私たちは 多くの人びとから何かを与えられて生きています。
たがいに乞食しあってこそ生きていけます。
おれ一人で食べてゆける ・・・ それはウソです。
ですから 修行者といわず
人間すべて「貪(むさぼ)りと怒りを捨て」て生きよ
・・・ と釈尊は説かれているわけです。
貪りとは 独り占め 我欲 しがみつきです。
自分だけの幸せを求める心です。
そこからたがいに争いが起こり 怒りが燃えます。
「 乞食するものよ
それは人間すべて そのように生きているのだ
お前らは たがいに乞食しあって生活しているではないか。
それを忘れてはならない。
食を与えてくれる人
衣服をくださる人
そうした人間すべての恩恵にめぐりあって
はじめて生きていける以上
どうして貪りや怒りなどもてるのか。
萎れたバッシカ草の花びらのように
・・・ 貪りと怒りを捨てなさい 」
釈尊は その捨て方にさらりとした 自然の姿を求め
自然な姿を求め 自己の新しい人間誕生のためにこそ
・・・ 捨てよ と教えるのです。
・・・ 味わい深い聖句(ことば)といえましょう。
* 2010.11 東ブータンで
たがいに乞食しあってこそ生きていけます。
おれ一人で食べてゆける ・・・ それはウソです。
ですから 修行者といわず
人間すべて「貪(むさぼ)りと怒りを捨て」て生きよ
・・・ と釈尊は説かれているわけです。
貪りとは 独り占め 我欲 しがみつきです。
自分だけの幸せを求める心です。
そこからたがいに争いが起こり 怒りが燃えます。
「 乞食するものよ
それは人間すべて そのように生きているのだ
お前らは たがいに乞食しあって生活しているではないか。
それを忘れてはならない。
食を与えてくれる人
衣服をくださる人
そうした人間すべての恩恵にめぐりあって
はじめて生きていける以上
どうして貪りや怒りなどもてるのか。
萎れたバッシカ草の花びらのように
・・・ 貪りと怒りを捨てなさい 」
釈尊は その捨て方にさらりとした 自然の姿を求め
自然な姿を求め 自己の新しい人間誕生のためにこそ
・・・ 捨てよ と教えるのです。
・・・ 味わい深い聖句(ことば)といえましょう。
* 2010.11 東ブータンで