手ざわりしたところしかみない人間は

このような勝手なことをいって論じあっているのだ


                ・・・ と 痛烈に批判されました。



* 2010.11  東ブータンで





我執の苦 ・・・ 2.死をみつめ

2010-11-28 08:43:12 | Weblog
いったい死後のことを知ったからといって

  どんなプラスがあるのでしょうか。



もし極楽に生まれかわるといわれたら

  それで食欲でも出てくるのか。


それは一種の自己欺瞞 慰めにすぎません。



死んだら「無」です。 ・・・ それだけです。


いや そんなことを問うよりも ・・・

人間には 必ず死がやってくることをみつめ

いまをどう充実して生きるか努力することが先決でしょうね。



* 2010.11  東ブータンで





我執の苦 ・・・ 1.辛らつな教え

2010-11-28 07:37:26 | Weblog
げに多くの人びとは 自らのの見るところに執着す

ただ一部分のみを見て たがいにあげつらいて争うなり

                  (ウダーナ 衆盲模象経)



よく

「 死んだ後はどうなる。魂はどこにゆくのか。

  肉体と生命とは同じものか。別のものか。

  亡霊はあるのか 」 といった質問する方がいます。



死後世界に関心をもつのは人間のつねかもしれませんが

釈尊は そうした評議だてを

  「戯論」 たわむれの議論としてしりぞけられました。


その代表的なもっとも辛辣(しんらつ)な教えが

       ・・・ この「衆盲模象経」のことばです。



* 2010.11  東ブータンで





自らの燈火(ともしび)  ・・・ 5.一分の一の自己

2010-11-28 06:31:34 | Weblog
現代社会は

  「たったひとりの自分」を深くみつめる力が弱まっています。



子どもに対する親の過保護も

ちょっとした友人の裏切りで絶望してしまう青年も

  ・・・ みな孤独な自己に耐える力の尊さを見失っているからです。



しかし 人間の本当の成長とは

たったひとりの「一分の一の自己」にたって生きるとき

  ・・・ はじめて実現されるのです。



釈尊は 弟子たちに

  「林の中を歩む象の如くひとり行けよ」

               ・・・ ともいわれました。



* 2010.11  東ブータンで





自らの燈火(ともしび)  ・・・ 4.ひとりの世界

2010-11-28 06:30:50 | Weblog
ひとや群集や

  頼りになる仲間のなかにいたのでは世間というものも

  ・・・ 自己自身もよくみえない。



ただひとりの世界にかえったとき

 はじめて

  ひとを知り

  群集を知り

  社会を知ることができる ・・・ のです。



親の鳥の巣を離れて 風に吹かれ

左右によろめきながら 翼をバタつかせながら小鳥は

  自分の力も

  親の愛も知ることができる ・・・ のですね。



* 2010.11  東ブータンで