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気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

滅び去るもの ・・・ 3.仏陀の教法

2010-11-10 07:54:17 | Weblog
青春の歓びも

壮年の活力も ・・・ つかの間の歓びにすぎません。


これほどたしかなものは この地上にありえません。



国王の車も

青春の肉体も 一瞬一瞬に変易し ・・・ ついに消滅する。


あらゆるものはことごとく ・・・ 無常な存在である。

常住なるものは存在しない ・・・ 。



だが ・・・ と 釈尊は続けます。

「心ある人の法は老ゆることなし」。


なぜか。

「心ある人はまた 心ある人につたうればなり」

仏陀の教法は 老いることも滅びることもない

            ・・・ 釈尊の強い確信です。





滅び去るもの ・・・ 2.肉体の老いと死

2010-11-10 07:01:45 | Weblog
肉体は ・・・ もちろんです。


肉体の老いと死は ・・・ 「必然」であり 「真理」です。


肉体が滅びれば

  その人の「自我」「自分」というものも消え去ってしまいます。



霊魂が残るなどという考えは ・・・ 人間の迷いにすぎません。


わが身が老い 歿(な)くなれば ・・・ 「無」です。



このように 人間の生命も 肉体も ・・・ 限りがあります。


まして

その人間がつくりあげた権力や財力が

          ・・・ 永遠であろうはずがありません。



すべては

  ただ過ぎ去り 一切は流れてしまう ・・・ のです。





滅び去るもの ・・・ 1.栄枯盛衰

2010-11-10 06:00:24 | Weblog
うち飾られし王車も古び

この身もまた老いにいたらん

されど心ある人の法(のり)は老ゆることなし

                        (法句経)



「うち飾られし王車」とは 「権力」のことをいいあらわしています。

原始経典には 国王の車を

  「駿馬に引かれた金色燦(さん)たる馬車」とか

  「車は象牙 銀の飾り すべては白色
 
    繋いだ純白色の四頭のシンドウの名馬」という形容で

    その華麗さを描き ・・・

そこに 王者の権力の象徴をみています。



釈尊は

そのケンランたる王車も やがて時がたてば古びてしまう。

  白色は濁り

  馬は老い

  象牙も 金色の色どりも 色褪(あ)せてくる。

おなじように

  いかなる権力といえども

    いつの日か滅び去るであろう ・・・ と冷たくいい放ちます。



栄枯盛衰は時の運というように

壮麗で絶対的なものと思われるものほど

  ・・・ 実はもろく はかない存在なのです。


釈尊は

この地上にあるあらゆるものの飾りをはらって

  ・・・ 事実を正視せよ というのです。



権力も 財力も ・・・ 「無常」の力には勝てない。



この世には何ひとつ

  永遠なるもの

  こわれないもの

  滅びないものなどありえない ・・・ これが 仏教の根本思想です。





12日から再びブータンへ ・・・ 目下準備中

2010-11-10 05:32:32 | Weblog
この12日(金)から ブータン王国へ出かけてきます。


今回は ・・・ 「東ブータン」です。

  成田 → インド(デリー) → (グワハテイ:Guwahati)へ
 
  → サムドゥブ・ジョンカ:Samdrup Jongkhar から入り

  → モンガル:Mongar

  → タシガン:Trashigang

  → タシ・ヤンツェ:Trashi Yangtse

                   ・・・ が 主な行程です。


目下 ・・・ まずは 体調を整え ・・・ 旅の準備中です。




   

技能と人格 ・・・ 3.仕事のなかに身をととのえる

2010-11-10 05:04:03 | Weblog
心あり 知ある者は 一切の職業の上に

  その仕事のなかに自分自らの身をととのえることを知るものだ

    ・・・ と教えます。


職業人としての自己と人間としての自分が

  びしっと一本になってこそすばらしい。


いくら人生論を講義しても

  自分がそれと一体になっていなくては それは虚偽になる

  ・・・ という きびしい訓(おし)えといえましょう。



私などにも 耳の痛いことばです。



たしかに いかに教える技術がすぐれていても

  授業が終わるや さっさと家に帰ってしまう先生

  ひとりの父のいない子どものために

    30分間でも居残りしてくれない先生は

  ・・・ 教育技術はあっても 教育者とはいえないでしょうね。



釈尊のことばは

あらゆる職業に携わる人 専門家にあてはまる

            ・・・ 「技能と人格」の教訓なのです。





技能と人格 ・・・ 2.心を磨く ・ 人格

2010-11-10 05:03:16 | Weblog
私たちのまわりにも 学芸技術の巧みな人はたくさんいます。


しかし 人間はただ手先だけうまくてもダメなのです。


技術とその人が一体となり

芸道や学問の深さが

  彼自身の血となり肉となり 毎日の生活となり

  ・・・ 人格にまでなっていなくては 本物とはいえません。



立派な芸術や知識をみせてくれた人が

そのあと 野卑なことばや

  醜い態度を示ときくらい 失望することはありません。


えてして そうした人が多いのです。

政界・財界・学界 ・・・ いや 宗教界にもたくさんいます。



昔から 紺屋の白袴 医者の不養生 宗教家の不信心といいます。

職業や技術とその人がバラバラになっている姿です。


弓や矢をたくみに磨く目をもちながらも

  自分のとげとげしい心を磨くことを忘れている人や


判事になって 人の罪を裁きながら

  自らは 自堕落な生活を送っているような人をいうのです。


人びとに教育の本質を説きながら

  わが子の教育やしつけを満足にできない教育者も同じです。



それではダメだ ・・・ と釈尊はいうのです。




 

技能と人格 ・・・ 1.心をととのえる

2010-11-10 05:02:37 | Weblog
疎水師(かわづくり)はげに水をみちびき

箭匠(やづくり)は箭(や)をためなおす

木工(きづくり)は木を曲げととのえ

知ある人は己をととのう

                       (法句経)



疎水師というのは 河川の土木工事に携わる職人のことです。

釈尊の故郷は

  ヒマラヤの雪山から河水の流れこむ「水郷地帯」でした。

ここでは 人びとの生命や耕地をまもるために

  疎水師の仕事は大切だったのでしょう。


その河川の土木技師の熟練した技術をみているうちに

・・・ 釈尊は 何か心うたれたにちがいありません。



また

箭匠が手ぎわよく竹の矢をつくる技能にも

大工の手さばきにも

・・・ この人は 舌をまいたのでしょうね。


この深い印象を

人間の完成にあてはめて語られたのが

  ・・・ この聖句(ことば)なのです。



< いったい彼らの技能の見事さはなんだろうか。

  ただ器用というだけのことか ・・・ そんなことはあるまい

  一芸に秀でた達人は 技と心とが一体となり

    ・・・ そこに調和がとれているはずだ。


  大工が 器用に材木を曲げたりととのえたりできるのは

  それだけたくみに

    自分というものを上手につかまえ

    ・・・ コントロールしているからではないか。


  彼らの技術を ただ技術だと割り切ってはいけない。

    そこには 人間としての成長・知恵があるのではないか >


  ・・・ きっと釈尊は そんなふうにお考えになったのでしょう。



そして

「知ある人は己をととのう」という反省の一句を添えられたのだと思います。


自分の心をととのえることのできる人こそ

  まことの知者の役目であろう ・・・ そう確信したのです。