日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

やっぱり貴方はオンリーワン!

2018-05-30 21:20:11 | ものの見方 考え方
こんばんは。
このところ毎日のことですがはっきりしないお天気が続いております。
曇って今にも降りそうと思っていると晴れ間が覗いたり、かと思うとパラパラと降ってきたりと安定しません。
そういう時期なのかもしれませんけれど、どうにもな;な感じです。
これから梅雨にもなるのでしょうし、しばらくはこんなお天気なのかもしれませんね。


  
                               

                                 






                                




昨夜は五月の満月。
とはいえ先に申したようにお天気が今ひとつで、いつ月が昇ってきたのかもわからないくらいでした。
自分はあまり知らないのですが、どうやらこの満月の夜はウェサク祭として世界中で祝うそうで日本では鞍馬寺が有名らしいですね。
元々はヒマラヤのウェサク渓谷で始まった釈迦、ブッダの記念祭なのだとか。
釈迦の誕生日、悟りを開いた日、また入滅した日が全てこの満月の日であったことから制定されたとのことです。
いずれにしても世界中の人々が同じ満月を見ながら祈りを捧げるというのは素敵なことだなぁと感じます。

神道でも満月、新月の日は特別とされておりますけれど、やはり月には人の心や身体に訴える力があるのでしょうね。
重力の関係も、これもよく言われることではあるのでしょうけれど。
そんな満月、寝る前に少しだけ雲間から姿を覗かせてくれました。
写真を撮ると、あっという間にまたもや雲に隠れてしまいましたけどね;。





                                  






                                  



                              


                                   





この月もですが、今少しだけ星を習っております;。
え?何それ?と言われそうですけれど;。
占星術、皆さんもよくご存じかと思いますけれど普通に拡まっているのはおそらく自分自身を中心としてその周りを太陽やら他の惑星がどこの位置
にいるかを見るものだと思います。
習っておりますのはそれとは違い、太陽を中心にした見方のものです。
いわば天動説で見るか地動説で見るかの違いになるのだと思います。
まだ習い始めたばかりで殆ど何もわからん;状態でもあり、とても、習っておりますの、なぁんて自慢気にいえるものでは到底ありません;。
ですけれど太陽を中心として、自分が生まれた時間にこの太陽系の星々が一体この宇宙の(というのは大袈裟ですが;)どこへ居たのかというのを
たとえ平面、二次元であったとしても図の中でその位置を見られるということに自分はとても興奮しました。
申すように天動説か地動説か、要するに自分中心か或いは少しだけ俯瞰して見ているかの違いなのだと思うのですけれどね;。
またメジャーな占星術を殆ど知らないが故に、何がどう違うのかすら全くもってわかりません;。
何度も申すように全くのど素人です。
けれど何も知らないことで習うことに新鮮味があり、面白いのも事実です。

毎月千田さんに惑星オーラカラーリーディングの講座を受講させて頂いておりますけれど、それとはまた別の角度、観点から見るようですのでいわば
全くの別物という気がします。
彼女のワークはとても仔細で緻密な内容で、とても素敵です。
毎回習わせて頂くことも違っておりますし、いつも楽しみです。
ですので今習おうとしている星のことは殆ど別物のような思いで習わせて頂こうと考えております。

ただしこれから習うことが果たして自分の身につくのかどうか、こればかりは習ってみなければわかりません;。
四十の手習いならぬアラカンの星読み;?となりますかどうか、というところです;。(笑)





                                   




そんな習い始めたばかりのものですけれどこのヘリオセントリックチャートというものに自分の家族、向こうの世界におります主人、それに息子の
それぞれの生年月日等を入力して見てみました。
当然ではありますが、家族三人のこのチャートを見比べると全くの三人三様、似ている部分があるようにも感じられますが全く違います。
それこそ生まれた人の数だけのこの時の星の位置があるわけですよね。
なんとも不思議な気がして、というよりも見た瞬間、わぁ、すごい!と思わず感動したくらいでした。
申すように二次元で表された図ではありますが、自分という一人の人間がこの世に生まれ出て来た時の天体の位置、それはこのようになっていたん
だと思うと、逆にこの星がこのような位置の時に自分は生まれたともいえる訳で、いずれにしても何とも言いようのない神秘な巡り合わせを感じた
のでした。
何もこのヘリオセンといわれるものではなく、普段目にする占星術のチャートに於いても同様に天体の位置は描かれているわけでして、これも先に
述べたように見方が違うだけのことです。
いずれにしましても自分が生まれ出でた時間の天体の位置、各人各様千差万別、全く違うのだと考えると、自分と隣の人、自分の家族でさえも似て
いてもどこか違うというのはこういうことなのかな、とも感じた次第です。
そう思うと一人ずつがとてもユニークで貴重な存在なのだと改めて感じたのでした。
みんな違ってみんないい、そんな言葉が確かありましたが、それこそ生まれた時からみんな全く違ってて、でもそれがとても素敵なことなんだと素直
に思えたのでした。




                                      






これまでの時代、殊に日本という国に於いては人と変わっているのはどうも良くないとされる風潮が大きかったように思います。
そんな考え方も大分変わって来ておるようですが、まだまだ出る杭は打たれるとの譬えのように横並びで居るほうが良いと言われることも少なく
ありません。
しかしこれからの時代、それこそ生まれて来る次代を担う子供達はますますユニークな個性を持った子達が多く出てくるのではと思います。
それぞれが違うけれどそれぞれを認め合える時代、それがこれからの時代、ひいては地球の在り方になってくるのではとも感じます。
どんな星のもと、ではなくどんな星の並びの時にこの子達は出て来るのでしょうね。
チャートを見ながら、そんな未来の事を感じました。




                                    






                                     






                                      




今日は神様もテラも、だあれも出てこない弊ブログとなりました;。
龍の話を待って下さっている方がおられましたらば、申し訳ございません。
また彼はひょっこりと顔を出すかと思います、少しだけお待ち下さいませ;。(え?わて、モテるんかいな、嬉しいわぁ)

そんな今日のブログへお付き合い下さいました皆様、いつも有難うございます。
感謝申し上げます。
コメント (2)
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