気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

★ 避難者としてブログを立ち上げました

2011-12-09 07:29:42 | Weblog
東北関東大震災・原発事故の避難者として

避難所からブログを立ち上げています。



原発震災避難者として ・・・ 遠く 新潟県三条市に避難しております。


そちらもお読みいただければ幸いです。



http://blog.goo.ne.jp/minamisoumashi-hinan

負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!





つまらない職業 ・・・ 政治家や官僚

2011-06-09 13:52:34 | Weblog



政治家や官僚が、つまらない職業に転換しつつある ・・・ とか

タヌキの○沢さんが強制起訴されて以来

いまや 政治家や官僚は恥ずかしい職業となりつつある ・・・ とか

議員バッチをはずしている国会議員が増え

役人の名刺を出そうとしない官僚も増えてきた ・・・ とか

大衆から さげすんだ目で見られるからです。


権力や汚職と賄賂が 先進国の日本では

なにより嫌われるようになってきたようで ・・・ 大変よいことです。



それにつけても 災害復興・原発事故の収束をそっちのけで

国会議員さんたちは バカ騒ぎ ・・・ 情けないにもほどがある。


嫌われるどころか ・・・ 

どこぞから 石のつぶてが飛んでくるかもしれませんから

・・・ ご用心 ご用心 !!




東北関東大震災・原発事故の避難者(警戒区域の住民)として

避難所からブログを立ち上げています。


そちらもお読みいただければ幸いです。



http://blog.goo.ne.jp/minamisoumashi-hinan

負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!






酷怪疑員(国会議員)のみなさんへ

2011-06-02 11:36:48 | Weblog



酷怪疑員のみなさん

自然災害 ・ 原発事故を

政争の道具に使わないでください。


愚かです。

醜いです。


いま そんなときでしょうか !



○沢さんが タヌキ ・・・ いずれは沈む泥舟に乗った単なるボス

△山さんは カラス ・・・ きょろきょろ目玉でゴミ袋をつつきまわし

□垣さんは キツネ ・・・ 精一杯背伸びした餓鬼キツネ


そして

その他大勢のみなさんは

・・・ どっちへつこうかと

チョロ・チョロ チョロ・チョロ とわが身大切。


「 国民のために ・・・ 」  笑わせないでください。



そんなふうに思えるのは 私だけでしょうかね。



ときに

奸さん(失礼)も ・・・ シッカリしてくださいな。



・・・ 間もなく 採決です。






★ 避難者の一人なって ・・・ とにかく生きております !

2011-03-25 08:27:01 | Weblog
東北関東大震災の被災者のひとりになってしまいました。


いまは 三つ目の避難所 新潟県三条市での避難生活です。


毎日更新していましたが ・・・
 
  12日以降は一行も書くこともできずにおりました。


幸い モバイルWiFiルータ(自分の無線回線)を入手して

  昨夜遅く ・・・ 復活できました。



原発直近の南相馬市在住でしたので

  自宅の流失はまぬがれたものの ・・・

いまは 放射能被害で自宅放棄になるものとあきらめておる次第 ・・・ 。


まずは まずは 元気に避難者生活をおくっております。



ボチボチと避難者生活の中で書いてゆく所存です。

以前同様 ・・・ お読みいただけることをお願い致します。


とにかく 生きております。





父という文字 ・・・ 3.鶴の一声

2011-03-12 09:00:51 | Weblog
「こんどの監督は こうるさくていやな奴だ」 とか

「現場へきたら本社とちがうんだから
 
  あまり指し図がましいことはいわないでほしい」

  ・・・ とかいった苦情がよく聞かれます。

「新米の課長さんは はりきってるだけでピントはずれ」

  ・・・ こんな皮肉も耳にする。


つまり 要点をつかんだコントロール能力が乏しいという批判です。

むずかしくいえば

人間管理のコツが分かっていない というきびしい批判です。



多少なりともリーダーシップをとる人

使用人や部下を使う立場にある人は

  この人間操縦の心得が大変必要です。


それには相手の心を読みとることも大事ですが

  上司の「鶴の一声」です。


老練な人物は あまり口数が多くない。

いい出したいときもガマンしている。

そして ・・・ 潮時をみて さらっと一声放つ。


それが相手にずしりとひびく。

尊敬と信頼を得ている上司というものは

  ・・・ たいていそうしたタイプの人です。




* エジプトで





父という文字 ・・・ 2.善意のお節介

2011-03-12 06:00:38 | Weblog
職人というものはプロ中のプロで

  脇から口出しされるのを一番いやがる。

それだけ仕事に自信をもち 腕に誇りをもっている。


しかも あらゆる段取りをぴちっと胸にたたきこんで

  一つのリズムに乗りながら作業をすすめる人たちである。

つまり ムダがないだけではなく

  独自の美意識をもって仕事と格闘している人なのです。


この職人たちに満足して働いてもらうことは一番むずかしい。


だからこそ 寺の息子は逆に前のめりになって

  彼らの職場へ参画しようとしたのかもしれません。

善意のお節介だったのでしょう。

「職人は大切にしないといけないよ」

  と父の和尚に教えられていたので緊張していたのかもしれません。


ところが 職人が望んでいたのは

  ・・・ 勘所をおさえた適確な指示だったのです。


しかし これは何も職人の問題だけに限りません。

企業内部でも同じようなトラブルがよく起こっている。

                       (3.につづく)




* エジプトで





父という文字 ・・・ 1.後継ぎの未熟さ

2011-03-12 03:07:08 | Weblog
父親が年をとって息子に一家の切りもりをまかせると

  必ず使用人や関係者との間にトラブルが起きる。


若いから疎(うと)んじられるということもあるが それだけではない。

ものの頼み方 人の使い方

  事態の急所のとらえかたなどに馴れていないためです。



知りあいの職人から

  ある寺の息子に手を焼いてしまうとこぼされたことがあります。


きいてみると

大変親切で 細かいところに眼がゆきとどくのだが

  ・・・ それがわずらわしくてならない。

もっとおおまかに急所だけつかんで 指示してくれればいいのだが

  材木置場や焚き火の場所までさしずしてくる。

仕事中 そばに突立って

  墨をひこうとすると 手をかしましょうとしゃしゃりでてくる。

  ・・・ 面倒でしかたがねえんですよ と棟梁は嘆いていた。


人柄のいい息子だけに強くもいえず ・・・ 困った と渋面をつくっていた。




* エジプトで





熟慮断行 ・・・ 5.父は熟慮・実行・完遂の人

2011-03-11 09:00:11 | Weblog
人生は100%完ぺきにゆくものではありません。

あるところで終止符をうち 賭けにいどまなければ道はひらけない。

この「あるところで」という大局観こそ ・・・ 父の心です。



父には決断力が必要です。

グズはいけません。

同時に

「慮(おもんばか)らずんば胡(な)んぞ獲(え)ん」

  ・・・ という自覚が大切です。



人生もまた闘いです。

家庭生活もしかりです。

さまざまな苦難にぶつかり ひとつひとつ考え

  断行していく毎日が ・・・ 私たちの生活です。



父は つねに高所にのぼって

  まんべんなく社会を見廻し

  ・・・ 迷うことなく道を発見する人です。



中国では古くから

  ことにのぞむ場合の三つの難しさを教えています。

「 事に臨むに三つの難きあり

  能く見る ・・・ 一なり。

  見て能く行う ・・・ 二なり。

  当(まさ)に行なうべくんば必ず果決す ・・・ 三なり 」


熟慮 ・ 実行 ・ 完遂 の教訓です。


この三つの難事を体現する人 ・・・ それが父親です。




* この5月 トゥルクメニスタンにでかけます。
  カラクム砂漠も楽しみのひとつです。




* エジプトで





熟慮断行 ・・・ 4.決断をえてこそ

2011-03-11 06:33:07 | Weblog
熟慮は この世の中にいいことだらけのものはない

どんな材料にも一長一短があり

  不確定要素があるという父の慎重さのあらわれです。


けれども 熟慮が決断をえてこそ

  はじめて開花することを父は心得ています。

あるところへきたら手をうつ。


微に入り細にわたって考えつめるが 決断も速い

  ・・・ これが父の冒険心です。



いつまでたっても材料をこねくり回して

  煮えきらない男性は 女性にも嫌われます。

俗にいう グズです。


決断のない熟慮は

  終着駅のない列車のようなもので 存在価値がありません。



もちろん 戦略として決定をひきのばすことはあるでしょう。


だが 決すべきときにずるずるしている男は

  実行についての責任をもたない無責任な人間です。



よく会議中に屁理屈ばかり述べたてる人がいる。

  ・・・ きまって他人に責任を転嫁する卑怯者です。




* エジプトで





熟慮断行 ・・・ 3.熟慮と決断

2011-03-10 09:40:28 | Weblog
父は 左からも右からも材料をあつめる。

前も見るが うしろも考える。

客観的・科学的に類推し

  豊富な材料を駆使してあらゆる可能性をおしはかる。

一つ材料にべたつかない。



特定の意見だけにほれこまない ひっかからない。

何ものにもとらわれず 多面的に 白紙なってしらべる。

色眼鏡をかけない。

左右の長短・成敗利鈍も考慮する。



しかし やがて「よしっ」ときめたら 迷うことなく選んだ道に邁進する。


熟慮と決断です。




* エジプトで





熟慮断行 ・・・ 2.考えすぎたら駄目

2011-03-10 06:40:20 | Weblog
たしかに熟慮も大切です。

慎重に思いめぐらすことも必要です。


しかし そこにとどまっているかぎり父とはいえません。



山道に迷って身動きできない父は 子どもにバカにされます。

迷ったら さっさと元の道へひきかえすか

  高いところへのぼってみるしか仕方がないでしょう。

辻道で何時間もたちすくんでいたら

  連れはますます不安になるばかりです。



女性はとかく迷いがちです。

自ら決する力力が弱いからです。


A校を受けて失敗したらどうしよう

B校がダメだったら C校もうからなかったら

  ・・・ と際限なく不安を広げ

最悪の場合をいろいろ考えすぎて 寝こんでしまう。


この不安は子どもにも伝わって 自信をなくすようになる。



人生は考えすぎたらだめです。

一歩も先へ出ることができない。


どんな小さな相談事でもそうです。

これを決断するのが ・・・ 父心です。




* エジプトで





熟慮断行 ・・・ 1.決断力のとぼしい父親

2011-03-10 05:40:53 | Weblog
いつまでたっても結論の出せないお父さんがいます。


「しばらく外国へいってこようと思うんだが」

  「いってらっしゃい」

「いや ゆくのはいいのだが 仕事がひっかかっていてね」

  「じゃあ 一段落つけてから出かけたら」

「それが手をつけると簡単にすまない問題でね」

  「しばらく見送るんだな」

「そうすると当分外国へゆくチャンスがなくてね」

  「仕方ないだろう」

「でも 仕事のほうは何とか工夫してみようと思うんだ」

  「早く片づけることだね」

「といっても まずスケジュールをたてないとね」

  「たてりゃいいだろ」

「それが難しくてね」


  ・・・ 勝手にしやがれです。



ところがこうした父親が案外多いのです。

私のまわりにもたくさんいます。


自分の子どもの入学についてまで

  どうしよう こうしようと電話口で迷っている親父もいるし

女房のぐちをくどくどしやべる父もいる。


だいたい長電話してくる父親は 決断力のとぼしい人です。



よくまあ このせちがらい世の中に生きてゆけると感心します。




* エジプトで





死なずとも ・・・ 11.父は剛の人

2011-03-10 04:39:04 | Weblog
「慷慨(こうがい)して死に赴くは 従容として義に就くは難し」

  中国の古典は教えています。

義とは 父のつとめです。



むかしの三島由紀夫のような死は 決して父のとるべき道ではありません。

一見悲壮であり勇気ある行動のようにみえますが

  それは「易き死」であって 受難の行為とはいえません。



父は 死ぬことも逃げることもできず

  ひたすら苦しみに耐えて生きる損な役割を演じて

  ・・・ 一生を閉じていくものなのです。



現代のような国家社会が非情で最低の社会保障もゆきわたらない場合

  父は家族を守って

  ・・・ あらゆる災難に息長くたえつづけねばならないのです。



人も世も あるいは 妻も子も父を裏切っていくでしょう。

だがひとり「従容として義に就く」逃亡拒否の心性こそ

  ・・・ 父心であることを忘れてはなりません。


受難感受の父は まことの剛の人です。


父にこの覚悟があれば

  ・・・ 父子心中は社会から消え去って行くでしょう。



父は受難を歓迎すべきです。





* 2010.11  東ブータンで





死なずとも ・・・ 10.逆境に強くてこそ父

2011-03-10 04:38:04 | Weblog
父は 苦難から逃げるものではありません。

苦しみの呻(うめ)き避けて 弱々しく涙するものではありません。


いまも日本では父親のアル中患者がふえているとのことですが

こうした父は

  内面のもろさを抱えている苦からの逃亡者だといえましょう。


つらいから苦しいから酒を飲み

  酒の力でうさをはらし 自己喪失をはかる。

卑怯です。



父は 逆境に強くてこそ父です。

でなくて ・・・

  どうして子の尊敬を得られるのでしょうか。

  妻の信頼をかちうるでしょうか。


黙々と受難をかみしめ 弱音をはかぬから信望をうるのです。





* 2010.11  東ブータンで





死なずとも ・・・ 9.妻が蒸発

2011-03-10 04:36:56 | Weblog
得失一如 信謗不二という言葉がある。


得するのも失うのも それは同じことではないかという

  ・・・ 沈着冷静な父心をあらわした名言です。



妻が蒸発したからといって いつまでもくよくよしていたのでは

  自分も子どもも参ってしまいます。

その執着心を捨てれば 父と子の新しい人生がひらけてくるでしょう。


愛するものへの想いを断つことは たしかにつらいことです。

仏教でも 人間の八大苦のうちに愛別離苦をあげているくらいです。

しかし 苦しくとも

  子どもの未来のために その苦をふんばりぬくのが父です。



むかし

テレビの画面で家出した母親に向かい

「 帰ってきておくれ 坊やもお前の帰るのを待っている

  私も悪かった 」 と泣きながらめんめんと訴える父親がいました。


こんな父では 妻に蒸発されるのも ・・・ 無理はないと思います。





* 2010.11  東ブータンで