気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

癪(しゃく)にさわる ⑦ ・・・ おすすめします

2010-05-21 07:27:33 | Weblog
腹が立たないときでも

  よく雲を見る ・・・ ことは おすすめです。


誰もいないところで

  じっと雲を見てごらんください。


いろいろな空想も湧いてくるでしょうし

楽しくもなり

恐ろしくもなるでしょう ・・・ ね。


どんな感情や

  妄想が起こってもかまいません。

よくよく見ていると

だんだん雲が自分か

自分が雲か

  ・・・ という妙な気持ちになることもあります。


そうしているうちに

  雲の気持ちがわかるようになります。

もちろん

雲の心はこれだというようなわかり方でなくとも

なんとなく自分の心の中に

    雲の性質が浸み込んできます。


そうすると

  どうなるというのでしょう ・・・ 。




* 明日から 三度目のエジプトへ出かけます。
  ピラミットの先端に雲を見てきます。

* また、帰国間もなく6月5日からは北京行きです。
  「郭林老師生誕100周年記念大会」参加のためです。
     (郭林新気功 : 抗癌功法)

  ちなみに、式典でのべる祝辞原稿を書き上げるため・・・
  昨日のブログは空いてしまいました。


 


吠えまくるスピッツ ・・・ 意味もなく

2010-05-19 17:31:54 | Weblog
「 底浅き小川は音をたてて流れ

    満水の河はおのずから静かなり 」

      ・・・ 含蓄のある釈尊のことばです。


人間 底が浅いとすぐ騒ぎだします。


ちょっと気に入らないと

けたたましく吠えるスピッツのように騒ぎたて ・・・ 噛みつきます。


最近

意味もなく吠えまくるスピッツが多すぎる

   ような気がするのですが ・・・ そう思いませんか。






















癪(しゃく)にさわる ⑥ ・・・ 行く雲

2010-05-19 15:43:43 | Weblog
「コンチクショウ」と思ったら最後

「コンチクショウ」という

  自分の心の中のかたまりばかり見つめてしまうので

いつまでたっても

心の目には「コンチクショウ」が見えている ・・・ のです。


まことにあつ苦しい思いを長く続けるわけです。


だから

自分の心の中から目を放ってしまえばいいのですが ・・・

それが普通はなかなかできないわざなのです。


ところが

雲を見る という動作は

たとえどんなに腹が立っていても ・・・

  しようと思えばできます。

そして

雲を見ていさえすれば ・・・

自然にその雲の動きや変化に乗って

  自分の心は運ばれていってしまいます。


ですから

雲を見さえすればよいので ・・・

  どんな気持ちで見ようと 一向かまいません。

なんと思って見ようと

  そんなことには 全然影響されません。


雲を見たって

静かな気持ちでながめるのでなければ

  何にもならい ・・・ などと考えるのは

屁理屈であって

  事実を知らない人の言うこと ・・・ です。










 

癪(しゃく)にさわる ⑤ ・・・ 雲を見る

2010-05-19 05:25:17 | Weblog
腹が立つとか

くやしいとかいう感情にとらわれたとき

・・・


雲を見ることです。


雲なら たいていのとき どこにでもあります。


本当は雲にかぎらず海でも川でもいいのでしょうが ・・・

しかし

荒れたり 狂ったりした感情を自然に運び去ってもらうのには

水は変化が少し細かすぎますので ・・・

雲が一番適任であるような気がします。


人間の心は

一瞬も止まっていないものです。

映画のフイルムのように

  一瞬一瞬流動しているものです。

癪に障る心でも

憎らしいと思う心でも

みんな自然に流れるままにしておけば ・・・

たちまちに消え去って ・・・
 
  次の景色が現われてきます。













病気 ・・・ 食べ過ぎ

2010-05-18 23:43:51 | Weblog
たいていの人が

私の病気に何が足りなかったのか ・・・ と聞きます。


今の時代

何が足りなかったなんてことがあるはずがありません。

これほど食物が氾濫している時代に

  ビタミンが足らん

  動物蛋白が足らん ・・・ そんなことはありえません。


だから

病気になった場合

何を食べ過ぎていたのだろうか

何をやめなければならないのだろうか

  ・・・ といったことの検討から始めないと

             病気の治療はうまくいきません。

うまくいかないどころか

  全然効果をあげることができない ・・・ のですよ。



そんなことを説明をする ・・・ 一日でした。











癪(しゃく)にさわる ④ ・・・ 外(そ)らす方法 

2010-05-18 04:35:17 | Weblog
腹が立つとか

くやしいとかいう感情にとらわれたとき

  どうしたらよいかと ・・・

少年の頃から何十年となく工夫してきたような気がします。


いまでこそ

私は

感情を比較的表しませんが ・・・

内心では猛烈に荒れ狂う質(たち)なので

  それだけに非常に苦しい ・・・ のです。


だから

なんとかして

この苦しみから逃れたい ・・・ と思ってきたわけです。


そんなバカらしい感情が起こらないようにすれば

  一番いいのですが ・・・


私のように

我が強く

欲望がさかんで

喜怒哀楽の感情の起伏のはげしい性格に生まれついている人間は

性格の深いところから変えていかなければならないので、

なにをやっても

  総手軽には効果をあげることができません。


それで

もっと手軽に

うまく外(そ)らす技術的な方法はないものか

・・・ と長年考えてきました。


今でも

そう完全にはいきませんが

私は

非常に有効だと思う方法を持っています ・・・ 。













癪(しゃく)にさわる ③ ・・・ 今泣いた鴉(からす)   

2010-05-17 06:36:49 | Weblog
むやみにイライラして 腹を立てて ・・・


私の経験からすると

一旦そうなったら

自分の心の操作でどうにか処理しようとしても

  ・・・ 絶対だめですね。


よく考えてみれば

腹を立てているときには

自分の心が腹を立てているので

  その他に自分の心はないのですから

その癪に障っている心で

  いくら努力しても どうにもなりません。


丁度

自分の坐っている座布団を

  自分で持ち上げて取り除こうとして

いくら力を入れても取り去ることができないのと同じことです。


感情と理性とが取っ組み合いをしているのですが

  ・・・ どっちも自分なのです。


だから

意識の上では

感情を征服しようとして悪戦苦闘をしている

  ・・・ ような気がしていますが

もっとよく観察してみますと

実は 本気で癪を鎮めようとしているのではない

  ・・・ ということがわかります。

もし本気になれたら

  その瞬間に癪は消えてしまう はずです。


大ていの場合は

そういう理性に好ましくない感情を

  本当は やめたくないのですね。

今 機嫌が直ってしまっては

  くやしいような気がすることが多いのです。


小さい子どもによく

「今泣いた鴉(からす)がもう笑った」と言って冷やかして

なるべくいつまでも泣くことや

  怒りつづけることを訓練しますが

・・・ ずいぶんひどい訓練もあるものです。


多分 私なんかもきっと

この訓練をよほどしっかりと施されたのでしょう。

今でも

あまり簡単に機嫌を直すのは

  ・・・ なんだか損をするような気がしてなりません。












癪(しゃく)にさわる ② ・・・ わかっていても  

2010-05-16 22:12:23 | Weblog
腹が立ってしょうがない ・・・


理屈がわかっただけでは

  なかなか思うようにならないものです。

腹が立つときには 立つものです。


立っていい というのではないですが

     ・・・ 立ってしまうものです。


それは

自分の気持ちが甘いからだ

我儘なのだ

  ・・・ とはわかっていても

やはり どうにもならないものです。


むやみにイライラして 腹を立てて

人に当たり散らしたり

沈んで悲しんだりするのは

自分にも人にも害のあることだから

  そうならないように平生、工夫することは大切ですが ・・・

もっと差し迫って必要なのは

そうなってしまったとき

  そんな気分から少しでも早く逃れるにはどうしたらいいか

                   ・・・ ということです。






    

癪(しゃく)にさわる ① ・・・ わがまま

2010-05-16 07:15:05 | Weblog
みなさんは

  ちょっとしたきっかけで癪に障ってしょうがなくなるとか

  憂鬱になったり

  なんとなくつまらなくなったり

  悲しかったり

  淋しかったりして

・・・ 自分ではどうにもならない気分に陥ることはありませんか。


そういうことは

その人の性格によって強弱の差はあっても

  大抵の人にはあることだと思いますが ・・・ 如何でしょう。


でも程度の弱い人は大して苦にもならないでしょうが

  ・・・ 酷い人は全く自分をもてあますものです。


こんなことではいけないと内心ではわかっていても

  ・・・ どうにもならないことがあります。


腹が立ってしょうがないときなどは

いくら自分で気持ちを取り直そうとしても

  見るもの聞くものが癪の種になって ・・・

というより

  本当は癪の種をさがして

    ・・・ ますます荒れ狂ってしまうものですね。


こうなると自分でもやりきれないですが

  はたの者はいっそうやり切れません。


そしておかしいことには

そういうことをチャンと知っていて

  罪もないはたの者をわざと困らせたい気持ちになるものです。


こんなふうな癪の障り方は 九分九厘我儘なのです ・・・が。

(それは自分でもわかっています ・・・ )


しかし

我儘だからやめよ と言われて

  やめられるなら問題はありません。

              (それは達人です)


(私のような凡人には ・・・ )なかなかそれができません。

それで困るのですが ・・・ 。








きれいな血 : 汚い血

2010-05-15 07:35:56 | Weblog
「神様は何も悪いことはしていないのに

 どうして私にだけこんな不幸を与えるのだろう」

  と文句をいう人がいますが ・・・


自分自身の犯した悪いことを自覚しないから

    ・・・ そんなことがいえるのです。


不幸や不運というものは

  これことごとく自分が作りあげたもの ・・・ です。


貧乏するのも

  金持ちになるのも

幸福になるのも

  不幸になるのも

笑ってくらすのも

  泣いてくらすのも

すべて自分が作る ・・・ のではないでしょうか。


自分が体を作る ・・・ のです。

心の持ち方も みんな自分が作る ・・・ のです。



そういう心を養うものは何でしょう。


きれいな血を養うか

  汚い血を養うか ・・・ 。


それによって決められていくのだ

・・・ というふうに 私は考えています。












むかし こどもに ③ 「用」

2010-05-14 21:58:21 | Weblog
むかし こどもに「用」があった。


こどもの「用」は

  こどもの「あそび」とともにあった。

  こどもの「かせぎ」とともにあった。


「用」は

「あそび」と「かせぎ」と その両方からでてきた。

そこから、うまれでて いっそう大事なものとなった。


あそびに道具が必要になった。

こどもはどうぐをつくらなけれならない。

それを保管しなければならない。


その道具は

  自然のものからみつけだし

  自然のものをもちいてつくったりした。


人間がつくったもののきれはしでもつくったし

すたれたものからもつくった。


つくったものは大事にされ、珍重された。


あそびの道具はつくられたものとして

おとなからこどもにてわたされることもあった。



こどもの「かせぎ」のためにも、

  道具が必要となるときがきた。

そうなるときが、たちまちきた。


そのとき、こどもは

  「おまえのコガタナ」(きりだし小刀)

  「おまえのハサミ」

  「おまえのヤス」というようにあてがわれた。

やがては

  「おまえのクワ」

  「おまえのカマ」もあてがわれた。


このようなあそびの道具

かせぎの道具のはたらきに

  こどもは、しだいに「用」を感じた。


「用」を感ずるということは

  道具をつくりだすということであり

  それを珍重愛用することであり

それをつかって効用を発揮させるということであった。

その使用になれるということでもあった。











むかし こどもに ② 「かせぎ」 

2010-05-14 07:23:16 | Weblog
むかし、こどもに「かせぎ」があった。


こどもの「かせぎ」は

  祖父母や父母から、いいつけられてするものであった。

だから

てつだい、てだすけ、すける、などともいわれた。

「はたらけ」「はたらく」ともいい

おまえがかせぐとてつだうと

  「はたがらく」だから 「はたらく」だ

    などとのこじつけで、それは奨励されたりもした。


ときには

こどもが、かせがされすぎるということもあった。

しかし

こどもに「かせぎ」をさせるということは

  たしかに、おやたち、祖父母たちの賢明さからきていた。


こどもの「かせぎ」は

  自然とともにあり、

  からだとともにあり、

  みじかなひとびとと、

    とおくはなれぬところにあった。


そして「かせぎ」も、こどもを

  かしこくした。

  すこやかにした。

  しなやかにした。

さらに

  人間のなかまのこころを しるものにさせた。

  おもいやりのこころを、かれ自身のうちにそだてた。


ここでも、なぜ、「かせぎ」に

  これほどのほめことばをたてまつるのか。

こどもの「かせぎ」に

いま、こういうことばをささげることがすくないのを

            ・・・ こころひそかに なげくからだ。





むかし こどもに ① 「あそび」 

2010-05-14 05:52:53 | Weblog
むかし、こどもに「あそび」があった。


あそびは、こどもの真面目であった。

このあそびとしての真面目は、自然とともにあった。

こどものからだとともにあった。

そして

なかまとともにあった。


あそびは、こどもを

    すこやかにした。

    かしこくした。

    しなやかにした。



なぜ、「あそび」を

  このように、ほめたたえるみたいにいうか。


いまのこどものあそび

  そのあそびのすくなさ

  あそぶにも

    あそばれなくされていることに

・・・ かなしみといかりをおぼえるからだ。

・・・ その不幸にあわれをかんじているからだ。











政治家 ・・・ 党派ボケ

2010-05-13 06:06:21 | Weblog
人のものを盗めば

もはやそれだけで

  りっぱな泥棒に決まっておるのに

今の人は

  警官が捕まえ

  検事が調べ

  判事が判決を下し

  牢屋に入って

はじめて

  罪人になる ・・・ のだと思っています。


ですから

政治家の汚職なども

それをもみ消してのがれれば

やっぱり自分は

  自分は徳者だ と思い

  甲斐性者だ と思っています。


・・・ それほど党派ボケしています。