気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

希(ねが)う心 ・・・ ひたむき ②

2010-03-30 09:39:16 | Weblog
救われたいと希う心

健康になりたいというひたむきな希いが

  存在していること自体が ・・・

    有り難い

    お陰 ・・・ なのです。


すなわち

病気が長引くと ・・・

当初の一生懸命な

治りたい丈夫になりたい

  ・・・ という うぶな心はなくなり

いささかうんざりして

自分の体のことながら

  努力することに飽きがきます。


そんなときには

健康になりたいと

  ひたむきに希う人の心が ・・・ 尊く思えます。

まして

無心に病気とたたかう幼子を見ると

   ・・・ いじらしくも ・・・ 尊く思えます。










希(ねが)う心 ・・・ 健康 ①

2010-03-30 05:50:54 | Weblog
私たちは

やはり

自分自身で救われたい ・・・ と願わなければ

  本当に救われることはできません。


自分自身でほんとうに

健康になりたい ・・・ と願わなければ

  健康になることはむずかしい。


どうでもいいという

  投げやりな気持ちでいては救われません。

ひたむきに希(ねが)う心があるかどうか ・・・ 。


もし

そのひたむきな心があれば

もう

  目的を半ば達したようなもの ・・・ です。












心の支え ・・・ 拠りどころ

2010-03-29 15:36:32 | Weblog
大人であれ

子どもであれ

人が自立心の強い状態にあるためには

  心の支え

  拠りどころ ・・・ が必要です。


大切なことは

何を

  自らの心の拠りどころにするか ・・・ ですね。


強くなるためには

  孤独も必要 ・・・ です。

孤独に耐えて

  人は強くなれる ・・・ のではないでしょうか。


しかし

孤独な子には

  心の支えが必要 ・・・ です。

その子の心の底に

すくなくとも

一人の優しい(優しかった)人の思い出が

                 ・・・ 絶対に必要です。











親の想い ・・・ 生命を投げ出す

2010-03-29 07:17:16 | Weblog
古来
親は
  その子の生命のために
自らの生命を
  投げ出すことさえできます。

それは
種族、時代をこえたものです。

それが本当にできるかどうかは別として
それに近い想いはできます。
  ・・・ 身替わりをねがう祈り ・・・ です。

人生でいちども
  そういう想いをもったことのない人は
             ・・・ 不幸といえますね。
いくら物質的に豊かであろうとも、
つきつめた「まごごろ」を抱いたことのない人は
             ・・・ 真に幸せとはいえません。

自らのまごころが
自らを潤し
  ・・・ 強くします。

そのつきつめた重いが
そのまごころが
  親自身を救い ・・・
  子をもまた救い ・・・ ます。


とても身近な ・・・ はなしです。




史上最低の酷会(国会)

2010-03-28 08:18:08 | Weblog
一流企業に勤めているからといって

  その人までが

    ・・・ 一流と決まっているわけではありません。


会社での地位が高いからといって

  その人の能力や人格の高さが

    ・・・ 保証されているわけでもありません。


まして

議員バッチをつけているからといって

  政治力、人格、品性の高さが

    ・・・ 保証されているわけでもありません。


・・・ それにしても

史上最低の愚策しか出せない酷会(国会)に

    ・・・ 期待などあるわけがありません。


あまりにも

    ・・・ ヒドすぎます。












ガンバルは ・・・ みにくい

2010-03-28 07:18:51 | Weblog
私は

「ガンバル」

「頑張る」

  ・・・ という言葉がきらいです。


「頑張る」という行為には

  必ずどこかに無理があります。


頑張って手に入れたものは

  本当に手に入れたものではありません。

いつかは失われていくか

  無価値になっていく ・・・ ものなのです。


価値のあるものとは

  自然が与えてくれる ・・・ ものです。


そして

人間が

  何の努力もしなくても

自然は

  与えるべきものはきちんと与えてくれる ・・・ のです。


その人が

何かを手に入れるために

  一生懸命頑張っている姿は

決して

  美しくも何ともありません。


その人が

  頑張っていると思えば思うほど

他人から見れば

  本当は何も頑張っていない

    とういう本質が見えて ・・・

かえって

  滑稽きわまりない ・・・ ものです。


ありのままの姿が

  最も個性的で

  一番美しく

  ユニーク ・・・ に見えます。











より少なく ・ より穏やかに

2010-03-28 05:59:24 | Weblog
「もっと早く」

「もっと多く」

「もっと確実に」 ・・・ と

物質や金銭、権力を

  他の人たちよりも多く

    手に入れるための競争 ・・・ を続けてきました。


入ってくるものは出さずに

  入れる一方ですから

自然のエネルギーの循環が

  止まってしまう ・・・ わけです。


そして

不必要なエネルギーがたまり過ぎて

  ストレスという摩擦が生じた ・・・ のです。


これからは

「より少なく」

「より穏やかに」

  ・・・ という時代になっていくでしょうね。






   


癌にかかりにくい ・・・

2010-03-27 06:45:52 | Weblog
「この薬は副作用はでませんかねえ」

  と 不安そうに質問する人には

    ・・・ たいてい副作用が出ます。


「自分の家系に癌の系統はないので

       自分は癌にかからない」

  と 頭から信じ込んでいる人は

    ・・・ 癌にかかりにくい ・・・ と いいます。








 

病気になったお陰で ・・・

2010-03-27 05:01:56 | Weblog
病気になることは
  過去の生き方への警告 ・・・ でもあります。
自然が
「あなたのこれまでの生き方には問題がありますよ」
    ・・・ と 教えてくれているのです。

だから
そのことによく耳を貸して
  生き方や生活を変えていけば
かえって
  健康になって長寿が保てたりします。
また
病気になるのではないか
  という不安やストレスもなくなっていきます。

それまで長年見えなかった
  家族の結束が見えてきた
    ・・・ と言う患者さんもいっぱいいます。

かって
自分が心地よいと感じていた行為が
家族や周囲の人たちには
  好ましくないことだった ・・・ のかもしれません。

そういう意味で
私は
「病気は神様からのすばらしいメッセージ」
    ・・・ だとも考えています。

私たちは
毎日懸命に生きている ・・・ つもりです。
しかし
その懸命さが正しい ・・・ とは限りません。

たとえその行いが
自分の所属する社会や会社の中では正しくても
人間を生かしてくれている
  自然や宇宙の法則には
    合致していない ・・・ 場合もあるのです。

このようにして考えてみると
  難病だって
  失恋だって
  倒産だって
その人が新しく生まれ変わるために
  神様が与えてくれた貴重なチャンス
    ・・・ なのではないでしょうか。

病気ばかりでなく
このような不幸に直面する ・・・ と
今まで見えなかった
  「本当の自分の姿」
  「あり方」
    ・・・ が かえって見えてきます。

そして
そのことが
  何よりも大切な気づき ・・・ になるのです。







肩の凝らない話 ・・・ 苦心惨憺

2010-03-26 04:43:11 | Weblog
このところ

  講演の機会が多い ・・・ です。


「肩の凝らない話をしてください」

  ・・・ よくこういうことをいわれます。

私を マッサージ師と

  間違えておられるのではないでしょうか。(笑)


「ざっくばらんに話しをしてください」

  といわれて ・・・ 「ドキーン」です。

私は ざっくばらんにいえないから

  一生懸命苦労しているわけで ・・・


それを

一面識もない人がやってきて

  ざっくばらんに話してください ・・・ と。


ざっくばらんに話せるぐらいなら ・・・

はじめから苦労せずに
 
  くだらん本を何冊も書いていますよ ・・・

また

  テレビに出て

    臆面もなく

    くだらんことを

      もっともらしく 話していますよ ・・・ (笑)



私には 苦心惨憺 ・・・ しかできません。

まして

私は 講演屋 ・・・ ではありません。














肩こり ・・・ 知りません

2010-03-25 06:14:57 | Weblog
肩こり(肩凝り)は

  日本人独特のものらしい ・・・


少し具合の悪いところができると

日本人は「からだ」のせいにします。

カナダ人は「精神」のせいにします。


というわけで

日本人はすぐ

  医者かマッサージ師へ駆け込むし

カナダ人はすぐ

  「精神分析」のクリニックに向かって走り出します。


肩こりも このテかな ・・・

 
ストレスがかかると

肩が凝った ・・・ と生理学的に解釈するようです。


それにしても

なぜ

とくに肩に凝りが集まる ・・・ のでしょうか。

それは本当に

  日本人だけの特徴 ・・・ なのでしょうか。


フランス人は 背中を凝らす ・・・ と言います。

多くは内臓の病気のしるし ・・・ です。


サムライの装束に

  カミシモというのがあります。

カミシモをつけて

  肩をいからせていると

    立派に(立派そうに)に見えます。

若い衆も

  肩をいからせて

    街を歩きます ・・・ 。


そんなわけで

肩に血を集めるのだろう ・・・ と思います。


ちなみに

私は「肩こり」 ・・・ というものを知りません。

















背中 ・・・ 続・続

2010-03-25 05:29:09 | Weblog
背中を表す漢字「脊」は

肉を表す「月」と

背骨を表す象形文字とからできています。


甲骨文字や金石文字では

背骨はレントゲン写真で見るように

脊椎の骨が

  一個ずつ連なっていました。

それが変形して

  「脊」の上部の象形となった ・・・ のです。


背中が頑丈なのは

この脊椎の骨が

  しっかりしているからです。


背中で重さに ・・・ 耐えます。

赤ん坊も ・・・ 乗せるし

重いかごも ・・・ 背負います。


また

私たちは

人生の重荷を 背中で背負うし

過去の象徴である家紋をつけるのも

  腹でなく ・・・ 背中です。


西洋でも

背後霊という過去の亡霊は

  背中につく ・・・ ことになっていました。


しかし今

人間は

過去を忘れよう ・・・ と懸命です。


背中は

満員電車に割り込むときくらいしか

からだの利益として

  思い出されることはない ・・・ ようです。










ねんねこ ・・・ 背中

2010-03-25 04:41:31 | Weblog
足が交通の原形だとすると

  背中は運輸の原形です。


からだのなかで

  いちばん幅広く

  重さに耐えうるところ

それが ・・・ 背中です。


数年前

中国の奥地の村を訪ねたとき

今はむかしの

  「ねんねこ姿」を見て

言いしれぬなつかしさを感じました。


むかしの赤子は

ほとんどみなといっていいぐらい

  「ねんねこ」でおんぶされ

     ・・・ 大きくなったものです。


「ねんねこ」とは

  「ねんねこばんてん」の略で

子ども背負うときに着る半纏(はんてん)のことですが

・・・ 今は、絵入りでもないとわからなくなったですね。


日本人は

時代の勢いに押されて ・・・

  ねんねこを追放してしまった ・・・ のです。


ちかごろでは逆に

外人のほうが背中にいすをくくりつけ

  運搬しているのをみかけ ・・・

おもわず 微笑することがありますね。











 

続・背中 ・・・ 手当て

2010-03-24 06:05:46 | Weblog
今は昔のイメージになってしまいましたが ・・・


貧家の孝子が

  薬を求める金もなく

苦しむ親の背中を

  懸命にさする ・・・ という光景がありました。


薬がなくて

背中をさするなんて 何の役に立つか

  と言う人もいるでしょうが ・・・


背中は 苦患(くげん)のインデックス ・・・ です。

痛いところ だるいところをさすってほしい

  というのは 患者の人情 ・・・ です。

そして

人情にこたえるというのが 医療の原点 ・・・ です。


病は気から

  ということが真実であれば

    ・・・ 気で病が治らぬでもありません。

そんなことを

昔の孝行息子が

  考えていたかどうか ・・・ 。

考えていなくても

手は自ずから

    ・・・ ほかならぬ背中に伸びていたことでしょう。


「かわいい子ね」と頭をなでる。

が、

東南アジアには

  頭を触られると怒る ・・・ という文化があります。


背中をさすられて

  怒る文化があるかどうか ・・・ は知りません。











背中 ・・・ 手当て

2010-03-24 05:19:02 | Weblog
鈍重な顔をしていて

そのくせ反応は鋭敏な人

  ・・・ そんな人が世間にいるものですが

背中は ちょうどそんな感じです。


背中を バカにしてはいけません。


背中ほど 大事なところはありません。

・・・ というのも

具合の悪いとき

介抱に背中をさする人はいても

  おなかをさする人はおりません。


手当てとは

文字通り「手」を当てるということで

  介抱、介護、医療の原点ですが ・・・

たしかに

手を患者のからだに当てるだけで

  苦痛は ・・・ いささかでも楽になるものです。