気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

かつての富士山登山の起点 「北口本宮 富士浅間神社」

2008-09-08 19:08:27 | 気ままな旅
  8月13日(水)富士山レーダードーム館の見学や、道の駅「富士吉田」で昼食などして過ごした後、私たちは、国道139号線を河口湖方面へ引き返した。
 車で15分ほどで、道路沿いにある、大きな神社に興味がひかれ見学することにした。
 この神社に関しては、名前も、予備知識も全くもっていなく、通りすがりに寄った という感じである。
 駐車場に車を止め、参道に入った瞬間に驚く。
 参道には、樹齢何百年もありそうな、杉や檜の巨木が、真っ直ぐに上に伸び、太陽光線をさえぎっている。
 また、これらの巨木は、整列よく立ち並び、大きな石燈篭を両側に並べながら、奥の鳥居に向かって、まっすぎに伸びて、神社独特の雰囲気をかもしだしている。
 参道を少し行った所に、巨木の3本が、下部でつながり、一つの木になっているのにも驚かされる。

 参道をさらに進むと、小さな川が参道を横切り、川には石橋が架けられている。
 石橋を渡ると、朱色の四脚木造の大鳥居が巨木と調和するように立っている。、 あまりの大きさにびっくりするが、富士山の高さや巨木の大きさから考えると、この大きさで、調度いいように思えてくるから不思議である。
 
 この鳥居は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の故事に従い建立され、高さは17.7mで、木造の大きさでは日本一で昭和27年に再建されている。 

 この神社について少し調べてみると。
 正式には 「北口本宮 富士浅間神社」である。
 富士宮市にも「富士山本宮浅間大社」があり、間違いやすい。
 
 西暦110年、日本武尊が東方へ遠征の際に、この地に立ち寄り、「富士には北側より登拝するがよい」として、祠と鳥居を立てたのが始まりだと されている。
 その後、奈良時代の788年、甲斐守紀豊庭(かいのかみきのとよひろ)の占いによって、現在の場所に神殿を立てて、浅間の大神を祭る。
 江戸時代には、富士山の信仰が盛んになり、富士山を崇拝、参拝する「富士講」というものが生まれ、多くの人が登るようになった。
 そこで、村上光清が、現在あるほとんどの建物を寄進している。
 祀られている神様は 
  木花開耶姫命(このはな さくやひめ のみこと)
  天孫彦火瓊々杵尊(てんそんひこ ほのに にぎのみこと)
  大山祗神 (おおやまずみのかみ)

 大山祗神は山をつかさどる神様。
 富士山があまりにうつくしいので、これを娘の木花開耶姫命にあげたそうです。
 天孫彦火瓊々杵尊は木花開耶姫命の夫。
 
 また、垂仁天皇の代に、富士山の噴火を恐れる人々の心を静めるために、勅令をもって火山鎮護の神「木花開耶姫命」を祀ったという説もある。

 富士山登山は、富士スバルラインの開通により、五合目からが起点になっているが、開通するまでは、この神殿右後ろにある鳥居からが、富士山頂に向かう起点となっていた。
    

           
        巨木や石灯篭が並ぶ神社の参道  英語で書かれた神社の案内図

                     
                     参道にある根元でつながった木
             
          
                 三本の木が根元でつながっている

          
                 多くの参拝客で賑あう大鳥から本殿方面

           
                四脚木造の大鳥居で国内随一の大きさ

           
            隋神門 1679年建立 門内には右大臣、左大臣の木造が

           
    例大際や開山際で神楽が奉納される神楽殿 「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の名をもつ御神木

          
           比類まれな建築の手水舎 富士の恵みの清水が湧いている

 2km程富士山へ登った泉水(泉瑞)から引かれている。
 この水は、その昔、将軍源頼朝は天下に威を示さんと、富士山麓に雄大な巻狩リを行なった。(巻狩り=四方から遠巻きにして獣を狩り立てて捕まえること)
 その際、渇きに苦しむ勢子(せこ=狩の時、鳥、獣を誘い出したり、追い込んだりする人夫)のため、頼朝は神に祈りつつ、大地に杖を突き立てると、澄みきった冷たい水が、こんこんと湧き出したと云う謂れがある。
 水盤は一個の石をくり貫いて造ったもので、山麓の「石屋の寝床」と呼ばれている場所から切り出した物である。
 柱は石柱を使った比類まれな建築と言われている。

           
               手水舎軒下の竜などの細工が施されている

           
                  国の重要文化財に指定されている本殿
 
 御祭神は 木花開耶姫命(このはな さくやひめ のみこと)
      天孫彦火瓊々杵尊(てんそんひこ ほのに にぎのみこと)
      大山祗神 (おおやまずみのかみ)  である。
 
          
                本殿入り口に上に施された細工
         
          
                   本殿入り口 天上の飾り

          
         富士太郎杉と神楽殿(12の舞から構成された神楽が奉納される)

             
                   西宮本殿前の拝殿   

          
                 東宮本殿(三殿の中で最も古い構造物)      
    武田信玄が川中島合戦の勝利を祈念して再建する(国の指定重要文化財)

           
                     東宮殿前にある七色のもみじ 

                       
                        東宮隣の庭に作られている噴水       

 たまたま横を通りかけて立ち寄った、神社であったが、スケールの大きさには驚かされる。
 また、地元を中心に、日本各地に広がった富士山信仰と浅間神社は深く結びつくものであることが良く分かってくる。
 浅間神社は静岡県、山梨県、関東一円を中心に広がっているようで、関東では、富士塚と称する
 富士山を模した築山の山頂に祭られていることも多いようだ。

 浅間の語源については、「浅間」は荒ぶる神であり、火の神である。
 江戸時代に火山である富士山と浅間山は一体であるとして祀ったとする説。
 「浅間」は阿蘇山を意味しており、九州起源の故事が原始信仰に集合した結果と言われている。
 「アサマ」は、アイヌ語で「火を吹く燃える岩」を現すそうだ。
 マレー語で「アサ」は煙を意味し、「マ」は母を意味する。
 その言葉を火山である富士山にあてたという説もあるらしい。

 一通り神社の見学を終えた私たちは、国道139号線沿いにある道の駅「なるさわ」に立ち寄った。
 国道139号線は、かなり渋滞が予想された。
 特に富士宮から富士市の国道1号線に入るまでが心配であった。
 出来るだけこの渋滞が予想される道路は通りたくなかった。時間は4時前である。
 そうだ、これから本栖湖を通り、武田信玄の隠し湯で有名な下部温泉を経由して
身延山「久遠寺」を見学して、一号線に出ようと思った。
 身延山は、前々から一度行ってみたいと思っていたが、今回はすっかり頭から離れていた。
 早速、私たちは道の駅を出発し、下部温泉方面に向かって行った。