気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

迷いなき静けさ ・・・ 4.ゆったり生きる

2010-11-08 05:36:30 | Weblog
世の中は そうそう自分の気に入るような人間ばかりはいません。



釈尊にも 提婆という苦手があった。


幾度か煮え湯をのまされ 苦しまされている。


だがその結果 教団の団結力は強まりました。



多様な世界に ゆったり生きることが ・・・ 私たちには大事です。


そうした

  寛(ひろ)やかな どっしりした

  迷いのない生活こそ

           ・・・ いま 私たちに望まれているのです。




   

迷いなき静けさ ・・・ 3.羽毛の人

2010-11-08 04:29:40 | Weblog
磐石のような重心を低くおいてない人は

  すぐ腹をたて 相手をののしる。

  「小異」について 「大同」をみようとしない。

  さらりとすごさない。

  狭くかたくなる。

  自分だけの流儀で固まろうとします。


そこに 窒息があり 自滅がある。

羽毛の人は なんでも屋になれない。

  ・・・ 玉石混淆(ぎょくせきこんこう)というわけにいかない。





迷いなき静けさ ・・・ 2.清濁あわせのむ人

2010-11-08 03:44:03 | Weblog
神経質な人は

  「清」と「濁」をともにのみくだすことができない。

人間関係も ぎすぎすとしてくる。



「清濁あわせのむ」人は
 
  人を毛嫌いしないし

  世間の評判の悪い人間でも 「気の毒な男だ」位にしか思わない。


だから 人を疑うことが少ない。

・・・ 善意をもって受けとってゆこうとします。


その結果 だまされることもあるが
 
  ・・・ むしろ 自分をだました男をあわれむ気持のほうが強い。





迷いなき静けさ ・・・ 1.うろたえない人

2010-11-08 03:43:01 | Weblog
ひとかかえの盤石(いわいし) 風にゆらぐことなし

                          (法句経)



軽い羽毛は 風に舞う。

大きな岩は びくともしない。


頼りがいのある人 信頼のもてる人とは

  盤石(ばんじゃく)の重みをもつ人です。



私たちが乗物に乗る。

風や波がはげしくなる。


そんなとき

パイロットや船長が いわおのように落ちついていると

  ・・・ 安心していられます。

たとえまわりの人が嘔吐したり 顔色をかえていても

船長が くわえ煙草でのんびりしていると

  ・・・ 「大丈夫だな」という気持になります。


この船長のような人こそ

釈尊のことばに出てくるような ・・・ 「うろたえない人」です。





寡聞の者 ・・・ 5.反省

2010-11-08 03:33:13 | Weblog
ちかごろは釈尊や鎌倉時代の宗祖の話がもてはやされていますが

ほとんどの人は そうした「正しい法」よりも

  商売上の知識や経済問題の知識のほうを重視しています。


こうした正しい法への無関心と知識化 ・・・

  これを釈尊は 「愚かなる者」の生き方として

        ・・・ きびしく反省を求められたのです。


私たちははたして

  「多聞」の暮らしを送っているかどうか ・・・
 
  空しい牛のような老いに向かって歩んでいないか ・・・ 

この教えから汲みとっていかなければならない ・・・ と思います。




愚かなるものは牛のごとく老ゆ

                     (法句経)再掲





寡聞の者 ・・・ 4.むかし 田中角栄という

2010-11-08 03:32:22 | Weblog
むかし 田中角栄という政治家がおりました。

(いまの人をあげると いろいろ問題もございましょうから・・・)


彼は なかなかの勉強家のようでした。

たくさんの数字をあげて

  合理的に物事を解決し 分析しました。



しかし 誰も

  この人を 知恵ある人とは思いませんでした。


物事の根本にふれることばが吐かれると

彼は 小うるさそうに ・・・

  「わかった わかった」といって

           ・・・ 耳を傾けようとはしませんでした。


結局は ・・・

  「寡聞の人」であり

  「愚かなるもの」であり

       ・・・ 知恵のない人 になってしまっていました。




* いまこの政治家のもとで育った愚かなる政治屋がひとり・・・
  オバカサンぶりを発揮しているのは ・・・ ご承知の通りです。