日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

稲荷山 あれこれ

2017-06-01 22:34:00 | 神様等について
こんばんは。
このところ、朝からくぐもった感じの日が続いております。
今ちょうど雷鳴が聞こえたりしているのですけれど、このシチュエーションも昨日と同じ。
降りそうで降るのかどうか、雨雲レーダーを見ると相当に降っている箇所も見受けられるのですけれどね。
いきなりの激しいゲリラ豪雨は勘弁願いたいものではありますね。
と、そんな今朝のお日様。
PM2.5なのかどうか、かなり靄っています、既に梅雨を思わせるような雰囲気なのでしょうか。

                              

昨日、通称お稲荷さんのことを書かせて頂きます、とまるで連載みたいなことを申しておりましたので、今日はさてどうしたもんだ
ろうかと思ったのですけれど、やはりこのまま続きに突入してみたいと思います。
(新しいことを仕入れた?ので、そちらにしようかとも考えたのですけれどね;)

                               

お山を降りてからは、あとはまた広島へ向けて帰るだけです。
その頃は免許も持っていない自分でしたので運転は後に主人となる、その人のみ。
とはいえ、此処まで夜通し一睡もせず走って来てそのまま一峰まで上り下りし、今度はまたひたすら車を動かそうというのですから
かなりきつかったには違いありません。
途中どこかのSAだかに30分程車を停めて仮眠を取ったあとは、中国山地の山の中を時たま白いものが舞う道を帰ってきたように
記憶しております。

御本殿では御祈祷はしなかったのか、といわれるかもしれませんね。
どうしても何か大きな願い事等がある場合は、やはり御本殿にて神職に御祈祷を申し出ます。
それ以外では、大抵先に綴ったように自分達でお山へ登り、自らが信仰するそれぞれの「お稲荷さん」、稲荷神へ参拝しておりました。
御祈祷を受ける際には、やはりそのような服装にて参っておりましたので、今回のように軽装ではない事を付け加えさせて頂きます。

ところで、こうしてお山へ登っておりますと、この最初の時にはあまり感じなかった、というよりもこの時は登ることのみに気を取られて
おりましたので、周囲のことはさほど気づかなかったのですが、結婚後幾度となくこのようにして、特に夜明け前頃から登り出すと、結構
不思議なことにも遭遇していたように思います。

そんな何回目かに登っておる時、自分達の行く道、階段の傍らの藪の中を何かがガサガサと音を立てながら同じような足取りでついてくる
ものがおりました。
姿は見えないけれど、何か気配を感じるのですが、それが何かはわかりません。
怖い感じがそのような時はしそうなものですが、そんな風にも思えませんでした。
同じ歩調で進みながら行く自分達の横を、その足音のようなものは、時には前になり後になり、つかず離れずにひたひたという感じで
ついてきます。
やがてお山に着くとその気配は何処かへ消え去っていました。
いつものように参拝する末高稲荷の神様の前で拝礼し、さて下りようかという段になり、やっと二人で気づいたのは、先ほどのあの何者かは
おそらく眷属であるお狐さんだったのではないのかな、と。
確かに、姿は見えぬのにどことなく寄り添うようにして来てくれていたのはそうであったのかもしれません。
これまでにも、そのようなことはあったのかと主人に質すと、あることはあったけれど、ここまではっきりとはしていなかっように思うとの
ことでした。
年に数回、こうして夜明け頃にやって来る我々を歓迎してくれたのかもしれません。
そういえば、その自分の最初の参拝時には「よろしからぬ」方の狐がついて来ようとしていたのでしょうから、お山に居る「まとも」な狐に
案外と認めてもらえたのでしょうか。
真相はわかりませんが、そのような出来事もありました。

かと思うと、これは後ろからかなりのスピードで走ってくる音がすることがありました。
徐々に近づいてきたその音は、我々をあっという間に追い越して行きます。
その正体、こちらはお山の頂上にあるお茶屋さんに配達をする新聞屋さんの足音でした。
おそらくどこかの陸上部に所属する選手なのでしょう、その俊足に物を言わせて自分達がふうふう言いながら登って行くその階段を、なんの
ためらいも無く駆け上がって行く様は、見ているこちらが爽快感を覚えるほどでした。
でもその実、こちらの足音の方が、先に述べた狐さんのそれより、遥かに怖かったのも記憶に留めております。

                                                          
そういえばこんなこともありましたよ。
頂上にあるお茶屋さん、申すように大概は朝早くのこととて開いてはいないのですが、たまに日中の時間帯に登ることもあり、そんな時には
此処で一服しておりました。
自分達が休んでいると、「ただいま~!!」と元気な声のランドセルを背負った小学生の女の子、どうやらこちらのお嬢ちゃんのようです。
「○○ちゃんちに遊びに行って来るー」というや、文字通りランドセルを放り投げるようにして置いたかと思うと、今帰って来た階段を駆け
下りて行きます。
「気ぃつけていくんやでー、あんまり遅うなったらあかんよー」というお父さんの声に「わかったー」と返す声はかなり遠くから聞こえて
来ていました。
何度も申すようですが、階段を登るだけでひぃひぃ言う自分達でしたが、此処へ住まうお嬢ちゃんにしてみれば通い慣れた通学路、生活道路?
でもあります。
毎日となると、やはり違うもんだねぇと感心したものでした。
その何年か後に、そのお茶屋さんで件のお嬢さんのことをうかがうと、「ああ、あの子はついこの前結婚したんとちゃうか?」
とお店に来ていたお客さんが教えて下さいました。
え?あの小学生だった子が?と思うと、その分自分達が歳を重ねていたのでしょうね、月日の経つのは早いものだ、とその時つくづく感じ
たものでした。

その頂上、一峰は当然、神職も日に一度はこちらへ参拝され祝詞を奏上されておられます。
その方々もまた、我々同様、お山への階段を一歩一歩白衣に袴姿で上り下りされます。
交代でなさるようですが、つい大変ですねとお声を掛けると、これもお勤めですし、慣れるものですよとのおこたえでした。

稲荷山、まだまだ多くの謎に満ちたような場所でもあります。
いつもなら通いなれていると思っているその道も、時として惑わされるようなこともあり、あれ?此処どこだろう?というような事もごく
稀にではありますが、経験があります。
行けども行けども見知った場所にたどり着かない、ようやっと出たと思う場所は、考えていた処より遥かに遠かったということもありました。
主人などは若い頃、一人でお山へ参拝した後、どこでどう間違えたのか、なかなか下の御本殿までたどり着かない、それでもなんとか人里
まで着いたと思い、そこで出会った人に尋ねると、自分が居た伏見区ではなく隣の山科区へ出ていたということがあったそうです。
これなども俗に言う、狐に騙された、ということなのかもしれませんね。
日中でも、ともすれば薄暗い山の中、同じような風景やら鳥居の連なる様、或いは途中で二股に分かれた道など、ちょっとしたことで迷う
要因かもしれません。
しかし今はどうなんでしょうね、皆さん殆どの方がスマホを持つ時代でもあり、それにあるアプリというのでしょうか、地図等に従って
おれば案外すんなりと上り下り出来る「お山」なのかもしれません。

                               

不思議を書き出すと、まだまだわんさか出てきそうです。
お伝えしたいことも沢山あります。
宇迦之御魂大神、豊穣の神様として豊かさをもたらすとされるが故に多くの信仰を集める神様です。
その真のお働きについては、申すまでもなく数多の方の知るところでもあるかと存じます。
その事について、またそれらも含めて機会を改めて今一度書かせて頂こうと考えます。

                              


今日もこのブログにお付き合い頂きまして有難うございました。  
                                 
                               



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