KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

気楽な参加の意味

2007-02-25 19:43:24 | フィールド日誌
今日は、水戸芸術館で調査を開始して初めて、なーーんにも調査のことを考えず…、フィールドノートも書かずに、一日、カフェスタッフのボランティアを楽しみました。


日本のエスノグラフィー調査の神(今や)、佐藤郁哉先生に怒られるかもしれませんが、一昨日のフィールドノートを清書し終えて、論文にまとめられそうな見通しがたったので、安心してしまいました。カフェの調査は昨年もやっているし…、というのもあります。

それはともかく、一日ただカフェスタッフとして過ごしてみて、発見すること・気付くことが多くて驚きました。
調査のためにと考えているだけで、視点が凝り固まっていってしまうものなのかもしれません。そのことを思いしりました。
そして、調査のことを考えてばかりで、自分のことを話すことに躊躇していたこと。それが大きな足枷になっていたことにも気付きました。

自分の思ったこと・感じたことを、なんでも、率直に誰かに伝えてみたので、当然、否定されたりしました。けっこうたくさん。
今日何度、首をかしげられたり、「そうですか?」と言われたりしたことか。
そんなことは自分から何か言ってみなければわからないことです。

で、いちいち、ちょこちょこ傷ついたり、気を揉んだりしてわかったことは、わたしがあの場で気楽に過ごすための方法論を会得してないということです。
きっと気をつかわなくて良いところで気を揉んだり、気を遣うべきところでとんでもないことをしているのでしょう。

そのことがわかりました。
見ている対象もおなじように見えていないときもあるし、きっとそこになにかがあると思うのです。それはいったい、なんだろう?