気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

父親の威厳 ・・・ 9.威風あたりを払って

2011-02-28 06:00:54 | Weblog
むかし 松田道雄さんが色盲親子の話を書いていました。


ある日 子どもから

「ぼく色盲だって校医さんにいわれたよ」と聞かされた父が

  ショックをうけながらも

昂然として人生を闊歩する人間の姿を息子にみせつづけた

  ・・・ という話です。


色盲は男性系統を通じて遺伝することを

  そのお父さんは承知していたから 悩みもし苦しみもしました。

しかし

自分は ある種の色の見わけがつかなくても

  少しも困らない職業をえらんでりっぱに生活している。

それを堂々と息子に見せてやることが

  子どもへの最大のはなむけだ と父親は決心したのです。


「人生は 赤と緑との区別にくらべれば無限に広いのです」

  松田さんは そう書いています。



これが父の心です。

ショックをはねのけて 背筋をのばして進む。

威風あたりを払って歩む。


父性は威厳をもってはじめて花を開き

  ・・・ 次代を継ぐ子供に剛毅 ・ 独立心の実を結ぶのです。




* 2010.11  東ブータンで





父親の威厳 ・・・ 8.動じない父・強い父

2011-02-28 04:14:29 | Weblog
人生には晴れの日もあり 雨の日もある。


父が毎日のように威厳をふりまいていたのでは

  家人も疲れるし 父も参ってしまう。



「いざとなれば父がついている」という気持ちが大切なのです。

いつでも父が用意されている。


万一のときは 父の威力があらわれてくる。

それでこそ 家族は安心できる。


「動じない父」 「強い父」

そして 雷鳴に耳をふさぐ母がある。


この二つの親の素顔から

  ・・・ 子どもは成長の鍵をよみとってゆくのです。




* 2010.11  東ブータンで





父親の威厳 ・・・ 7.いざというとき

2011-02-28 04:13:05 | Weblog
まことの威厳ある父は

  独善を戒め
 
  妻子にゆきとどいた理解をもち

しかも

  剛毅さを内に秘めた人です。


なにごともない平穏無事のときには

  父の威厳は分からなくともよいのです。



いざというとき

  地震や災害のとき

  子どもの大病のとき ・・・ 守護神のような働きをする

そこに 家族は頼もしさを感ずるのです。




* 2010.11  東ブータンで




  

父親の威厳 ・・・ 6.救いの道

2011-02-28 04:12:22 | Weblog
父親衰弱の「父なき社会」は

  母親の神経症を昂進させ 母性喪失と子ども殺しや

  人格の成熟がおくれた子どもの激増を促している。


たとえば 十代の子どもの自殺は

  人格成熟のともなわぬ肉体的早熟のアンバランスによる異常行動だ

  といわれていますが ・・・

その決定的要因は ・・・ 父の精神的不在にあるといえましょうね。



救いの道はただ一つ。

父が 威厳ある父の心をもって ・・・ 家族に臨むことです。




* 2010.11  東ブータンで





父親の威厳 ・・・ 5.内面的に強い父

2011-02-27 12:00:15 | Weblog
威厳さは ・・・

第一に 神経の太さと勁(つよ)い意志力に支えられています。


第二には 何ものにも動じない不動心と

  家族の生命と家の名誉 独立を守るために死闘を厭わぬ決意によって

  支えられています。


第三に わが身はどうなってもよいという利他心と労働の誇りで

  固められています。


そして 鋭い自己反省です。

「 威厳はまず己に行わざるとき 則(すなわち)人怨みて服せず 」

  という内省の心。

「 人を攻める心をもって己を責めよ 」

  という自己呵責の心。



そうした自己鍛錬の結晶が威厳となってあらわれてくるのです。

いうなれば

  内面的に強い父にこそ威厳はそなわるといってよいでしょうね。



いまのお父さんには この強さがありません。


母親に逃げられて心中したり

中 小学生の子どもに離縁状をつきつけられて家出したり

  ・・・ まったく不甲斐ないかぎりです。




* 2010.11  東ブータンで




  

父親の威厳 ・・・ 4.自信をもって

2011-02-27 08:51:36 | Weblog
ときには 子どもは父の威厳や要求、命令を

  演技か芝居のように受けとることもあるでしょうし

父親らしい体裁をつくってるだけだと

  底意を見抜くような態度を示すかもしれません。


そんな場合 父は何も屈辱感を味わう必要はないのです。

子どもは近寄りがたい父の力に苛立っているだけなのです。



自信をもって父の威厳を保ちつづければよい。

なぜなら 父の威厳というものは

  ・・・ そんな安手なものではないからです。


土台をみればわかります。




* 2010.11  東ブータンで





父親の威厳 ・・・ 3.家父長批判

2011-02-27 04:13:06 | Weblog
家父長批判などという女々しい意見にとらわれる必要はありません。


剛毅な子ども 真実を貫く子どもを育てるには

  父は 威厳をもって臨み 一歩も退かぬことです。



もちろん 子どもは反抗するでしょう。

それでよいのです。


実の父と息子が 怒鳴りあったり殴ったり

  涙をポロポロ流して生きることを見つめあうことができるなら

父の威厳は 素晴らしい教育性を発揮したことになりますね。




* 2010.11  東ブータンで





父親の威厳 ・・・ 2.剛毅さ

2011-02-27 04:12:07 | Weblog
父親の精神性のうちで大切なのは 剛毅さを思わせる威厳です。


子どもは これに反発し 否定しようとします。



父と子の確執の底には いつも父の「威」が作用しているものです。

ことに その威厳が自然に備わっている場合

  子どもは畏敬の心をいだきながらも 激しく闘いをいどみます。



威厳というと すぐにそれは

  昔の家父長制的支配への郷愁だ とののしる人たちがいます。


・・・ 愚かなかんぐりです。




* 2010.11  東ブータンで





父親の威厳 ・・・ 1.情けない話

2011-02-26 05:30:59 | Weblog
さいきんは 父がいてもいなくても

リビングルームの雰囲気が少しも変わらないような家庭が

  ふえているようですが ・・・ 情けない話です。


おそらく 母と子が家庭を支配しているだけでなく

  父親そのものが生活落伍者(アウトサイダー)なのでしょう。

そんな家庭に育った子どもは

  一生 父の思い出をもつことができないと思います。



父というものは ただそこにあるだけで

  家族に緊張感を与える威厳がなくてはなりません。

父には 父らしい威厳が必要です。


咳ばらい一つにも 何事かを予測させる響きをもつ力が

  父には 備わっていなくてはならない。

威ばり散らせというのではありません。

そんな無用のサービスをする暇はないでしょう。



自然な威厳 「威あって猛(たけ)からざる」

  父の生理と気質に根ざした働きが必要なのです。




* 2010.11  東ブータンで





父の誇り ・・・ 一本の道

2011-02-26 04:38:14 | Weblog
どの父も かならず一芸に秀でているものです。


ほかのことは不器用でも

  何か一つ 他人を寄せつけないものがある。

それが 父の職業の誇りです。



父はけっして 多芸である必要はない。

一途に ・・・ 一本の道を進めばよい。


そこに 母や子が惚れこむのです。



なにひとつ専門をもたない父では 惚れようがありません。




* 2010.11  東ブータンで





父親の心 ・・・ 開拓者の意気

2011-02-26 04:36:46 | Weblog
このひろい人生には 損も得もある。


だが 利害の観念を離れて

  開拓者の意気そのものに満足したいのが ・・・ 父親の心です。



人類の歴史は 失敗のつみ重ねです。

どんな不安や危険があっても それが当たり前のことなのです。



先人たちは 今日の文明分化を築くために

  人参一本にさえ 毒か 薬か

  ・・・ 生命を的に開拓してくれたのではないか。




* 2010.11  東ブータンで





父のガンコさ ・・・ 生首を担保に

2011-02-25 06:30:05 | Weblog
「 父のガンコさとは 生首を担保にした言動である 」 といわれます。



一度いい出したら ・・・ 後には退けないのです。

匹夫の情です。


心底から間違っていたと自覚しない限り

  撤回不能なのが ・・・ 父のガンコさです。



子どもは

  この父のガンコさの背景と理由 ・・・ を知らねばなりません。




* 2010.11  東ブータンで





父の「不在」 ・・・ 母親の腕

2011-02-25 05:17:27 | Weblog
父の「不在」を効果的に子どもの教育に生かすのは

  ・・・ 母親の腕です。



「お父さん会社で何しているの」

「どうせ机の引き出しを出したり入れたりしているんでしょ」

こんな答えをする母親は ・・・ 落第です。


言われた子どもは 父の不在を蔑(さげす)むようになります。


尊敬も 信頼も ・・・ 喪(うしな)ってしまいます。




* 2010.11  東ブータンで





無限の中に ・・・ 3.慈悲

2011-02-25 03:39:27 | Weblog
地獄こそ分相応の場所 と言いきることができたのは

  モウタスカラズトモ ヨロシュウゴザイマス と同じではないか。


ここではじめて

  助かりたい というあつかましい期待が死ぬのだろう。

そこではじめて

  自分の足が地について しっかりと歩みだすことができるのだろう。



慈悲とは

  目の前をうろちょろするものに心を奪われることなく

  自分の足でしっかりと歩める人間に

  ・・・ 私たちを仕立てなおすことであったのだ。





(再掲)
      慈悲の唄

                 竹部 勝之進

  モッタイナイコトデス

  モッタイナイコトデス

  ワタシヒトリハ

  ワタシヒトリハ

  モウタスカラズトモ

  ヨロシュウゴザイマス

  モッタイナイコトデス

  モッタイナイコトデス




* 2010.11  東ブータンで





無限の中に ・・・ 2.過分

2011-02-24 13:00:35 | Weblog
おかげ様で助かりました

  ありがとうございますというのなら 慈悲の唄もわかるが

助からなくとも結構ですに慈悲 ・・・ とはどういうことだ。



信心は逆説的だとよくいわれるが この人の表現もまったく逆説的。


この人は 助かっていればこそ

  もう助からずとも結構です といえるのではないか。


もったいないとは

  自分の今おかれている場所が過分である

  ・・・ という喜びなのであろう。



過分である ・・・ 分にすぎているとは

  自分の分際をよくわきまえているからだろう。


親鸞は いずれの行も及びがたき身なれば地獄は一定すみかぞかし

  といわれた。

親鸞も おのれの分をよくよく心得られたのであろう。





(再掲)
      慈悲の唄

                 竹部 勝之進

  モッタイナイコトデス

  モッタイナイコトデス

  ワタシヒトリハ

  ワタシヒトリハ

  モウタスカラズトモ

  ヨロシュウゴザイマス

  モッタイナイコトデス

  モッタイナイコトデス




* 2010.11  東ブータンで