KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

一人暮らしの台所

2007-02-16 17:25:32 | 趣味
いろいろなところで言っていることだが、
わたしは草月流の師範(師範四級)の資格をもっている。

華道にはいろいろ流派があるわけだが、
その中で草月流の特徴は、と聞かれたら、わたしは間違いなくこう答える。

「その場所に生ける…ってことを大事にするところかな」と。

草月流というと刈屋崎先生があまりにも表に出すぎてしまって、どうも「自分の生けたい場所を探す」というイメージが強いようなかんじがする。
わたしはどちらかというと、「場所」まずありき、というタイプ。

あんまり床の間とか玄関とか、「いかにも」の場所は好きじゃない。
最近はわが町の文化祭でも作品を発表していないけれど、それもそんな理由がある。
ホワイトボックスが嫌いなのだ。もっと変わったところがいい。
一見、花なんかと無関係そうなところが、好き。
場所の匂いが強いところのほうが、わたしは好き。
(こう考えてみると、わたしもそういう場所を探している、ということになるのかな。)

だけどもちろん、そういう場所は長く花を飾っておくことができないので、一瞬だけ花をおいてみて、写真を撮っておくことにした。
…この写真をためていって、文化祭で発表する…っていうのじゃ、ダメかなぁ?とこんどわたしの師匠に聞いてみよう。

第一弾は、我が家の台所。
台所は、わたしの好きな場所のひとつだ。
すべてのものに合理性があって、すべてのものが生命とつながっていて、無駄がない。

★遅咲きガール★

2007-02-16 14:36:07 | わたし自身のこと
生物というものは、とても、うまくできていると思う。

わたしの所属する大学の実験心理学の先生の中に、
動物実験で恋愛行動を確かめる…という、大学院生になった今から考えると、おそろしく先進的なことをやっていたなぁと思える、偉大な先生がいた。

その先生は、わたしが大学2年生だった当時、鼻息が荒いことで有名で、
そしてその鼻息はマイクに音声として拾われてしまうので、
宿命的に学生たちにネタにされていた。
「~ですーっ…フゴー(←鼻息)」という言い回しは、かなりわたしの周囲でブームだった。(同じころに、「kimistevaウォーク」もネタとして流行していたという話はまた別の話)


その先生は、その鼻息の荒さも去ることながら、
言い回しがいちいち印象的で、多くの名言を残した。
その名言のひとつに、

「セックスなんて動物だろうが人間だろうがやることは一緒。なんの面白みもない。面白いのは、それまでなんですーっ…フゴー」

というのがある。
1年生必修の基礎科目「心理学」で18歳前後の少年少女相手に、そんな話しなくても…、とも思いつつ先生の話を聞いてみると、面白い部分というのは「恋愛」、すなわち、できるだけ無作為に(そしてできるだけ進化に効率が良いように)相手を選ぶプロセスだという。

そう考えると、一番効率が悪いのは、「ペアができない」状況が多々発生すること。でも、実際はけっこうスムーズにペアは形成される。
これってすごい。

人間も同様で、
いくら、自分の顔が悪いとか、プロポーションが悪いとか、悪いところを並べあげて絶望的になっていても、
結局、そういう不完全な誰かを好きになってしまうのだし、
不完全な自分も誰かに好かれてしまう。
ただし人間の場合、生物的な進化云々よりも、社会・文化的な要因のほうが強いから、このペアは生物学的な要因によるペアというよりも、社会・文化的な要因のためのペアなのかもしれないけれど。

それはともかく、
そんなシステムのおかげで、わたしも孤立することなく生きていけるのだが、
それでも、「自分が孤立せず存在するための」「好かれるための」コミュニケーション・パターンというのが安定し、確立するにつれ、自分がどんどんそこから離れられなくなることに一種の絶望感を抱くことがある。

こうすれば、「好かれる」ことはわかってる。
だけど、だとしたら、そうでないわたしはどうなるの?

そんな不安を、試すこともできないまま、漠然と抱えてしまうことになる。

そんなとき。
自分を他のコミュニケーション・パターンに誘ってくれる他者が存在することは、これ以上なく、ありがたいことだ。
とにかく、うれしい。喜ばしい。
飯田橋駅西口前を「わーい♪」と言いながら、とびはねてしまうほど、うれしい(実話)
突然、任天堂DSを買おうかな、と思えてくるほどうれしい。
わーい♪わーい♪わーい♪


この日、関東には春一番が吹いていたらしい。
そんな「遅咲きガール」な一日だった。

…誰かに無条件に優しくされることって、稀有な経験だよね。
わたしも、誰かに対してそんな存在であれるだろうか。
いつでも、そうありたいと願うよ。