気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

友をえらぶ ・・・ 2.善と悪は一緒

2010-09-30 09:07:21 | Weblog
悪しき友とまじわるなかれ 上士(よきひと)を伴侶とせよ。

                          (法句経)


・・・ と 釈尊はいっておられます。



してみると

釈尊が「よきひと」を選べ 悪しき友とは絶交しろということは

  ・・・ 何を意味しているのでしょうか。



私は このことばを 「善と悪」というふうに

  二つに分けて受けとってはならない ・・・ と 思います。


これは ひとりの自分の友のなかに

善きところ 学ぶべきところと 価値のない

  まねしてはならない面とをはっきり分けてつきあいなさい

  ・・・ という教えとして受けとるべきだと思います。



釈尊は 善とか悪とか

  どちらかに偏ったものの考え方をしりぞけた人です。



浄と穢(けがれ) ・ 勝と負 ・ 善と悪
 
  それは いつも一緒になっています。


どちらか一方をなくして 善だけとか 浄らかさだけがある

  ・・・ などということありません。

上があるから下があり 毒があるから薬もあるのです。


  ・・・ これが 釈尊のものの見方です。





友をえらぶ ・・・ 1.親の心配

2010-09-30 06:39:49 | Weblog
世の親なら誰でも一度は口にする言葉でしょう。

「よい友だちをえらびなさいよ 悪友はダメですよ」

  ・・・ と 母親は口を酸っぱくしていいます。



しかし 「悪友」も「よき友」である場合があります。


善友 ・ 悪友の区別は

  親が考えるほど 簡単に割り切れるものではありません。


むしろ 若者にとって「悪友」こそ

  友として求めているのかもしれません。



第一に

友人というものは 偶然のチャンスからできるものです。

いわば 人生のめぐりあわせが友を与えてくれるのです。


第二に

友情というものは相手をいい 悪いというへだてをしない

  許しあいのうちからわいてくるものなのです。



いくら親に「悪友」の烙印をおされても

自分に善き友と映っている限り

  けっして友情やつきあいはこわれないものです。



もし 無理に引きさけば

  ・・・ 子どもは反抗してくるでしょうね。





怨(うら)みごころ ・・・ 6.怨みなき心

2010-09-30 06:09:02 | Weblog
「怨みなき心」とは

  内にこもった陰気な心を 思いきって外に出すことです。

「君を長いこと怨んでた。すまなかった」

  と打ち明けてしまう無邪気な心持ちになることです。


さらっとしてしまうことです。


怨み怨まれの気持ちへのこだわりをすててしまうのです。


母に甘える無心の子のように

  ・・・ わざとらしさをとり去ることです。



これ以外に ・・・ 怨みなき心に至る道はありません。





怨(うら)みごころ ・・・ 5.自然に

2010-09-30 06:08:07 | Weblog
火を消すには水
 
雪にはお湯をかければ直ぐとけます。



刺(トゲ)を抜くには 「抜く」だけではだめです。

自然に向こうから抜けてこなければ ・・・ 抜けません。


目にゴミが入ったときは

ただじいっとして 一分なり二分なりしていれば 涙が自然に出て

・・・ ゴミもいつの間にかとれてしまいます。



怨みは なまじっか抜こうとしたら ・・・ 抜けません。



「あなたを怨んでいないよ」

  という気持をもとうとしたら ・・・ とれません。


そのことば自身が ・・・ 怨みの片われなのです。





 

怨(うら)みごころ ・・・ 4.眼中のゴミ

2010-09-30 06:07:30 | Weblog
怨みは 目の中に入った小さなゴミと同じです。


「痛いっ」と思って目をこすればこするほど とろうとすればするほど

  ・・・ だんだん目の中に深く入っていってしまいます。



恨みを なんとかしようと思って悶え あせり いらだっても

  ・・・ それはとれません。


コブのように結びかたまった羽織の紐のようなものです。

  ・・・ 引っぱるほど 紐のコブは解けません。



怨みも ちょうどそのように

おたがいが 怨みを結んで苦しんでくれば

  ・・・ いよいよ深みに入ってゆきます。


「怨み」 「怨まれる」 その思いがある限り

  ・・・ それは 消えません。



恨みにとらわれたら ・・・ もう だめです。






怨(うら)みごころ ・・・ 3.憎悪の焔(ほのお)

2010-09-29 09:23:03 | Weblog
「あいつはあんな風に口ではいうが

  腹のなかはちがう。本心はこうなんだ」と

    相手のおもてを素直にうけとらず 裏へ裏へとみてゆく

  ・・・ これが「怨みごころ」です。



この気持ちはやがて

「いつの日かこの怨みを晴らしてやるぞ。一生かけても」

  ・・・ という憎悪の焔になります。


華やかに着飾ったニコヤカな女性の胸の中に 紳士の腹の中に

  寝つかれぬ怨みごころが燃えさかっていることはしばしばあります。



このつきささった「怨み」は

  ・・・ どうしたら 抜きとることができるのでしょうか。





怨(うら)みごころ ・・・ 2.深く

2010-09-29 06:35:08 | Weblog
「怨み」は「怒り」とちがって 外に現れにくいものです。


そして 口に出しにくいためらいによって

  一層心の深い部分に いつまでもつきささってくるものです。



「あのときちょっと一言教えてくれたらよかったのに」 とか

「あんなに面倒をみてやったのに

  少しも率直に自分の気持をあらわそうとしない」 とか

  ・・・ 愚痴りたくなるような 内に深く含んだ憎しみの気持。


・・・ この気持が 怨みです。






怨(うら)みごころ ・・・ 1.小さなトゲ

2010-09-29 06:05:33 | Weblog
怨みなどたいしたことはない

  自分はいつもさばさばしいる とお思いかしれません。

しかし

人間の心の悩みというものは

  たいしたことのない小さな刺(トゲ)によって

    いつまでも疼(うず)きつづける性質をもっています。


病気でもそうでしょう。

胃が悪いとか 肺が病んでいるとか はっきりした大病なら

  処方箋も書きやすいし

  思いきって手術しようと覚悟をきめることもできますが

小指の怪我や虫歯は 妙に内にこもっていつまでも

  ずきずきと不快な痛みを与えてくれるものです。


「怨み」などと軽く扱いたがる人がいるなら

  それは 刺のささった痛みのこわさをしらぬ人です。


「怨み」というものは

  発散し出しきることのできない陰性な内面的性格をもった痛みです。


この痛みのため人は

  ときに一生を紙屑のようにしてしまうことがあるのです。


しかも 誰にもざらにある悩みなのです。



おそらく 怨み怨まれたことのない人はいないはずです。





交友の理想 ・・・ 2.悪友四種

2010-09-29 05:36:12 | Weblog
第一に 「何物にても取りゆく者」


自分は何も与えようとせず
 
  私利私欲でつきあう友人です。



第二に 「言葉たくみなるもの」


友情を装い 愛嬌をふりまき

  一旦何か事があると 態度をがらりと変える友です。



第三に 「甘言多きもの」


二枚舌の友です。



第四に 「遊蕩のみちづれとなるもの」


酒と遊びのみでつながり

  バクチに興ずるときだけ親しい友だちです。



・・・ 連帯感なく

    巧言令色の実行力なく

    へつらいと友の欠点をさがす

              ・・・ これこそが 悪しき友ですね。




    ・・・ (エジプト) ・・・





交友の理想 ・・・ 1.善友四種

2010-09-29 05:34:48 | Weblog
友人を選ぼうとするとき

 あるいは

友と別れるべきか否か迷ったとき ・・・ その基準です。



第一に 「力づよきたすけとなるもの」


非常のときに自分をかばい助け

借金で困ったとき 必要金額の二倍も融通してくれる友です。



第二に 「喜びにも苦しみにも つねに変わらざる友」


自分の秘密をうちあけ 友の秘密を守ります。

しかも 友の利益のために生命を捨てます。

  ・・・ これこそ 心友でしょうね。



第三に 「善きことばを語るな」


自分の友人が何かに追い込まれて

  悪いことをしようとするとき忠告し

新しいニュースを伝えてくれる友人。

信仰問題を真剣に語り

  宗教について教えてくれる友だちです。

  ・・・ 雑談ばかりしている友は これにあてはまりません。



第四に 「同情ある友」


相手の喜びを喜びとする愛情の友です。

友人の悪口をいうものがあったら

  「そんなことはない」 といい

友人をほめる人があれば

  「そうです」 と支持する友。

  ・・・ 一心同体 といってもよいでしょうね。




    ・・・ (エジプト) ・・・





人生の分かれ道 ・・・ 4.ゆったりと過ぎし日を

2010-09-28 15:01:01 | Weblog
人生に疲れた人

苛立つ人

何のために生きているのかわからない人

食うためにのみ働く人

  そうした あくびの出るような生活をしている人にとって

  ・・・ 人生は長いはずです。


しかし 同じ六十年でも ・・・

自分の生きる真の目的を知り

労働を生き甲斐とし

  何かを創造しようとはげんでいる人にとって

  ・・・ その歳月は 実に短いのです。



そして

倦怠の人生を歩んできた人ほど

  ・・・ 老いて みじめになります。


ふりかえって 自分を満たしてくれる過去の生活がなかったからです。



生活に工夫をこらし

つまらないと思う仕事をも 楽しみにつくりかえ

人生を興奮しながら生きぬいた人は ・・・

  ゆったりと過ぎし日をなつかしみ

    一日一日を満たされて すごしてゆくのです。


味気ない人生だったか

素晴らしい一生だったか

  ・・・ 分かれ道(岐路)は ここにあるのです。




    ・・・ (エジプト) ・・・






人生の分かれ道 ・・・ 3.気持ち

2010-09-28 12:05:10 | Weblog
たとえば 坂道を三時間駆けたとします。

あるときは 親に命じられて いやいや出かけたとします。

べつの日は 好きなガールフレンドに逢うために出かけたとします。


あなたにとって その三時間は全く同じだったでしょうか。


時間も距離も変わらないのに 実感はちがうはずです。



精力の消費量や 走っていること自体は同じでも ・・・

  根本的に気持ちがちがうから

            ・・・ 印象も変わってくるのです。




    ・・・ (エジプト) ・・・




* hatue 塚本さん
   「気が重い上海行き」への貴重なコメント ・・・ 感謝です。

   以前 上海で徐 堅(整膚学園 学長)さんとご一緒した折 
   団体で上海訪問予定の件は
         ご本人から うかがっておりました。

   情報 ありがとうございました。
   ・・・ 今後とも よろしくおねがいします。






 

人生の分かれ道 ・・・ 2.実生活

2010-09-28 09:03:31 | Weblog
一時間より十日

十日よりも十年
 
十年よりも一生は長いと思っていますが

  気のもちよう こころ次第でガラリと様子を変えてくるものです。


下手な話をきかされたら 十分が一時間に感じられますね。



人生も同様です。

少年時代には 一年が永く感じられますが

年をとると 大変短く思われます。


その人の精神性によって いくらでも変わってくるのです。



・・・ 若い人はバカにするかもしれませんが

  ・・・ 実生活というものは そういうものなのです。




    ・・・ (エジプト) ・・・





人生の分かれ道 ・・・ 1.気のもちよう

2010-09-28 06:18:29 | Weblog
眠りえぬものに夜は長く

  疲れたるものにはわずかな道も長し   (法句経)


このあとに

「人生の意義を知らないものにとって迷いは長いだろう」

  とつづいています。



たしかに

眠れないで一晩中寝返りをうっている人に 夜は長いし

疲れたからだには 一里の道も随分長く感じられます。


同様に

正しいものの見方 ・ 考え方で人生を歩まない人にとって

  一生というというものは味気ない

  苦い あくびのでるような長いものに思われてくる

    ・・・ と 釈尊はいうのです。



反対を考えてみますと

何の心配もなくぐっすりと眠れる人にとって 夜は短いし

なにかに夢中になっていると

  あっという間に時間がたってしまうものです。


面白い小説にひきずりこまれ

気がついたら もう陽がのぼり

  夜が明けていたということは しばしばあります。


健康な人は 一里や二里の道を何の苦もなく走りぬけていきます。



短い ・ 長い ・ 遠い ・ 近い というのは

  そのとき気持のもちかたで 随分変わるものです。




    ・・・ (エジプト) ・・・





むらなくやりとげる ・・・ 2.一途に息長く

2010-09-28 05:23:38 | Weblog
たいていの人は

初めは善く

  中はやや善く

    終わりは悪し ・・・ となってゆくものです。



人間の心は ころころ転がって動くことから

  「こころ」 というのだそうです。


初心をつらぬき通せる人は 決して多くはありません。



図書館で本を借りてみるとわかります。

最初の部分は 手垢で黒く汚れていますが

  ・・・ 最後の方にくると 真白です。


マラソンでもスタートにダッシュした選手は

  ・・・ たいてい落伍しています。



初めも 中も 終りも善くゆくためには

よほど強い意志と無理のない節制

  自分にたいするコントロールがなくてはなりません。



人生の青年期にいくら活躍しても

晩年になって薄汚く老いこんでしまうのは

  もっとも醜く ・・・ もったいないことです。



一生のプログラムをつくったなら ・・・

初心をつらぬき

  首尾一貫

    途中でへこたれず

      左右に迷うことなく一途に息長く

             ・・・ むらなくやりとげることです。




    ・・・ (エジプト) ・・・