8月13日(水) 道の駅「なるさわ」を出発した私たちは、本栖湖畔の道路を通り、下部温泉方面へ向かった。
本栖湖畔の道路を過ぎると、突然曲がりくねった道路にさしかかった。
眼下には、深い谷が見えている。
道路は急傾斜地の山沿いを這うように作られ、愛車は連続する急カーブをすべるように高度を下げながら進んで行く。
富士五湖からの道路が、こんなに下の方まで降りて来ていることに驚かされる。
降りてきた麓の道から、山並みを見ていると、富士五湖事態が、ずいぶんと高い位置にあることが、実感として湧いてくる。
愛車は程なくして、道の駅「下部温泉」に着く、駅の中を少し覗き、すぐに身延山(みのぶさん)方面へ出発して行った。
出発して間もなく、JR身延線の曲くねった線路が見え出した、2両編成の普通電車が通っている。
地方独特ののどかな田園風景のひとコマで、落ち着きを感じてくる。
愛車はさらに進む、程なくして、大きな川が見え出した。
甲府方面から富士山の裾野を流れ、駿河湾、太平洋に注いでいる富士川である。
こんな山の中で、このような大きな川が流れているのは、少し驚きであった。
愛車はR300号線からR52号線に入って、富士市方面に南下して行く。
しばらく走ると、身延山方面の看板が見えだし、右方向に入って行く。
この道路は、道幅も狭く、あまりスピードを出すことはできないが、愛車は高度を上げ、どんどん進んで行く。
眼下には、先ほど通った富士川と、周辺の猫の額ほどの田園が見えてくる。
田園の先には、幾重にも重なる大小の山並みが見えている。
美しい光景である。
助手席の妻が、この景観が気に入ったのか、車窓からカメラのシャッターボタンを押している。
そして、しばらく走り続けて行くと、樹齢何百年かの大きな杉の木が見え出し、そこから、少し行った所に身延山久遠寺駐車場があった。
時間も午後5時になっている。
身延山久遠寺の境内は、西方からの、太陽光線の山影に、すっぽり覆われている。
ここは、一般参拝者の駐車場ではなく、かなり上側の寒露門の下にあった。
駐車場から寒露門の石段を登り、門をくぐると、広い境内があり、その回りに伽藍のお堂や付随する建て物が数多く立てられている。
久遠寺伽藍のスケールの大きさには驚かされる。
妻が、毎年のようにここを訪れている、知人の話しを思い出していた。
話しの内容と、実際の景観が、合致しているようで、盛んにうなずいている。
境内には、拝観時間を過ぎているせいか、私達以外に参拝者は見当たらなかった。
駐車場の入り口には、この寒露門があった。すぐ下には女坂がある。
寒露門をくぐると左側にこの時鐘がある。そして境内左にこの開基堂があった。
寒露門をくぐると右側にある法喜堂と正面の仏殿
仏殿の右部と客殿(右側)
寒露門をくぐると正面にある仏殿
西側からの見た仏殿左部
御真骨堂の拝殿、奥には白亜の八角堂内に日蓮聖人御真骨を奉安している。
御真骨堂拝殿入り口上の飾り
御真骨堂拝殿への石段左側の池
身延山久遠寺は、鎌倉時代に日蓮聖人によって開かれたお寺である。
日蓮宗の総本山として、門徒の帰依処として知られています。
身延山は甲斐の国(山梨県)の東に富士川、西に早川を見下ろす所にある。
豊かな緑に包まれ、通称、千本杉の名で知られる天然記念物の美杉が、身延山久遠寺を一層厳かなたたずまいにしている。
日蓮聖人は「身を隠せ」との故事により、この地方の領主であり、信者でもある南部実長公の支援のもとに1274年(文永11年)に入山して、久遠寺を建立する。
以来、日蓮聖人は、この地でひたすら法華経の読誦と門弟達の育成に終始し、身延山を生涯の住処としています。
しかし、日蓮聖人は両親の墓参の為、山をおり、常陸の国(茨城県)に向かう途中の武蔵野国池上(東京都太田区)にて、61歳の生涯を閉じられました。
三門から菩提梯、本堂を結ぶ287段の石段を登ると境内があり、その左にこの水屋がある。
赤い伽藍の祖師堂と奥の本堂
本堂と大鐘に囲まれた祖師堂
見事な赤い伽藍の祖師堂
祖師堂屋根の軒下の飾り
祖師堂入り口の見事な飾り、中には祖師日蓮聖人の像があり、左右には両親の霊碑や直弟子六老僧の像が祀られている
大鐘と工事中の五重塔
本堂 拝観時間が過ぎているせいか、すべての扉は閉じられていた
海抜1153m身延山 奥の院を結ぶロープウエー7分で到着
三門をくぐると287段の急な石段が境内まで続く、高さ104mの菩提梯、悟りに至る梯(きざはし)の意味が込められている。
門前町のはずれにある大きな三門、京都の知恩院、南禅寺の門とともに日本三大門に数えられ、左右には仁王像、楼上には16体の羅漢像が祀られている。
今回、急に思いつき訪れた身延山久遠寺、前々から一度行ってみたいと思っていたので、 丁度良かったが、拝観時間を過ぎてからの到着で慌しい見学となった。
久遠寺にある全ての伽藍や宝物館の内部、それに奥の院などの見学は出来なかった。
それに、一番大切な本堂に参拝することすら出来ずに残念であった。
また、違う季節に来たいと思った。
この身延山久遠寺の伽藍や境内を散策している間に、奥の深さを感じて、もっと知りたいと思った。
今年6月に訪れた高野山とは、また、違った魅力を感じてくる。
高野山も身延山も、同じような山の中にあるが、高野山は山上の盆地に作られた宗教都市である。
この身延山は標高1153mの高さにある。
山頂からは富士山が見渡せ、周辺に奥の院があり、山の中腹までロープウェーで結ばれている。
この中腹には、大きな杉の銘木に囲まれた久遠寺の境内があり、回りには多くの伽藍が建てられ、厳かな雰囲気をかもし出している。
そして、中腹の境内から104mの下まで、287段の石段があり、石段を降りた所に大きな三門が建てられていて、麓の門前町の市街に通じている。
高野山は伽藍や門前町が横の並びにあるのに対して、身延山は縦の並びにある。
それだけに、大自然の奥深さや、自然との一体感を感じさしてくれる。
やはり、人々の心は、こういった大自然と触れ合ったり、厳かな雰囲気を味わうことで、自然と落ち着き、安らぎを感じてくる。
このことが、体の中でエネルギーとなって、夢と希望と明日への活力を与えてくれているように感じてくる。
門前町の街並み
身延山久遠寺の見学を終えた私たちは、門前町を通り、富士川に沿って走っている国道52号線に出て、富士市方面へ向かって行った。
52号線は信号機も少なく快適な道路であったが、富士市内の国道1号線にはいるまで、若干の渋滞があった程度でスムーズに走れた。
途中のスーパーで夕食の買い物を済ませ、今日の車中泊先を、幾つかの候補をあげながら検討していた。
この時間帯ならば静岡市近辺まで行けそうであった。
愛車は国道52号線に別れをつげ、国道1号線に入った。
幸いにして、この道路はほとんど高架になっていてスムーズに走れた。
静岡市街を少し通り抜け、1号線バイパスに併設している道の駅「宇津ノ谷峠」があった。
その道の駅に、今日の宿泊先を決めて30分ほどで到着する。
到着した時の時間は午後7時30分頃であった。
この道の駅の駐車場は、多くの単車やトラックで満杯であったが、幸いにして、すぐに出発して行った。
早速、車を止め、夕食の準備をして、程なく準備も整い、楽しい夕食が始まった。
車内で北京オリンピック放送のテレビを見ながら、妻と二人で杯をかたむけるのも格別の味である。
今日一日の行動を思い出しながら、車中での深い眠りにはいっていった。
本栖湖畔の道路を過ぎると、突然曲がりくねった道路にさしかかった。
眼下には、深い谷が見えている。
道路は急傾斜地の山沿いを這うように作られ、愛車は連続する急カーブをすべるように高度を下げながら進んで行く。
富士五湖からの道路が、こんなに下の方まで降りて来ていることに驚かされる。
降りてきた麓の道から、山並みを見ていると、富士五湖事態が、ずいぶんと高い位置にあることが、実感として湧いてくる。
愛車は程なくして、道の駅「下部温泉」に着く、駅の中を少し覗き、すぐに身延山(みのぶさん)方面へ出発して行った。
出発して間もなく、JR身延線の曲くねった線路が見え出した、2両編成の普通電車が通っている。
地方独特ののどかな田園風景のひとコマで、落ち着きを感じてくる。
愛車はさらに進む、程なくして、大きな川が見え出した。
甲府方面から富士山の裾野を流れ、駿河湾、太平洋に注いでいる富士川である。
こんな山の中で、このような大きな川が流れているのは、少し驚きであった。
愛車はR300号線からR52号線に入って、富士市方面に南下して行く。
しばらく走ると、身延山方面の看板が見えだし、右方向に入って行く。
この道路は、道幅も狭く、あまりスピードを出すことはできないが、愛車は高度を上げ、どんどん進んで行く。
眼下には、先ほど通った富士川と、周辺の猫の額ほどの田園が見えてくる。
田園の先には、幾重にも重なる大小の山並みが見えている。
美しい光景である。
助手席の妻が、この景観が気に入ったのか、車窓からカメラのシャッターボタンを押している。
そして、しばらく走り続けて行くと、樹齢何百年かの大きな杉の木が見え出し、そこから、少し行った所に身延山久遠寺駐車場があった。
時間も午後5時になっている。
身延山久遠寺の境内は、西方からの、太陽光線の山影に、すっぽり覆われている。
ここは、一般参拝者の駐車場ではなく、かなり上側の寒露門の下にあった。
駐車場から寒露門の石段を登り、門をくぐると、広い境内があり、その回りに伽藍のお堂や付随する建て物が数多く立てられている。
久遠寺伽藍のスケールの大きさには驚かされる。
妻が、毎年のようにここを訪れている、知人の話しを思い出していた。
話しの内容と、実際の景観が、合致しているようで、盛んにうなずいている。
境内には、拝観時間を過ぎているせいか、私達以外に参拝者は見当たらなかった。
駐車場の入り口には、この寒露門があった。すぐ下には女坂がある。
寒露門をくぐると左側にこの時鐘がある。そして境内左にこの開基堂があった。
寒露門をくぐると右側にある法喜堂と正面の仏殿
仏殿の右部と客殿(右側)
寒露門をくぐると正面にある仏殿
西側からの見た仏殿左部
御真骨堂の拝殿、奥には白亜の八角堂内に日蓮聖人御真骨を奉安している。
御真骨堂拝殿入り口上の飾り
御真骨堂拝殿への石段左側の池
身延山久遠寺は、鎌倉時代に日蓮聖人によって開かれたお寺である。
日蓮宗の総本山として、門徒の帰依処として知られています。
身延山は甲斐の国(山梨県)の東に富士川、西に早川を見下ろす所にある。
豊かな緑に包まれ、通称、千本杉の名で知られる天然記念物の美杉が、身延山久遠寺を一層厳かなたたずまいにしている。
日蓮聖人は「身を隠せ」との故事により、この地方の領主であり、信者でもある南部実長公の支援のもとに1274年(文永11年)に入山して、久遠寺を建立する。
以来、日蓮聖人は、この地でひたすら法華経の読誦と門弟達の育成に終始し、身延山を生涯の住処としています。
しかし、日蓮聖人は両親の墓参の為、山をおり、常陸の国(茨城県)に向かう途中の武蔵野国池上(東京都太田区)にて、61歳の生涯を閉じられました。
三門から菩提梯、本堂を結ぶ287段の石段を登ると境内があり、その左にこの水屋がある。
赤い伽藍の祖師堂と奥の本堂
本堂と大鐘に囲まれた祖師堂
見事な赤い伽藍の祖師堂
祖師堂屋根の軒下の飾り
祖師堂入り口の見事な飾り、中には祖師日蓮聖人の像があり、左右には両親の霊碑や直弟子六老僧の像が祀られている
大鐘と工事中の五重塔
本堂 拝観時間が過ぎているせいか、すべての扉は閉じられていた
海抜1153m身延山 奥の院を結ぶロープウエー7分で到着
三門をくぐると287段の急な石段が境内まで続く、高さ104mの菩提梯、悟りに至る梯(きざはし)の意味が込められている。
門前町のはずれにある大きな三門、京都の知恩院、南禅寺の門とともに日本三大門に数えられ、左右には仁王像、楼上には16体の羅漢像が祀られている。
今回、急に思いつき訪れた身延山久遠寺、前々から一度行ってみたいと思っていたので、 丁度良かったが、拝観時間を過ぎてからの到着で慌しい見学となった。
久遠寺にある全ての伽藍や宝物館の内部、それに奥の院などの見学は出来なかった。
それに、一番大切な本堂に参拝することすら出来ずに残念であった。
また、違う季節に来たいと思った。
この身延山久遠寺の伽藍や境内を散策している間に、奥の深さを感じて、もっと知りたいと思った。
今年6月に訪れた高野山とは、また、違った魅力を感じてくる。
高野山も身延山も、同じような山の中にあるが、高野山は山上の盆地に作られた宗教都市である。
この身延山は標高1153mの高さにある。
山頂からは富士山が見渡せ、周辺に奥の院があり、山の中腹までロープウェーで結ばれている。
この中腹には、大きな杉の銘木に囲まれた久遠寺の境内があり、回りには多くの伽藍が建てられ、厳かな雰囲気をかもし出している。
そして、中腹の境内から104mの下まで、287段の石段があり、石段を降りた所に大きな三門が建てられていて、麓の門前町の市街に通じている。
高野山は伽藍や門前町が横の並びにあるのに対して、身延山は縦の並びにある。
それだけに、大自然の奥深さや、自然との一体感を感じさしてくれる。
やはり、人々の心は、こういった大自然と触れ合ったり、厳かな雰囲気を味わうことで、自然と落ち着き、安らぎを感じてくる。
このことが、体の中でエネルギーとなって、夢と希望と明日への活力を与えてくれているように感じてくる。
門前町の街並み
身延山久遠寺の見学を終えた私たちは、門前町を通り、富士川に沿って走っている国道52号線に出て、富士市方面へ向かって行った。
52号線は信号機も少なく快適な道路であったが、富士市内の国道1号線にはいるまで、若干の渋滞があった程度でスムーズに走れた。
途中のスーパーで夕食の買い物を済ませ、今日の車中泊先を、幾つかの候補をあげながら検討していた。
この時間帯ならば静岡市近辺まで行けそうであった。
愛車は国道52号線に別れをつげ、国道1号線に入った。
幸いにして、この道路はほとんど高架になっていてスムーズに走れた。
静岡市街を少し通り抜け、1号線バイパスに併設している道の駅「宇津ノ谷峠」があった。
その道の駅に、今日の宿泊先を決めて30分ほどで到着する。
到着した時の時間は午後7時30分頃であった。
この道の駅の駐車場は、多くの単車やトラックで満杯であったが、幸いにして、すぐに出発して行った。
早速、車を止め、夕食の準備をして、程なく準備も整い、楽しい夕食が始まった。
車内で北京オリンピック放送のテレビを見ながら、妻と二人で杯をかたむけるのも格別の味である。
今日一日の行動を思い出しながら、車中での深い眠りにはいっていった。