気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

自らの燈火(ともしび)  ・・・ 3.孤独・沈黙

2010-11-27 11:50:53 | Weblog
たった一人の自分を頼ってゆくことは

  淋しい孤独と沈黙の世界に生きることです。


笑い声も ざわめきもない

  シーンと静まりかえった不気味さをもった世界にとびこむことです。



しかし この苦しみを噛みしめていってこそ

  ・・・ 人生の光明をつかむことができるのです。



* 2010.11  東ブータンで





自らの燈火(ともしび)  ・・・ 2.悩み

2010-11-27 09:02:45 | Weblog
誰かを頼りたい 柱と頼む人はいないかと

  私たちは安心して乗れる親船を求める。


しかし この地上に いったいいつまで

  そうしたよりどころが与えられるのでしょうか。



風波の絶え間ないこの世では

杖とも柱とも頼む人を失い

  裏切られていくのがつねではないのか。


そのとき

自暴自棄になるか

  自らの燈火(ともしび)をかざして力強く生きてゆけるか

・・・
 
阿難に向けて説かれた釈尊の教えは

  ・・・ こうした人間の悩みにずばり答えたものです。



「自らを燈とし 自らをよりどころとして生きなさい。

 お前はお前の燈火(ともしび)の役割をつとめているではないか。

 他(ひと)をよりどころにしてはならない。

 阿難よ お前は自分自身の燈火を抱いて 足元を照らし

   自分の行くてを輝かせ」 ・・・ と。(再掲)



* 2010.11  東ブータンで





自らの燈火(ともしび)  ・・・ 1.教え

2010-11-27 07:19:23 | Weblog
自らを燈(ともしび)とし

自らを依所(よりどころ)とし

他(ひと)を依所とせず

                       (長部経典)



釈尊はくり返し

自己ひとり

たった一人の世界

たったひとりの力 ・・・ ということを強くいわれました。


親・夫・妻・子・財産・友人・健康

  こうしたものを一切失っても ・・・

もし自己というものを見失わなかったならば

人間は自分の燈をかざして

  暗闇の人生を勁(つよ)く歩んでゆくことができる

  ・・・と教えます。



釈尊が歿(な)くなるとき 多くの弟子は嘆き悲しみました。

とりわけ 人間味豊かで

  師の身の回りの世話をしていた阿難(あなん)という弟子は

  ・・・ 声を上げて哭(な)き悲しんでいました。


「私は師である貴方を失って この後一体どうしたらいいのか

  柱とも頼む世尊を歿くして ・・・ 」

  ・・・ と阿難は泣きじゃくった。


そのとき 釈尊はこのことばを吐かれたのです。


「自らを燈とし 自らをよりどころとして生きなさい。

 お前はお前の燈火(ともしび)の役割をつとめているではないか。

 他(ひと)をよりどころにしてはならない。

 阿難よ お前は自分自身の燈火を抱いて 足元を照らし

   自分の行くてを輝かせ」 ・・・ と。



* 2010.11  東ブータンで


 


人生の別れ道 ・・・ 7.一回限りの生

2010-11-27 06:28:02 | Weblog
流転輪廻の波に流される人生に生きるか

亡びざる不死の領土を求めて人生を探求するか

  そのいずれかを選ぶことによって ・・・

人は「生きがい」から「死にがい」へと

  ・・・ 一本の太い糸によって結びついてゆくのです。



釈尊の言葉は痛烈です。


しかし

一回限りの生を尊しとする人には

「整えられし自己」の大切さが

         ・・・ 身にしみてわかると思います。



つつしみは甘露の道

放逸(なおざり)は死の径(みち)

つつしむものは則ち死すことなく

道の失えるものは生けるもすでに死せるなり

                    (増一阿含経)再掲



* 2010.11  東ブータンで





人生の別れ道 ・・・ 6.躾(しつけ)

2010-11-27 06:27:01 | Weblog
人間は誘惑に弱いものです。

水は低きに流れます。

  ・・・これをいかにして抑えるか。


しかも 他人の力によらず

  ・・・ 自分自身でぐっとたづなを引き締める。

自分だけのためでなく 広い人生・人間社会のメンバーとして

  ・・・ ぐっと抑える。

それが「甘露の道」なのです。



「甘露の道」とは

  ・・・ 自分で自分をまもることです。

  ・・・ 自力と反省と克己の道です。



人間には二つの強さがあるといわれます。


一つは 相手を征服する強さです。

もう一つは 己れで己れを征服する強さです。



私たちは幼いころに その強さを

  「躾(しつけ)」という形で 親から注入されてきます。

そして 成人するとともに

  ・・・ 自らの力で自分を躾けて成長してゆきます。


それが ・・・ つつしみです。



放逸な生活を送る人には 舌にしみるような甘さはわかりません。


一口一口じっくり味わう甘さは

  「つつしみ」のある暮しのなかにのみもたらされるのです。


一掬(すくい)の水 一口の果実

  ・・・ その甘さは 飽食の人には味わえません。



* 2010.11  東ブータンで





人生の別れ道 ・・・ 5.警告

2010-11-27 06:26:20 | Weblog
自由 ・・・ についても同じです。


勝手放題に食いたいものを食べ

  生理的要求のままに行動するということは

・・・ 本能にまかせた 人間として一番低級な行為です。



釈尊が

「放逸は死の径(みち)なり」

「道をうしなえるものは生けるもすでに死せるなり」といわれたのは

そうした

  本能のままに行動し

  何の目的ももたず

  人生を享楽の道具とし

  一日一日を生きてさえおればよいという ・・・

創造性のない 穀つぶしのような生き方をしている人への

                  ・・・ 厳しい警告なのです。



「生きた屍(しかばね)」と私たちはいいます。


克己力のない 節制とつつしみのない 欲情と煩悩に身をまかせた生。

  ・・・ 本能を拒む力のない生き方が ・・・ それです。



* 2010.11  東ブータンで