気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

中国(蘇州シルク・山唐街)江南4都市を巡る旅-④

2010-02-15 15:47:30 | ツアー旅行
 2010年1月24日(日) 中国蘇州市内にある寒山寺を見学した後、江蘇料理で昼食をすまし、同じ建物にあるシルクの工場を見学した。
  蘇州はシルクの生産地として昔から有名で、私たちは観光客向けのシルク工場を見学した。
 建物入口には、女性の像が立ち、その奥には繭(まゆ)がケースに入れられて置かれている。 その前には、蚕について、次のように書かれた石板が置かれている。
 「古史籍伝によると ”漯 祖”という者が蚕の発見始祖である。
  彼女は西陵氏の娘で、軒轅黄帝の正紀となるが、民に蚕を飼い、糸を取る方法を教えたという。
 古くも5千年前の氏族社会により、既に自然蚕の原始的採集方法を、人工的養蚕に切り替えていたものである」  と書かれている。 
   
         
 蘇州にあるシルク工場の玄関 漯祖像の下には上記の ”漯祖”の書かれた石板が置かれている。

          
         シルク工場内の繭から糸を紡ぐ製糸機械を操作している女性たち  

           
煮て柔らかくなった繭から一本の繊維を引き出し糸を紡ぐ製糸機械、一個の繭から1000m前後の糸が取れるといわれている。 

 シルク工場では、繭から糸を紡ぐ作業と、繭から真綿に加工する作業がされている。
 私達が見学した折には、真綿の加工が終了し、手に触らしてもらった。
 シルク独特の柔らかい肌触りが伝わってくる。

          
     繭から真綿に加工され、それを手にして肌触り抜群の感触に微笑むガイドの女性達
   
          
  繭から真綿に加工され、引っ張ると御覧のような大きさまで伸びてくる、布団などに使われる。 

 このシルク工場では、シルクの販売も行われ、日本の半値ぐらいの価格だということだった。
 また、隣の会場ではシルク製品を身にまとったファッションショーも、行われているようで、私が会場を訪れた時は、残念ながら休憩の時間帯であった。

 ほどなくしてシルク工場の見学を終えた私たちは、蘇州市内で古い街並みと、東洋のベニスと呼ばれ、昔ながらの水郷の風情が残る山唐街に向かって行った。

          
       祭りの日なのか多くの人たちで賑わいを見せている蘇州市内の雲岩寺の門前

 山唐街の横に雲岩寺という寺があり、その西北の境内に虎丘(こきゅう)という標高300mぐらいの小高い丘がある。
 その丘の上には、蘇州のシンボルでもある雲岩寺塔(別称虎丘塔)高さ48mの八角七層の塔が聳え建っている。

          
    虎阜禅寺と書かれ壁を黄色で塗られた雲岩寺の大門、奥には雲岩寺塔が見えている。

          
          虎阜禅寺の大門を少し過ぎた所から、虎丘に建つ雲岩寺塔

 雲岩寺塔は北宋年間(961年)に創建され、八角七層の古塔、中国では最も古い塔のひとつで、全国重点保護文物に指定されている。
 度々の火災により塔は傾き、中国のピサの斜塔とも言われている。
 私たちは虎丘に建つ塔を目にするが、時間の関係で虎阜禅寺と書かれた大門を少し行った所で引き返し、山唐街に昔から残り、水郷の風情が漂う遊覧船乗り場に向かって行った。

           
                 山唐河の遊覧船乗り場

 山唐街は、蘇州市の北西にあり、山唐河に沿って出来た歴史の深い古街である。
 唐代に蘇州長官を務めた詩人「白居易」が825年に河を浚渫し提を築いたのが始まりだと言われている。
 明清代には蘇州一の繁華街に発展していく。
 近年観光街として再開発、清代に造られた建築群が整備され、多くの人々が訪れて賑わっている。

          
山唐河遊覧船に乗り込むツアー一行の人たち、遊覧船は40分間、古街に沿って出来た水郷の風情が楽しめる。

             
古街と古街を結ぶ石で出来た太鼓橋が所々に造られ、私たちを乗せた遊覧船もこの橋を潜って行く。  

          
山唐河には運河が所々で交差し、水運の発達していた古代都市を創造させている。アーチ型の橋上に造られた東屋が風情を一層高めてくれる。 

          
 山唐河に架けられた太鼓橋の下をたくさんの舟が行き交い、古代から水運の発達した都市を創造さしてくれる。 

          
       運河沿いには商人や民家も多く、昔からの栄華盛衰を偲ばせる瓦のある建物  

          
  1000年の昔から続いている山唐河の風景、河の水で洗濯しながら談笑する女性たち。 

          
古代から山唐街の発展と共に歩み、生活していた風情を感じさしてくれる運河沿いの建物、洗濯ものや肉・魚の薫製などを干している光景も見られる。

           
        棒を持って立っている老女、私が手を振っても全く反応がなかった。
       
          
          肉の薫製を干している後ろで、薫製を作っている老夫婦。

          
山唐河を行き交う二人乗りの舟と子守をしている老女の姿が水郷の風情を一層高めてくれている。

          
動力船が多くなった山唐河では、数少ない昔ながらの手漕き舟、手際良く漕いでいる姿が印象的であった。

          
橋の下からは五角形で反り上がった屋根のあるの建物と、景観に配慮して造られた建物が見えている。

          
城壁に囲まれた城の様な建物、周りは公園のようにきれいに整備されている遊覧船からの景観。 

          
遊覧船の舟乗り場か! 2隻の遊覧船が停泊している。奥にはレストランなどのある近代的な建物が建てられている。 

          
   橋の下を潜り、路地の様な狭い水路を進んで行く古街ならでわの水郷の景観

          
中国では、赤い色は縁起が良いとされている。春節が近い為か、赤い提灯の飾り物か街中に溢れている様に感じる遊覧船停泊場近辺。

          
運河と並行して建てられた白壁の建築群に赤い提灯の山唐河、停泊している茶色の数隻の遊覧船が、山唐河の風情を一層高め、異国の情緒を味わせてくれる第一の景観。

          
遊覧船から山唐河の風情を楽しんだ後、運河と並行して造られている山唐街に出ると、治安維持のためにか、ご覧の様な警察官を多く見かける。

          
山唐街は山唐河の浚渫工事から始まって建設された古街で、数世紀にわたって蘇州第一の繁栄を誇っていた街並みが続き、現在でも多くの観光客が訪れて賑わっている。

          
山唐街で多種多様な店が出店、日本では見かけない様な商品も多い。色鮮やかな春節の飾り物などを販売している店を見かけた。

          
さらに商店街を進んで行くと、日本の鯛焼きのようなものを路地で焼いている。美味しいのか多くの人たちが取囲んでいる。

 日本の私たちには、味わうことのできない街並みと水郷の風情が、1000年の昔から続いている蘇州の山唐街。
 陸路よりも水路が発達し、交通の要所として街は栄へ、色々な生活物資などが山唐街に集まり、それが販売され、小舟で各地に運ばれていく様子が浮かんでくる。
 山唐街は、河に浮かぶ水上都市で、かつて、水の都と呼ばれた「大阪」は、たくさんの沼地が浚渫されて、掘川が造られた。
 それに沿って街が建設され、堀川を挟んで、街と街を結ぶ為に多くの橋が架けられ、八百八橋といわれている。
 大阪は江戸時代には天下の台所「浪花」と呼ばれ、水運が発達、地方から多くの舟が出入りしていて、独特の都市景観をかもし出していた。
 蘇州の山唐街も、同じような状況であったと推察される。
 現代の大阪では、江戸時代の街並みを見る歴史的な景観は、残されていなくて残念であるが、蘇州山唐街は、まるでタイムスリップしたような、1000年前の街並みと、人々の匂いのある生活を、そのまま感じさしてくれる。
 この山唐街は、街並み保存といった活動も行われ、石で出来た多くの太鼓橋が奇麗に復元されている。
 この山唐街の見学を終え、次の目的地へ向かう、専用バスからの車窓を眺めながら、私たちの身近にある歴史的な建造物や文化に対して、敬う心と現代の新しいものや、文化との調和の大切さを感じてならなかった。
 また、我々、日本人の一般的な考え方として、何でも新しい物はいいんだ。古いものは捨て、こだわらない風潮を時々感じる。
 私の好きな言葉の「温故知新」の大切さを思い、改めて生活の臭いのする山唐街の景観が思い出されてくる。

 

 

中国(蘇州寒山寺)江南4都市を巡る旅-③

2010-02-10 21:07:10 | ツアー旅行
 2010年1月24日(日) 参加した中国「上海と江南4都市巡りの旅」 3日目の今朝、中国蘇州市内にあるホテルを専用バスで出発する。
 同じ蘇州市内にある天下の名園 「留園」 を見学した後、近くにある蘭莉園刺繍研究所に向かった。
 直ぐに蘭莉園刺繍研究所に到着する。
 研究所は大きな塀に囲まれ、入口には大きな門があり、両側にある獅子の石像が私達を迎えてくれている。
 この建物には、刺繍研究所とレストランが併用されている。

          
             蘇州にある蘭莉園刺繍研究所の入口

 入口から刺繍研究所に向かって進んで行くと、奇麗な池のある庭園や芝の庭なども整備され、私たちの目を楽しませてくれる。

          
  蘭莉園刺繍研究所内の庭園で、妻と日本語の話せるガイド実習生の女性との記念撮影。 

 蘭莉園刺繍研究所内は、中国最大規模の刺繍研究所で、伝統工芸の特色ある作業場展示ホールがあり、変化に富み、色々な刺繍を見学することが出来る。
 展示場には、多数の製品や、実際の作品が女性の手によって刺繍されている。
 非常に極め細かい作業の連続で、一つの作品を描くのに、数十日から数カ月、数年の年月を必要とし、そうして出来た作品が多く展示されている
 入口近くには、イギリスのダイアナ王妃の鮮やかな姿で刺繍された作品があった。最初は写真かな! と見えるほどで、とても刺繍した作品とは思えなかった。
 展示作品の多くは、動物や花、日本の富士山など、景勝地の作品が展示されている。
 特筆すべき作品の中で、特に両面刺繍の作品には驚かされる。
 販売価格も数千円から数十万円、数百万円までの価格が付けられている。
 私には、作品の価値は分からないが、一つの作品を作るのに多くの時間と根気、永年の熟練した技術を必要としている。
 刺繍作品の鮮やかな色の美しさは抜群で印象深かった。
   
          
               寒山寺の入り口へ向かうツアー一行

 蘭莉園刺繍研究所の見学を終えた私達ツアー一行は、駐車場に戻り、同じ蘇州市内にある日本でもお馴染みの寒山寺に専用バスで向かって行った。
 寒山寺には20分ほどで到着する。
 高々とした五重の塔が聳え建ち、その周りを高くて黄色い塀が取囲んでいる。
 この塀に沿って造られた広い参道を、現地ガイドのカクサンと、二人の若い女性に案内されながら進んで行く。
 
 世界遺産に指定されている寒山寺は、500年代の初頭、妙利普明塔院という名で創建されたものであるが、幾度も焼失、現存する建物は清代末(1911年)に再建されたものである。
 唐代貞観年間(627~649年)に、「寒山」と「拾得」という僧が、ここで修行したことから「寒山寺」と呼ばれるようになったと伝えられている。

          
       参道からの寒山寺五重の塔「普明宝塔」 普明宝塔と塔の上にある法輪、日本とは少し形が違っている。

 この普明宝塔は1995年12月に建てられた高さ52mの木造の塔で、唐の楼閣式仏塔を模して造られたものである。

          
             多くの船が行き交う寒山寺前にある京杭大運河

 寒山寺は隋の時代(518年~616年)に築かれた南北を結ぶ大運河(京杭大運河=北京~杭州まで1800km)沿いにあり、唐の時代(618年~907年)に「張継=ちょうけい」が科挙(かきょ=官史登用試験)に落ちて、寂しい気持ちでこの運河を通り、故郷に帰る途中、この付近で船中泊していた、その際に寒山寺の鐘の音を聞いて、詩にして詠んだものが 「楓橋夜箔=ふうきょうやはく」 である。
 この詩が各地に知れわたり、寒山寺も一躍有名な寺になっていった。

          
    入り口近くにあり、手前では参拝前の香を焚く人たちが絶えなかった寒山寺の大殿

 寒山寺は、8世紀中頃、中唐の詩人で政治家でもあった「張継=ちょうけい」が有名な七言絶句 「楓橋夜泊=ふうきょうやはく」を発表し、世に広く知られるようになった。
 この詩(①~④)は、都落ちした旅人張継が、蘇州西郊で寒山寺の側にある、楓江に架けられた楓橋の辺りで船中に泊まった際、旅愁のために眠れぬまま、寒山寺の鐘の音を聞いていた時の様子を詠ったものである。

  ①月落烏啼霜満天、  月落ち烏(からす)啼(な)きて霜 天に満(み)つ

 月は西に落ちて闇のなかにカラスの鳴く声が聞こえ、厳しい霜の気配は天いっぱいに満ちている。

           
          ①月落鳥啼霜満天の碑 この寺にゆかりの深い寒山と拾得の像

  ②江楓漁火対愁眠  江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠に対す。

     運河沿いに繁る楓と点々と灯る川のいさり火の光が、旅の愁いの浅い眠りにチラチラかすめる。

  ③姑蘇城外寒山寺   姑蘇(こそ)城外の寒山寺。
   
     そのとき姑蘇の町はずれの寒山寺から、

  ④夜半鐘聲到客船  夜半の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到る。

    夜半を知らせる鐘の音が、私の乗る船にまで聞こえてきた。

 漢詩をされる日本の方が、よく読まれている選集に『唐詩選』と『三体詩』がある、「楓橋夜泊」は、両方の漢詩選集に収載されている数少ない詩のひとつで、中国人はもとより、日本人にも、古くから馴染み深い詩となっている。
 この詩が、広く人びとから愛好され、多くの人達に知られるようになってから、歴代の詩人や文学・美術などを志している人々が、次々に寒山寺を訪れて創作活動を行い、多くの作品を残しているといわれている。       

 「寒山」と「拾得」は、共に唐代の脱俗的な人物で、両者とも在世年代は不詳である。
 非僧非俗の風狂の徒であったようであるが、仏教の哲理には二人とも深く通じていたようである。
 詩作を良くし、ことに寒山は「寒山子詩」と呼ばれる多数の詩を残している。
 寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の再来と呼ばれることもあり、師の高僧は、釈迦如来に見立て、合わせて「三聖」あるいは「三隠」と称されている。

           
蘇州の除夜の鐘で日本でも有名な二階建ての鐘楼  鐘楼を訪れた観光客の撮影スポットにもなっている聴鐘石

 日本では近年、寒山寺といえば 「除夜の鐘」で有名である。
 年末になると多くの日本人が 「除夜の鐘ツアー」で、ここを訪れている。
 日本での除夜の鐘は、一年最後の日である大晦日の夜を締めくくり、暮行く年を惜しむ意味と、それに即した色々な行事が行われ、その中に、新しい年を迎えるにあたり、日本各地の寺で108回撞かれている。
 108回も撞かれる意味には、色々な説があるが、一般的には、人間の煩悩(感覚を司る六根=眼・耳・鼻・舌・身・意)に起因するもが108あるとされている。
 中国では、寒山寺の鐘の音を聴くと、10歳 若返るといわれており、今日では、寒山寺の鐘を 「誰が撞き手の一番手に選ばれるか!」 
大きな話題になっており、毎年、せりにかけて決める行事が行われ、大変盛り上がってている様子が伝えられている。
 寒山寺の除夜の鐘を聴きながら新年を迎える行事は、1979年、藤尾昭という日本の方が発起人となって始められ、現在では日本だけでなく、韓国をはじめとする各国の観光客や、中国の人々も大勢参加するようになって、賑わっているようである。

 また、寒山寺には、長安で修行した弘法大師空海も立ち寄り、2年間過ごしたと伝えられている。
 弘法大師空海は、今から1200年ほど前の31歳の時に、真言密教を求めて遣唐使に応募し、4隻の遣唐使船団で、難波津(現大阪市)を出航している。
 4隻の船団は、途中で台風に遭遇し、2隻が行方不明になっている。
 幸いにして大使と弘法大師空海を乗せた船は、福建省に無事に漂着している。
 その後、弘法大師空海は、そこから2400km離れた中国内部にある唐の都「長安」の青龍寺に行って修行、32歳の時に恵果和尚から真言密教を学び、相承した帰り道、寒山寺に立ち寄り修行する。
 その後、日本に帰国、仏教伝来に大きな功績を残している。 
 
           
長安からの帰りに立寄って修行した弘法大師の像 日本での仏教に大きな影響を与えた鑑真像  

 寒山寺には、弘法堂があり、当時、修行された弘法大師空海の像、日本に来日し、仏教伝来に努めた鑑真和上の像や、玄弉三蔵の像が安置されている。

         
                大雄宝殿の中にある釈迦如来像  

          
                 寒山寺五重の塔にある仏像 

          
                寒山寺五重の塔上部階からの景観  

          
      五重の塔からの寒山寺境内にある伽藍の景観、多くの人たちが訪れている。

          
  五重塔からの景観、境内にある伽藍の屋根が続く、遠くには蘇州市内の高層住宅団地が見えている。 
   
 日本でもお馴染みの寒山寺であるが、私にとっては全く予備知識のない寺である。
 しかし、寒山寺を見学していて、古くから日本との関わりの深さに驚かされる。
 当時の中国は文化水準の高い先進国で、日本は未開の国であったことが容易に察せられる。
 中国の歴史的な文化を観て、日本文化の経緯や流れが、一層理解しやすく、中国が身近になったように感じる。 
 何気なく申し込んだ今回のツアー旅行、日本国内での私たちの気ままな旅のような、自由奔放とした旅スタイルはとれないが、旅の楽しさを一層、色濃いくしてくれているようである。

 ただ、日本に帰り、デジカメで撮影した旅行写真を、パソコンに取り込み中に、カメラがバッテリー切れをおこし、撮影したカード枚数700枚の内、190枚を消失させる大失敗をしてしまった。
 消失した190枚は、この寒山寺で撮影したもので、本稿で使用している画像は、全て、妻が別のカメラで撮影したものである。
 この件で、カメラの購入先やメーカー(ニコン)に問い合わせをするが、一旦、消えた画像を取り戻すのは難しそうで、諦めざるを得なかった。
 こんなことは初めてで、今回の反省として、今後はデジカメから撮影画像を、パソコンに直接移すのではなく、新たに購入した、カードから直接パソコン移せる「カードリ-ダー」という、バッテリ切れの心配のないソフト機器で行うことにした。
 今回は、特に大容量のカードに多量の撮影枚数を残し、パソコンに取り込むのは、時間もかかり、バッテリーの消耗が大きく、バッテリー切れの心配がある。
 せっかく撮影した貴重なデータが、簡単に消えるデジカメの怖さと、カメラからパソコンに移す折の注意点を、痛切に学ばしてもらった。
        

中国江南4都市巡る旅(無錫・蘇州)ー②

2010-02-05 10:14:01 | ツアー旅行
 2010年1月23日(土)無錫(ムシャク)市内にある錫恵(シャッケイ)公園の観光を終え、近くにある無錫料理店で昼食を済ました後、中国五大湖のひとつである太湖(たいこ)に向かって行った。
 太湖は、同じ無錫市内にあって、その景観の美しさから、国家重点風景名勝区に指定されている。

           
                無錫市内にある太湖遊覧船乗場

 私たちは太湖の遊覧船に乗船し、周辺の景観を40分ほど楽しむ予定である。
 乗船してすぐに、流暢な日本語を話す男性ガイドが、ユウモアを交えながら案内してくれている。
 ただ、この季節は、天気は良くても、ご覧の写真のように霞んで見えるらしく、日本の真っ青な秋空の様な景観は望めなかった。
         
           
                太湖遊覧船からの景観

 太湖は中国で三番目に大きな淡水湖で、湖には大小多くの島が浮かび、多くの半島が突き出しながらかさなり、湖を囲む峰も多く存在している。
 三山と呼ばれる著名な山々が、太湖に入り込み、その景観は天然の絵画ともいえる美しさを施しているといわれている。
 遊覧船からは、先ほどまで見学していた、錫恵公園の山頂に聳え立つ龍光塔が美しい姿を見せている。
 この太湖は、琵琶湖の2倍の大きさであるが、平均水深は2mと浅い湖である。

           
太湖の乗船場で見かけた三輪貨物バイク、日本では見かけたことがない珍しい乗り物で、昔のオート三輪を思い出してくる。

 太湖での遊覧船を楽しんだ後、私達を乗せたバスは、淡水真珠で有名な加工及び販売所に案内された。
 真珠といえば、三重県志摩半島の英虞湾(アゴワン)の海水真珠が有名であるが、淡水で真珠が取れるとは全く知らなかった。
 ただ、海の真珠よりも小粒のようで、色々なものに加工されて販売されている。

 真珠の加工及び販売所を後にした私たちは、同じ無錫市内にあり、先ほどの太湖の畔にあるテーマパーク「三国城」に案内されて行った。
 このテーマパークは、中国国営テレビの人気歴史ドラマ「三国志」のオープンセットとして造られたものをそのまま利用している。
 隣接するテーマパークに、同じオープンセットだった「水滸伝」や「唐城」などがあり、共通の入場券も販売されている。

 三国志は、吉川英治などにより書かれ、日本でもお馴染みの、中国の二世紀~三世紀にわたる魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)の三国が覇権を争った時代の歴史物語である。 

          
                  三国志でお馴染みの三国城

 私達が訪れた時間は、鎧兜を身につけた三国志さながらの戦闘ショーが、20分後の16時00分から行われる予定になっている。
 専用バスから下車すると、目の前には当時の雰囲気をそのまま残した三国城の正門が建ち、正門の前には、鎧兜を身につけて、槍を持った兵士が門番に立ち、当時の雰囲気をかもし出している。
 私たちは戦闘ショー会場に向かって進んで行くと、右側には、三国志の主人公、劉備・関羽・張飛が義兄弟の契りを結んだという「桃園の結儀」が見えている。
           
          
        劉備・関羽・張飛の三人が儀兄弟の契りを結んだ「桃園の結義」

 さらに進んで行くと、黒い戦闘服に黒頭巾をかぶり赤い軍旗を持った一行と出合った。
 ショーまで間があるようで待機している。直ぐに記念のショットをお願いしたところ、下の写真のように気軽に応じてくれた。
 
          
           軍旗を持って戦闘会場に向かう兵士の一団と記念のショット 

兵士と記念撮影を終えた後、後方から鎧兜に武器を持った多数の騎馬兵士と、大きな進軍太鼓がショー会場に向かってやってくる。
 
          
      鎧兜を見につけ武器を持って戦闘ショーの会場に向かう騎馬兵士と進軍大鼓 

          
             戦闘会場のそれぞれの定位置に整列して行く兵士達 

 この戦闘シーンの湖畔側に、虎牢関(ころうかん)と書かれた関所が造られている。
 当時権威をふるっていた武将の董卓(とうたく)軍と、曹操軍、劉備・関羽・張飛の連合軍が戦った場所である。
 董卓の配下に無敵の武人「呂布=りょうふ」がいた。劉備などの連合軍は呂布一人に圧倒され、劉備、関羽、張飛の三人で追い払うのが精一杯だった。

          
       乗馬の技術に圧倒されそうな迫力のある騎馬による一対一に戦いが始まった。 

          
猛烈なスピードに乗馬、しかも武器を持って戦う騎馬による一対三、呂布と劉備軍との戦い、映画のシーン以上の迫力が感じられる。

          
鎧兜を身につけ猛スピードの馬に武器を持ち、体を反らすような姿勢の戦闘シーンは迫力満点。

          
              董卓軍と曹操・劉備などの連合軍の戦闘シーン 

          
          戦い終わって騎馬兵士のヒーロー「呂布」との記念のショット

          
          赤壁の戦い時 戦況を見極めながら指揮した曹操の指揮台 

          
 太湖の畔にある曹操軍の水軍基地、時間の関係でこれ以上前に行っての見学は出来なかった。

 本物の騎馬戦による戦闘シーンに感動し、終わった頃には太陽は西に傾き、黄昏の時を向かえている。
 この三国城には、まだ、色々な見学施設があり、名残り惜しかったが、私たちは直ぐに駐車場に戻り、今夜の宿泊先である、蘇州市内のホテルに向かって行った。

          
       無錫から蘇州市内に向かう車窓から、工事中の高層住宅の上に沈む夕日  

          
                宿泊した蘇州市内のホテル 

 1月24日(日)朝8時30分に、ホテルを出発、蘇州市内にある天下の名園として知られている留園に向かって行った。         

          
留園への道中で見かけた中国新幹線、車窓から撮影、2010年には上海と北京間が結ばれる。 
        
          
      蘇州市内の朝の状況、ペダルとバッテリーで動く電動自転車が走っている。 

          
          天下の名園「留園」駐車場にてカメラ担当とガイド実習生の女性 
  
 蘇州市内にある留園の専用駐車場には直ぐに到着する。
 朝が早いせいか、私たちのグループのバス以外は見当たらず、周辺は緑に囲まれ、静寂な雰囲気が漂っている。
 早速、ガイドに案内され天下の名園「留園」に入って行く。   

          
             天下の名園「留園」の入り口

 留園は世界文化遺産・中国・蘇州四大名園のひとつに数えられ、蘇州庭園の最高傑作といわれている。
 400年前の明の時代に最初に造られ、後に改築され、清の時代の代表的な庭園とされている。
 留園は、2万㎡の園内に、中部の山水、東部の建物、西部の山林に分かれ、変化に富んだ庭園である。

          
   留園の庭園、ガイドのカクさんと、カクさんの名調子の日本語による案内が続いている。 

          
 池庭の中央部分には島が作られ、小さな橋で結ばれている。島には藤の花があり、春には満開の華が庭園美を一層高めてくれそうである。 

          
          カメラ担当と日本語が少し話せる実習生の女性達とのショット 

          
池の中に白い灯篭のようなものが立ち、白い壁に囲まれた月見亭のような建物が立てられ、うまく調和されている。           

          
            建物に囲まれた中庭にあるダイナミックな大湖石の庭園 

          
               聳え立つ太湖石の名石・冠雲峰 高さ=6.5m  

          
聳え立ち訪れた人たちを魅了する太湖石の塔・冠雲峰・瑞雲峰・岫雲峰の姉妹三峰が並んで立っている。 

          
        三峰が並んで立っている名石の前には著名な建築物が建てられている。
              
 天下の名園と知られている留園の見学を終えて感じることは、日本の建築物や庭園と違った趣きを多く感じるが、中国の庭園技術と建物との調和の奥深さも強く感じさしてくれる。 ただ残念なのは、日本語のパンフレットや案内板が少なく、詳細に理解する情報が入りにくいことである。

 私たちは、専用のバスに戻り、同じ蘇州市内にある刺繍研究所に向かっていった。
           

中国・江南4都市(上海・無錫・蘇州・朱家角)を巡る旅ー①

2010-02-01 16:31:34 | ツアー旅行
 20010年(平成22年)1月22日(金)快晴に恵まれた天気の中、私たちは、近所の人に送られて関西空港に向かって行った。
 これから、中国上海方面に4泊5日の予定で、ツアー旅行に出かける為である。
 12時00分に4階国際ターミナルに集合、14:00分発の飛行機に乗る予定である。
 空港内で所定の手続きを済ました後、昼食を摂り、14:00分、定刻に私達を乗せた、中国東方航空機は出航した。
 上海までの所要時間は2時間40分である。
 航空機は順調に飛行し、快晴の上海浦東国際空港の管制域上空に入り、高度を下げながら空港に近づいている。
 眼下には黄色く濁った海が見え、暫くして、長い橋が架けられ、その上を蟻のような自動車が数台走っているのが見えている。
 飛行機が高度を下げるに従って、眼下の景観を、はっきりと視界の中でとらえ、広々とした田園風景の中に上海浦東国際空港は造られている。
 私達を乗せた航空機は着陸態勢に入り、現地時間(日本との時差は1時間)15:40分に、真新しい上海国際空港に着陸する。
 到着して税関等の手続きもスムーズに進行し、出口ゲートを出ると現地ガイドの人たちが、小旗を持って私達を出迎えてくれている。
 今回のツアーには、約40名位の方が参加し、バス2台に分譲して観光するようで、ほとんどの方が、定年後、第一線を退いた夫婦の方々である。
 早速、現地ガイドによる参加者の確認が行われ、バスに乗り込んで上海中心部へ向かって行った。  

          
             上海浦東国際空港で待機している中国東方航空機

 中国第一の経済都市上海は、人口約1400万人の規模を誇る大都会で、中国経済の牽引的役割を果たしている。
 空港からは高速道路が整備され、40分ほどで上海中心部まで行くことが出来る。
 バスの車内には、ガイドのカクさんの流暢な日本語のガイドが続いている。

          
              車窓からの上海中心部の景観     

 間もなく上海市内に到着して、夕食の中華料理店に案内してくれた。
 この中華料理店は広東料理の店で、店内は多くの日本人客などでごった返している。
 私達は10人前後ずつ、回転式の丸テ-ブルに着席して夕食を召し上がった。
 今日は、機内食も食べ、早い夕食の時間帯か、お腹はあまり空いていなく、私も妻も少し手を付けた程度であった。
 朝食後、私達はオプションで設定されている上海雑技(白玉欄劇場)に行くことにした。 
         
                    
                  上海雑技(白玉欄劇場)の公演

 オプション代金3900円を支払って、劇場内に入って行く。
 少し待たされた後、19:00分に開演、1時間30分の予定で公演、中ほどの良い席がとられている。
 中国の雑技には、悠久の歴史があり、現代でも一級のアトラクションとして多くの人たちを魅了して寄せ付けている。
 特に印象的であったのは、円球状の中に5台のバイクが入ったモーターサーカスは圧巻であった。
 その他に、獅子舞、5人の柔軟技、帽子のショー、椅子の積み上げ、自転車の15人乗りなどで、十分に価値のあるショーで、私たちは大満足であった。

 その他、ガイドのカクさんは、租界時代にできた上海のレトロ調の、レンガ造りの街並みを案内してくれた。
 ここは、20世紀初頭に出来た外国人居住地の建物をそのまま残し、まるでタイムスリップしたような街並みが見られ、上海観光地に欠かせない存在になっているようである。
 初日の今日は、カメラを持ち歩いてなくて、写真をお見せできないのが残念である。

 1月23日(土)宿泊していた上海市内のホテルを、午前8:00分に専用バスで出発する。
 上海の気候も、上天気であるが、気温は私の住んでいる大阪よりも下がっているように感じる。
 緯度的には九州鹿児島あたりと思われるが、どうしてこんなに冷えるのか! やはり大陸の影響なのか! よく分からないがよく冷えている。
 専用バスが走行した一般道では、自動車通勤の密度が少ないせいか、車はそんなに多くはなく、むしろ日本の方が多く感じる。
 ただ、バイクやスクーターは多く、下部写真のようなペダル付きの電動スクーターを多く見かけた。
 専用バスは程なくして高速道に入り、上海から無錫方面に向かって行く。

          
    上海市内の車窓から見る朝の通勤風景、右車線を走るバイクは電動スクーターが多い。

          
             上海市内で多く見かけるペダル付き電動スクーター

 上海で多く見かけたペダル付き電動スクーター、燃費はガソリンスクーターより10倍も良いといわれ、平坦な土地の多い上海では、市民の足としてなくてはならない存在になっている。
 速度も、平坦な地では35km程度、値段も3万円代の手頃な価格のようで、環境に優しい乗り物として、今後、脚光を浴びそうである。 

          
           上海市内によく見かける超高層住宅と高層住宅などの景観     

          
 よく見られる上海市内の住宅、下部階層では窓に鉄格子が嵌められている住宅も多く見られた。

          
     工事中の高層住宅の現場、何棟もの住宅が同時に建設されているのには驚かされる。

 上海市内から蘇州・無錫方面へは片側3~4車線の立派な高速道路が建設され、制限速度も120kmと表示されている。
 車窓から初めて見る中国の景観、30階位の超高層住宅の建設工事現場が多くあり、急成長を続けている中国経済を見ているようである。
 しかも、この超高層住宅は1棟2棟ではなく、10棟位の大型工事で、1000戸とか2000戸位の工事で、日本では考えられない規模には驚かされる。
 また、高速道路を100kmぐらい走っていっても、山は全く見えず、中国の国土の広さを感じる。
 
          
              高速道の車窓から 上海郊外にある農村の景観

          
             高速道路サービスエリアで、現地ガイドの人達と

 途中のサービスエリアで休憩した後、無錫の恵山方面に向かって行った。
 途中に幾つかの運河があり、多くの船が行き交っている。
 どういった運河か調べてみると、この運河は、京杭(けいこう)大運河で、万里の長城と合わせて、世界の四大古代工事のひとつに数えられている。
 世界で最も古く長い人口運河で、北は北京から南は杭州までの1800km近くに及んでいる。

          
        中国の北京から杭州まで全長1800kmに及ぶ京杭(けいこう)大運河 

          
中国の名勝地無錫恵山の側を流れる京杭大運河、この大運河は中国の内陸部の物流に大きな役割を果たしている。

          
          錫恵公園の中にある恵山(標高330m)と山頂に立つ龍光塔 

 バスは程なくして錫恵(しゃっけい)公園の駐車場に到着する。
 ここからは無錫地域専用の女性ガイドが、日本女性かと思わせるような、流暢な日本語で案内してくれている。
 この錫恵公園は、無錫市の西の郊外にあり、錫山と恵山の名を合わせて錫恵公園と名づけられている。
 錫山は無錫を代表する山で山頂の龍光塔は無錫のシンボルである。
 恵山は高さ328mの、この地方(江南)第一と称えられている山で、共に無錫の文化の精彩を放つ名所として、多くの観光客が訪れている
 私達は工事中の伽藍の前を通り、恵山寺の山門に向かって行った。
 恵山寺は南北朝時代(紀元439年~589年)江南の寺院として建てられている。
 清の乾隆皇帝も数回訪れ、恵山寺の額は皇帝の肉筆だと伝えられている。

          
                  恵山寺入口の古華山門

 私たちは古華山門をくぐり、奇暢園に入って行く。
 すると、太湖石といわれる石灰岩が水で浸食された複雑な形状をした石が、緑の樹木に囲まれた庭園におかれている

            
日本のお寺の仁王像と同じ、ただ、カラフルな色彩。 中国の代表的な屋根の建築様式を見せるお堂の屋根。

           
中国の造園技術が結集されて造られた庭園、池は南北方向に長く伸び、水辺には池を囲む廊下がある。中央の石卓で皇帝と寺の僧が将棋の勝負をしたといわれている。

           
             ツアーで同行した人達と記念のショット

           
            ツアーで写真担当の女性と実地研修で参加した女学生(右)

           
   乾隆皇帝と恵山寺の僧が将棋で勝負した石卓  金蓮橋の石橋と御碑亭

          
   池の端の部分にある伽藍で窓越に見る竹庭、まるで絵画を見るように造られている。

           
この奇暢園は背景の恵山九峰や錫山龍光塔と一体となる、庭園建築の景色を借りる手法の模範となっている。北京の頣和園の中の「諧趣園」は、この手法を模倣したといわれている。

                  
               多くの人たちが訪れている恵山寺本堂

           
               天下第二泉の井戸の湧き水

 天下第二泉と呼ばれるこの泉は、唐代の時代(紀元766年)に堀りぬかれ、中国の著書「茶経」の中で天下第二泉と定められている。
 宋代の皇帝はこの泉を貢品と指定、唐、宋以後も多くの詩人が訪れ、作品を多数残している。
 天下第二泉は上、中、下の三部分に分かれ、上部の八角形の池の水は最も高級で、カップに水を入れて、縁より数ミリ高くても溢れず、水質も甘くて重いといわれている。

           
              恵山寺内からの恵山、錫山を望む 

 尾形大作の「無錫旅情」で日本では馴染みの深い無錫市は、長江の中ほどにあるデルタ地帯と、太湖の畔に開かれた3000年の歴史と伝統のある街で、多くの観光客が訪れている。
 無錫市は、改革開放以来、日系企業も多く進出するなど、工業生産も目覚ましく発展する地域として経済的重要度を増している。
 また、無錫は古来から、鉱工業の製錬や農具、武器など生産地として、他の地域を圧倒して発展していたと伝えられている。
 また、無錫の地名については、その昔、この地域で多くの錫を産出し、「有錫」といわれていたが、工業生産の増強に合わせて、前漢の時代までは掘り尽くしてしまった。
 このことから「無錫」といわれるようになったと伝えられている。

 中国江南4都市(上海(シャンハイ)・無錫(ムシャク)・蘇州(ソシュウ)・朱家角(シュカカク)を巡る旅の二日目は、今朝、上海市内のホテルを出発し、約150km位離れた無錫まで、高速道を走行してやってきた。
 地元ガイドの話によると昨日は、相当冷え込み、今朝も3℃の冷え込みであったようである。
 私は沖縄の先に位置していることから、大阪よりも寒いとは思ってもいなかった。
  
 錫恵公園の建物や庭園も、日本と随分と違いを感じるが、庭作りの手法そのものは、共通したものも多いように感じる。
 特に建物と庭、そこから見渡せる景観などをうまく調和さしている点は日本も同じである。
 見学を終え、バスに戻った私たちは、近くにある中国料理店で昼食を摂った後、名勝地「太湖」に向かって行った。 
 



 




霧の摩周湖・美しい丘の美瑛など・・・北海道ツアー旅行②

2009-07-09 09:14:57 | ツアー旅行
 6月7日(日)今朝も朝早く目覚め温泉につかる。
 ここの温泉は酸性度が高く、腕時計や指輪などの貴金属ははずして入浴して下さいと言われていた。
 昨日の夕食の毛がに付きの料理や温泉も、私達全員が好印象を受けていた。
 昨日は層雲峡から知床半島まで観光し、バス走行距離も320kmに達している。
 今日も阿寒湖から三国峠や富良野を経由して札幌の定山渓温泉までの480kmの走行予定で、川湯温泉「湯の閣」を7時30分に出発する。

 川湯温泉は硫黄山を熱源としている温泉で 幾つかの筋上の流れのある湯の川と、周囲の針葉の樹木が調和した旅情豊かな温泉として人気がある。
 アイヌ語では、ここをセセキペツ(湯ノ川)と呼ばれ、極めて酸性度が高い温泉でリユーマチ・糖尿病・皮フ病などに効くといわれている。
         
 川湯温泉は、戦後に大ヒットした映画 『君の名は』 で周辺にある屈斜路湖などが撮影地となったことから、当地を訪れる観光客が再び激増し、温泉街は急速に発展する。

          
       車窓から「川湯相撲記念館」と横綱「大鵬幸喜」の像が立てられている

 川湯温泉を出発してすぐに相撲記念館が見え、大横綱 「大鵬幸喜」の像が立てられている。
 ガイドさんの説明によると、元横綱大鵬は、この地で少年時代を過ごし、関連する資料や写真などが展示され、お祭りには女相撲の大会まで実施され人気を呼んでいるようである。

          
            川湯温泉の熱源でもあり、濛々と噴煙を上げる硫黄山

 今日もガイドさんの名調子の案内がアナウンスされている。
 バスの運転も極めて慎重で、乗客にできるだけ負担をかけないように気配りされた、ブレーキやハンドル操作をされているようで安心感が伝わってくる。
 上空はどんよりと曇り厚い雲に覆われている。 
 程なくして、山の麓から大量のガスを噴出している硫黄山が見えてくる。
 噴気活動は活発で大規模に噴出ガスを排出、山体のあちこちから火山ガスが噴出している。
 バスは摩周湖へ通じる緑に囲まれた道路を走行して行く。
 しかし、高度を上げるに従って霧が発生、10m先の視界も見渡せない深い霧となった。 まさに神秘の湖、霧の摩周湖である。

          
              深い霧が発生、何も見えない「霧の摩周湖」

 摩周湖は阿寒国立公園に位置し、摩周岳の噴火により誕生したカルデラ湖である。
 日本で最も透明度の高い湖のひとつで、世界ではバイカル湖についで第2位、2001年には北海道遺産に選定されている。
 摩周湖は急激に深くなって透明度が高く、青以外の光の反射が少ない、よく晴れた日の湖面の色は 「摩周ブルー」 と呼ばれた色彩を現す。
 1966年に布施明が悲壮な絶叫調で歌った歌謡曲 『霧の摩周湖』 が大ヒットして一躍極光を浴びるようになった。

          
               平成19年10月に訪れた時の摩周湖 
 
 深い霧で何も見えない、平成19年10月に訪れた時の写真を掲載する。
 摩周湖はご覧のような美しい湖で、展望台からの眺望もすばらしい所である。

          
           平成19年10月に訪れた時の摩周湖展望台から見た硫黄山

 摩周湖から阿寒湖へ向かう阿寒横断道路を走行中に、雨も降り始め下の写真のような景観となった。

          
          雨振るひっそりとした阿寒湖 遊覧船乗り場周辺からの景観

 阿寒湖は全域が阿寒国立公園に含まれた湖で、北海道を代表する観光地となっている。
 特別天然記念物のマリモや、ヒメマスが生息している。

 阿寒湖に立ち寄った後、241号線を足寄町を経由して上士幌町に入って行く。
 相変わらず小雨が降り続けている。
 上士幌町の見渡す限りの広い畑作風景と牧場特有の建物が見えている。

          
              車窓からの稲作風景 上士幌町付近

 ガイドの流暢なアナウンスが続いている。
 それによると、特にこの地域で有名なのはナイタイ高原牧場である。
 この牧場は、日本一広い総面積約1,700ha(東京ドーム358個分)の牧場で、国営事業によって昭和47年に完成、現在は上士幌町が運営している。
 牧場では、乳牛の6ヶ月以上の低月齢牛を飼い主より預かり育成し、授精させ妊娠牛として分娩間近くなってから飼い主に戻すという、育成牛預託専門の牧場である。
 夏場は広大な草地で放牧し、冬は7棟ある畜舎で飼育、馬も放牧されている。

 バスは国道273号線の牧草地帯を過ぎると、山間部の曲りくなった道路に入り、雨の中、慎重な運転をしながら高度を上げていく。
大雪山系の山稜には所々で白い残雪が見えている。間もなく三国峠である。
 
          
      車窓からの雨降る三国峠(標高=1139m)天気が良ければ景観は抜群

 三国峠は上川町と上士幌町の境になる峠で、標高は1,139メートルで、北海道の峠では最も高く、晴れた日の、日本離れした大樹海の景色は、まさに日本一の絶景で、秋の紅葉と朝の雲海が特に美しいといわれている。

 バスは三国峠を過ぎてから、昨日通った国道39号線に入り、断崖絶壁や奇抜な岩が続く層雲峡をガイドの説明を聞きながら通り過ぎて行く。
 バスは旭川空港の横を通り、丘の町で有名な美瑛に入って行く。
        
          
           国道237号線沿いの車窓から 美瑛にある「せるぶの丘」

 美瑛の国道を通過している時に、セルブの丘が見えてくる。
 思わずシャッターをきるとご覧のような撮影ができた。
 この花畑からは、天気が良ければ、旭岳や十勝岳連峰の大自然な景観が楽しめる。
 バスは美瑛町でJR富良野線を横ぎり、パノラマの道へ入る。
 ガイドからこの町を一躍全国に有名にした写真家「前田真三」氏にまつわる話が伝わってくる。
 バスは程なくして北海道らしい雄大な風景が見渡される「新栄の丘」に到着する。        

           
                美瑛パノラマの道にある「新栄の丘」

 「丘のまち」と呼ばれる美瑛は、テレビCMのロケ地として有名で、名の付いた丘や木などがある。

          
             花や農村景観の美しい美瑛にある 「新栄の丘」

 ガイドによると、1971年、一人の風景写真家が日本縦断の撮影旅行の帰り、ふと立ち寄った美瑛や上富良野の丘の風景に感動、以来16年間美瑛に通い続ける。
 そうして撮られた写真の多くは、写真集や絵はがきの他、多くのポスターや映画、テレビCM等に使われ、美瑛の景色は全国に知られるようになった。
 後に彼、前田真三氏は世界的に評価を受ける写真家となり、廃校になった小学校を利用して美瑛の丘に写真館を開設、現在でも多くの感動を来訪者に与えている。

          
         新栄の丘で添乗員とバスガイド、飛び入りの中国からの女性

 4日間同行、細かい気配りの行き届いた添乗員女性と、北海道の各地ごとに名調子で語り案内してくれたバスガイド、元気ハツラツな中国人女性。             
 バスは新栄の丘のから国道237号線に出て富良野に向かって行く。
 車窓からは雄大な丘の風景が見えているが、ラベンダーなどの色彩豊かな花咲く本格的な季節には、一ヶ月ほど早く、見られないのが残念である。
 バスは間もなく中富良野にある農園「ファーム富田」に到着する。 
          
 ファーム富田は、中富良野町にある農園で、主にラベンダーを中心とした花を呼び物に、春から秋にかけて開園している。
 園内にはドライフラワーを使用した土産屋や資料館などがある。

           
   通路に植えられた花  部屋一面がドライフラワーで色鮮やかに飾られた部屋

          
             天井近くの壁に飾られた見事なドライフラワー

          
 農園にはラベンダーも植えられているが花は無くポピーの花などが満開であった。

          
                中富良野の車窓からの景観
 
  富良野は、テレビドラマ『北の国から』の舞台となり、ドラマで登場した数々の建物が残っている。
  富良野から美瑛へ向かう国道237号は通称「花人街道」呼ばれ、初夏を彩るラベンダー畑をはじめ、季節の花々が咲き誇る花畑が多く見られる。

「ファーム富田」の観光を終えた後、バスは国道452号線から道央道の三笠ICに入り、札幌中心部に向かって行く。
 時刻も7時前後の黄昏の時刻を向かえ、札幌中心部のネオンや自動車のランプの色合いが増してきている。
 バスはテレビ塔や時計台、赤レンガの旧北海道庁舎などを車窓から眺め、今日の宿泊先である定山渓温泉に向かった。

            
            車窓からの札幌テレビ塔    黄昏時の札幌時計台

 8時00分頃に定山渓温泉「ホテル 鹿の湯」に到着する。(走行距離は480km)
 大きな立派なホテルである。 バイキング料理の夕食を終え、眼下の豊平川を眺めながらの入浴も最高の気分であった。
 部屋は9階の定山渓温泉街が見渡されるすばらしい部屋である。 
         
 定山渓温泉は、札幌市南区にある温泉で、札幌の奥座敷とも呼ばれている。
 この地の温泉の存在は古くからアイヌ民族に知られ、江戸時代には、松浦武四郎が旅行中に川の中に湧く温泉に入ったことを記している。
 慶応2年(1866年)に小樽で、この定山渓温泉のことを知った僧美泉定山が小さな小屋を作って温泉宿としたことが始まりと伝えられている。
 現在は年間200万人以上が訪れる北海道屈指の温泉として知られ、札幌市民をはじめ、国内外を問わず多くの観光客が訪れている。

          
                定山渓温泉の景観 

 6月8日(月)晴れ 朝食を済ませ、8時00分にホテルを出発、国道230号線から453線に入り支笏湖(しこつこ)へ向かって行く。
 天気は晴れているが恵庭岳や樽前山の山頂には雲がかかっている。
 程なくして支笏湖に到着して観光に出かける。

          
            満開のレンゲつつじと支笏湖・風不死岳

 支笏湖は面積77K㎡、周囲40kmで最大深度が360.m、平均水深でも259mと
、田沢湖に次ぐわが国第2の深さである。
 風不死岳(ふっぷしだけ)は、第四紀火山で、標高は1103m、山麓には幅が極めて狭く深い峡谷がいくつもあり、そのひとつに苔の洞門がある。

          
               ボート乗り場の支笏湖から恵庭岳を望む 

 恵庭岳は支笏湖一帯の最高峰(1320m)で、頂上東向きには爆裂火口があり、今も噴気が見られる。
 西南尾根は1972年冬季オリンピックの滑降コースに使用されている。

          
                支笏湖で恵庭岳をバックに添乗員さんと 

          
               支笏湖と風不死岳・樽前山

樽前山(標高1041m)は、明治42年の噴火、山頂に巨大ドームを持つ三重式火山として世界的に有名である。
 現在、樽前山の火口の温度は高温状態が続いており、登山は外輪山までで、山頂のドーム周辺は立入が規制されている。

 支笏湖の観光を終えた後、千歳味覚のバザールに立ち寄り、新千歳空港に向かう。 11時過ぎに新千歳空港に到着する。
 今日の80kmを合わせた北海道4日間の走行距離は1120kmであった。

 新千歳空港12:30 →JAL514便 → 14:00 羽田空港(乗り換え)14:30 →  15:35 大阪伊丹空港着

 伊丹空港16:00 →空港バス(阪神高速)→ 16:30 大阪なんば(OCAT)

 JRなんば から天王寺を得て 南大阪の自宅に18時ごろ帰宅する。

 今回のツアー旅行は価格も安く強行日程であったが、ホテルや食事などの内容も格安さを感じさせない旅であった。
 添乗員やバスガイドの人たちのサービス内容も十分で、この内容であれば機会があれば また参加したいと思う。
                                    (全ての関係者の方々ありがとうございます)

 
         

            

知床(世界遺産)層雲峡など・・・・北海道ツアー旅行①

2009-07-05 13:10:00 | ツアー旅行
 5月のある日のこと、朝刊を読んでいると、大きな広告欄に 「北海道3泊4日 3万円」 の広告が目に入る。しかも関西から千歳までJALを利用し、朝夕の食事付きである。
 私は日頃から、束縛されない自由気ままな車旅をしているが、ツアー旅行は全く経験がない。
 たまたま、近所の夫婦が来宅、この新聞の広告欄を見せると 「安い、行こう」 との話しになって、早速申し込むことになった。

 6月5日(金)朝早く目覚める。どうやら上天気のようである。
 南大阪の自宅を11時過ぎに4人で出発、バスとJRを乗り継ぎ関西空港へ向かう。
 空港での昼食後、15時10分発 新千歳行 JAL2509便 520人乗りのジャンボ機に乗り込んだ。
 機内は同じツアー客が乗り込んでいるのか、大きなジャンボ機が満席になっている。
 津軽海峡の上空あたりか、乱気流で機体が激しく揺れたのにはびっくりする。
 私も何度も航空機を利用しているが、これほど大きく揺れたのは初めてである。
 飛行機は定刻の17時00分に新千歳空港に着陸する。
 機外に出ると上空には厚い雲が覆い、どんよりと曇っている。
 気温的にも大阪の蒸し暑い気温と違って、ヒヤッとするような気温で心地よい感じがする。 

          
           関西空港から新千歳空港へ 日航ジャンボ機 2509便

 千歳空港からは、待っていたバスに乗り換え、17時45分 今夜の宿泊先である層雲峡温泉「ホテル層雲」に向かう。(240km)
 層雲峡温泉は、北海道の中心に位置、大型ホテルなどが立ち並ぶ、北海道有数の規模を誇る温泉街で、大雪山観光の中心的な役割を果たしている。

          
             新千歳空港からバスに乗り換え層雲峡温泉に向かう 

 バスは千歳ICから道央自動車道に入り、旭川方面に向かう。
 車窓からはどんよりとした厚い雲の下、北海道の広々とした景観が見えている。
 札幌市内の高層ビル群や大倉山・藻岩山などの山稜も見えている。
 若いバスガイドが、北海道の歴史や名所旧跡などを名調子で案内してくれている。
 私にとってこのアナウンスは、すごくありがたく分かりやすい。
 車窓からは、札幌駅前のJRタワーT38の超高層ビルやテレビ塔など高い建築物が、夕暮れ近い視界の中に姿を見せ、一昨年訪れた懐かしさが湧いてくる。
 バスは石狩平野を北に向かって延びている道央自動車道を走行して行く。
 旭川近辺では雨も降り始め、日も沈み真っ暗な闇の中を層雲峡温泉に向かっている。
 時間も8時を過ぎているがまだ着かない。 予め行動予定は確認しているが、夜の8時を過ぎても着かないのは、かなりの強行軍の日程である。
 これも格安ツアーだから・・・ と思うと 仕方ないナー思えてくる。
 やがて添乗員とガイドからの案内があり、8時30分 層雲峡温泉「ホテル層雲」に到着する。

 到着後は入浴もせずに、9時頃からの遅い夕食が始まった。
 料理の内容どうのこうのと述べるよりも、やっとホテルに着き、食事ができる安堵感と、つかの間のくつろぎを感じる。 なんとも慌しい旅である。
 明朝は7時30分の出発と添乗員から告げられている。
 食事を終えて、早速、入浴することにした。
 大浴場での入浴であったが、やはり温泉での入浴は、旅の疲れを癒してくれ、心身ともリラックス、旅情気分を味わせてくれる。
 入浴後、自室に戻り、ツインのベットに横たると、妻と二人いつの間にかぐっすりと眠ってしまっていた。        

          
       観光バスに掲げられていた 「北海道バスツアー走行ルート地図」

 1日目=千歳空港→層雲峡温泉 (黄色)、
 2日目=層雲峡温泉→流星・銀河の滝→北見→網走ー知床五湖ー川湯温泉 (桃色)、
 3日目=川湯温泉→摩周湖→阿寒湖→三国峠→美瑛→富良野ー札幌市内ー定山渓温泉 (緑色)、
 4日目=定山渓温泉→支笏湖→千歳空港 (青色)

          
             「ホテル層雲」屋上からの層雲峡温泉街の景観

 6月6日(土)朝5時半に起床し、同ホテル内の川向こうにある露天風呂に行く。
 天気は晴れており 申し分のない観光日和である。
 露天風呂は周りを白樺や火山岩で囲み、層雲峡の奇抜な山稜が望められように造られ、ここが北海道であることを感じさしてくれる。
 朝食後、昨日のバスに乗り込み、ホテル層雲を7時30分に出発する。

 ホテルを出発して国道39号線に入り、10分程で 「流星の滝、銀河の滝」 駐車場に到着する。

 この二つの滝のある層雲峡は、北海道の主峰、旭岳(2290m)など2000mを越える峯々が重なる大雪山系にあって最大規模を誇る大渓谷である。
 また、この渓谷は石狩川沿いに24kmに渡って断崖絶壁や奇岩が続き、その一角に二つの滝がある。
 流星の滝は高さ90m、水量も多く、勇壮な迫力ある男性的な滝で 「雄滝」とも呼ばれている。
 銀河の滝は高さ120m、幾重にも分かれ糸を引くような、柔らかいイメージのある女性的な滝で「雌滝」とも呼ばれている。 

          
     日本一広い大雪山国立公園内の層雲峡に属する男性的な 「流星の滝」

           
            女性的な 「銀河の滝」   「銀河の滝」 の前で記念のショット
 
 層雲峡の二つの滝を見学した後、先ほどの走行してきた旭川と北見を結ぶ国道39号線(北見国道)に戻り、石北峠(1040m)に向かう。
 車窓からは眼下には大雪湖が、上部には雪を被った大雪山系の山稜が美しく見え、旅情気分を掻き立ててくれる。
 やがてバスは石北峠にさしかかり、北海道の大自然で森林の中に造られたカーブと、きつい勾配が続く道路を下って行く。 

          
             車窓からの大雪湖と雪を被った大雪山系の山稜

 峠を下ると国道は真っ直ぐに伸び、北海道ならでわの牧場や広い農場などの景観が現れてくる。

          
           北見市周辺の車窓から 広々とした田園風景が広がっている

 バスはかつてのハッカの生産地や、タマネギの生産量全国一を誇る北見市街を通過し、国道39号線から通称 網走道路と呼ばれる網走湖畔の道路に入る。
 ここからの車窓も、広々とした平原の中の畑作や牧場などが見えている。

           
          牧場など長閑な農村風景が広がっている(網走周辺の車窓)

 網走湖とその奥に見える斜里岳(1547m)が美しい景観をかもし出している。
 やがてバスは博物館「網走監獄」を経由して、その山頂に当たる名勝「天都山」に向かった。
 天都山は、網走国定公園に属する標高207mの山で、国の名勝に指定(1938年)されている。
 山頂には展望台とオホーツク流氷館やさくら公園がある。

          
              天都山にあるオホーツク流氷館に向かう人たち

 天都山に到着後、私たちはライラックスの花咲く道を、展望台とオーホーツク流氷館に向かって行く。
 流氷館ではオホーツク物語と称して、映像で網走市を中心としたオホーツクの四季を紹介している。
 大変分かりやすい綺麗な映像であるが、極寒の北海道の厳しさが伝わってくる。
 映像を見た後、極寒(マイナス13℃)の氷で覆われた体験室があり、そのままの服装で入って行く あまりの寒さに5分といられない程である。

          
 流氷科学館では 網走周辺の四季を映像で紹介 「オホーツク物語」 が上映されている。

           
              展望台からの網走湖と能取湖の眺望

 オホーツク流氷館の見学を終えた後、展望台に上がってみると360度の見事な眺望が広がっている。
 展望台からは網走湖や能取湖、オホーツク海、斜里岳、知床連山などの眺望が望める。
 天都山の観光を終えた後、バスは網走駅前を通り、国道244号線を知床方面に向かう。
 途中のオホーツク海に面した網走海鮮市場で昼食を済まし、バスは再び知床国道を進んで行く。
 出発してすぐに国道沿いのオホーツク海と、涛沸湖に挟まれた小清水原生花園が見えてくる。
 その中を一両編成の列車が、ライトをつけながら、原生花園の間を走りぬける様子は、私たちの旅情を一層 高めてくれる。
 バスは世界自然遺産の知床半島にできた国道344号線を走っていく。
 車窓からはオホーツク海の透き通った海水が、白い波をたてながら海岸に打ち寄せている。
 バスは程なくしてオシンコシンの滝に到着する。  
          
 オシンコシンの滝が、国道からも優美な姿を表している。
 知床八景や日本の滝100選にも選定、女性的な中にも力強い美しさを持った滝である。
 高さ80mから黒い岩肌を真っ白な泡を立てながら流れ落ちる様は、私達に強い印象を与えてくれる。      
        
           
       80mの高さから流れ落ちるオシンコシンの滝  記念のショット

 オシンコシンの滝の見学を終えた後、バスは先程の国道を知床の中心都市、ウトロに入り、知床五湖に向かって進んで行く。
 上天気のために知床連山の雪を被った山稜が美しい姿を表し、見た瞬間、私達に感動を与えてくれる。
 2年前の秋に訪れた時よりも、今回の知床連山は、雪を被り、美しく見えている。
 また、車窓からは野生の鹿が、道路脇で餌をあさり、知床の自然を感じさしてくれる。
 バスは程なくして知床五湖駐車場に到着する。
 
          
  車窓からの知床連山(右から羅臼岳=1661m、三ツ峰=1509m、サシルイ岳=1564m)

 知床半島はオホーツク海へ北東に突き出した長さ70kmの半島である。
 半島の中心には羅臼岳や硫黄山などの知床連山の山稜が重なり、硫黄山の中腹からは今なお噴煙を上げている火山列島で、山麓には豊富な温泉が湧出している。
 半島の地形から知床は ”大地の尽きる所”日本最後の秘境といわれ、厳しい自然を作り出し、人の侵入を阻む地形をしている。
 人の数より熊の数が多いともいわれ、知床五湖周辺もヒグマの良好な生息地となっている。
 私達が訪れた日も、知床五湖にヒグマが出没、三湖から五湖までは立ち入り禁止である。
 私たちは、許可されている知床一湖と二湖の遊歩道からの散策のみとなった。

 ご覧の写真のように好天に恵まれ、雪を被った知床連山の山稜が見事な景観を表している。
 この景観を見られただけでも今回のツアー旅行に参加した価値があった。
 木道の遊歩道が湖の周りに造られ、多くの観光客が訪れている。
 特に湖面に映った知床連山の山稜の美しさは抜群で、見事な景観を表している。
 知床の豊かな大自然が訪れる人たちを魅了し、脳裏に大きくひきつけてやまない。

 知床五湖の散策を終え、私達は屈斜路湖の畔にあり、今日の宿泊先である川湯温泉に向かって行く。

          
 知床五湖に映る知床連山(右から羅臼岳=1661m、三ツ峰=1509m、サシルイ岳=1564m、オンカバケ岳=1450m)

           
            木道の知床五湖遊歩道   湖面に映る知床の山
        
          
               車窓から見かけた知床の野性の鹿

           
 車窓から 知床半島にある真っ直ぐな希望の道  オホーツク海に面した知床のモニュメント

          
           清里町を通行中の車窓からの牧場風景と斜里岳(1547m)

 知床半島の国道334号線から、清里町をJR釧路本線と並行して走る1115号線を走って行く。
 車窓からは周辺の牧場などと共に、斜里岳が北海道らしい雄大な景観を見せている。
 バスは屈斜路湖畔を通り、川湯温泉「湯の閣」に6時30分頃 到着する。(バス走行距離320km)
         
          
          宿泊先の川湯温泉「湯の閣」で特注した毛がに料理の夕食 

 今日は毛がに付きのご覧のような特別食(+3980円/人)を注文していた。
 湯の閣はこじんまりとしたホテルであるが部屋も改装直後で綺麗である。温泉も体が良く温まる好印象の温泉である。