希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車118

2010-04-13 15:02:38 | 日記
近代スペインの大建築家、ガウディは、言っています。

『生(いのち)は闘(たたか)い。戦うには力(ちから)を必要とし、力(ちから)は徳(とく)である。徳(とく)は精神的研鑽(けんさん)、すなわち宗教の実践(じっせん)によってのみ維持(いじ)され、増大する。』

確かに、生命は、戦(たたか)いだ。あらゆる生命は、戦っているから、生きていると言える。人間にしても、ひとつひとつの細胞(さいぼう)が、病原菌や、さまざまな雑菌(ざっきん)、ウイルスと戦っているから、生きている。それらの細胞が、戦うことを、やめたら、人間は、朽(く)ち果(は)て、死んで腐(くさ)っていく。

だから、生命にとって、戦うのは、あたりまえのことであり、欠(か)くことのできないことでも、あるのでしょう。

それに、人間は、何かに挑戦している時の方が、生きる喜(よろこ)びを、感じるし、輝(かがや)いて、幸せを、感じる。

それが、生命であり、人間なんだと思う。

ガウディは、その、戦いには力(ちから)が必要でり、力は『徳(とく)』である!と言っています。

『徳』というと、わかりずらいかもしれませんが、力(ちから)は、精神的な支(ささ)え、人間性や、精神的な希望や勇気によって、起こるということだと、思う。

ガウディは、その『徳』という精神的な支(ささ)えは、『宗教』の実践(じっせん)によってのみ維持(いじ)され、増大する!と、言っています。

感覚(かんかく)としては、わかると思いますが、一般的に宗教を、精神的な気力の増大になると考え、位置づけているような人は、なかなか、いないと思う。

だから、普通は、普通の生活の中に生き、普通の生活の中で、徳という精神性を、高めようとしていると、言えると思います。

けれど、それで、はたして本当に幸せになれるかというと、幸せになれない人が、たくさん、いる。また、さまざまな悩みや苦難が出現し、それらを、解決できず、なおざりにして、生きるしかない場合が、多いのも、現実だと思う。

ガウディの言葉を、借(か)りれば、生(いのち)の戦いに、負けていると、いうことだと思う。

そう考えると、やはり、人生という生(いのち)の戦いに勝つためには、力(ちから)が、必要であり、ガウディによると、その力(ちから)は、宗教の実践によってのみ、増大する!!と言うことです。

やはり、人生の戦いに勝つためには、力(ちから)が必要であり、そのためには、どうしても『宗教』が必要なんです。

といっても、間違った宗教をやってはいけない。間違った宗教は、当然、間違っているので、どんなに、その宗教をやっても、力(ちから)にはならず、逆に力を奪(うば)うことになり、人を、どんどん、不幸にしていくからです。

日本に、はびこっている、葬式仏教(そうしきぶっきょう)、観光宗教、神社信仰も、間違った宗教です。それは、ちょっとまともに考えれば、わかりますし、仏法哲学(ぶっぽうてつがく)を、ひもとけば、完全に間違った宗教であることが、わかります。

すなわち、それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰を、どんなに真剣にやってみたところで、自分の力(ちから)にはならず、逆に力を奪(うば)い、どんどん、不幸になっていく!ということです。

だから、宗教の正邪(せいじゃ)は、しっかり、見極 (みきわ)めなければ、いけない。

問題は、はたして、ガウディの言うように、力(ちから)である徳(とく)を維持(いじ)し、増大する宗教が、存在するか・・?ということです。

その徳という精神性の力(ちから)を、ほんとうに、増大し、輝(かがや)かせ、無限の力を、生み出していけるのが、創価学会が、実践している南無妙法蓮華経を、となえる仏法の実践なんです!

実際、南無妙法蓮華経を、となえていくと、生命が蘇生(そせい)するんです。

南無妙法蓮華経を、となえることによって、生命力が高まり、自分が輝(かがや)いてきて、勇気や情熱、気力が、どんどう強くなっていくんです。また、現実に生命を蘇生(そせい)させ、病気などを克服(こくふく)する大きな力(ちから)ともなります。

そして、南無妙法蓮華経を、となえることは、人生におけるあらゆるものを、乗り越(こ)える力(ちから)となり、さまざまな悩みや問題を、解決でき、自分のさまざまな夢や希望を、かなえていけるようになっていくんです。

それが、南無妙法蓮華経なんです。

だから、ガウディが言うように、生(いのち)は、闘(たたか)いです。そして、戦うためには、力(ちから)が必要です。その力(ちから)とは徳(とく)であり、その徳という精神的な力は、宗教によってのみ、増大する。

その人間の生命の持つ、あらゆる力を増大し、輝(かがや)かせ、開花させる、無限にして、最高最大の力(ちから)が、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです・・・!!!


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希望列車117

2010-04-10 23:58:51 | 日記
人生、だれでも、大きな試練(しれん)に、ぶつかることがある。それは、試練や苦難(くなん)に、ぶつかることなく、スムーズに人生を進んでいけたら、最高です。

けれど、いやおうなしに、やはり、人それぞれ、試練(しれん)は、やってくる・・・。

創価学会の人に共通して言えることは、そういう大変な試練にぶつかった時、とてつもない困難が自分の人生に降(ふ)りかかってきた時、本当に創価学会員で良かったと言い、また、心から、それを実感することです。

ぼくも、それは実感します。もし、創価学会員でなかったら、今の自分は、ないと思う。

本当の輝(かがや)きは、困難な時ほど、光る。困難が大きければ大きいほど、光を増(ま)す。

人生、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の時は、良い。
何もかも、うまくいくようで、楽しいでしょう。けれど望むわけではないけれど、やはり、試練や困難は、やってくる。

その時に、世間一般的に、どうしていいか、わからなくなり、絶望し自殺してしまったり、自暴自棄(じぼうじき)になってしまう場合が、なんと多いことか・・・。

一般的に、そんな困難が襲(おそ)ってきた時、人々は、その困難を打開(だかい)する、具体的な方途(ほうと)を、知らない。自分の人生を、根本から切り開く方法を、知らない。

だから、ただ単に逃げたり、なおざりにするしか、方法を知らない場合が、多いと思う。

けれど、創価学会の人は、違う!!!

困難を、根本から打開する方法を、知っている。
自分の宿命を転換(てんかん)し、運命を変え、境涯 (きょうがい)を大きく変えていける方法を知っている。そして、現実に、さまざまな困難や悩みを乗り越え、幸せになっていける。

その一人一人の、悩みや困難を乗り越え、幸せになっていった歴史が、創価学会だと言うこともできます。

また、一人一人が、困難を乗り越える方法を知っているし、また自分で乗り越えた体験を持っているので、その一人一人が、友が困難にぶつかって苦しんでいる時、自分の体験から、心からの確信と信念を持って、『必ず、乗り越(こ)えられるよ!!』
と、励(はげ)ましてくれる。

困難にぶつかった時、実は、この信念と確信のこもった励(はげ)ましが、一番、大きい!
この創価学会の人たちの励ましが、どれだけ多くの困難に直面した人を元気づけ、勇気づけ、実際に困難を乗り越え、幸せにしてきたか、計(はか)りしれないでしょう!

その蘇生(そせい)と幸せのドラマが、創価学会なんです。

その、どんな悩みや困難も、乗り越えていける、そして、あらゆる宿命(しゅくめい)を変革して、人生を切り開き、幸せになっていける力(ちから)であり、法則であり、エネルギーが、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・!

だから、悩みや困難に直面した時、創価学会の人たちは、心からの真心(まごころ)と確信を持って、言います。

『この創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰によって、必ず、乗り越えられるよ・・!
 必ず、幸せになっていけるよ・・!』

・・・と。


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希望列車116

2010-04-07 16:16:41 | 日記
創価学会二代会長の戸田城聖先生が、
『あなたが信心に立ち上がれば、必ず、すべてが軌道(きどう)に乗ります。信心が強ければ、周囲(しゅうい)が、あなたの幸福の力(ちから)となる。本当に不思議(ふしぎ)なものだ。
法華経(ほけきょう)には、「魔(ま)及(およ)び魔民(まみん)有りといえども、皆(み)な仏法を護(まも)らん」とさえある。』

と、言っています。

また、池田先生(創価学会インターナショナル会長) も、言っている。
『要(よう)するに、「自分」である。わが一念(いちねん)で決まる。

状況を嘆(なげ)いたり、人のせいにしても、何も変(か)わらない。自分が変わることだ。自分自身の信心を強くすることだ。』

創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法のスゴイところは、祈ることによって、たとえば、何か・・人から、ほどこしや、お金を、もらって幸せになろうと、いうのではない。環境や人が、自分を幸せにしてくれるのではない。棚(たな)からぼた餅(もち)みたいなことではなくて、自分が、自分で、南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分が変わっていけるんです!
南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分が、環境(かんきょう)や世界、人生を変えていく主人公となって、人生と世界を、大きく動かしていけるんです。

その自分が世界と人生を、大きく変えていける無限にして究極(きゅうきょく)の力(ちから)が、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。

だから、スゴイ・・・!!!

ようするに、南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分がドラマの主人公となって、人生を動かしていける。こんな痛快(つうかい)なことは、ない。

また、人々に、それだけの数えきれない多くのドラマを、生んできたのが、創価学会なんです。

だから、戸田先生が言うように、自分が、創価学会の南無妙法蓮華経の信心に、立ち上がった時、すべてが軌道(きどう)に乗る!
自分が、変わっていく。自分が幸せに変わっていくことによって、その幸せの力(ちから)によって、周囲(しゅうい)も自分が幸せになる力(ちから)になっていく。なぜだか、悪人であっても、その、南無妙法蓮華経を、となえている人を、助ける人になってしまう・・・。

南無妙法蓮華経は、すべてを、幸せに向かって引っ張(ぱ)って行く根源(こんげん)のエネルギーなんです。

だから、自分が変わり、環境も世界も、幸せに変えていける。

それが、創価学会の、自分自身を、大きく変え、そのことによって環境も世界も変えていける、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・!


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希望列車115

2010-04-03 22:48:43 | 日記
すべての人は、『仏法(ぶっぽう)』を、求(もと)めている。

けれど、仏法というと、わからない。

人が望むもの・・ 、人が、求めるもの・・。

それは、幸せであり、希望であり、安らぎであり、調和である。

音楽にしても、映画にしても、文学にしても、さまざまな文化にしても、人は、自分が感動し、気持ちよくなり、心が安(やす)らかになるものを、求めて、それらの音楽や映画や、スポーツや趣味によって、それらの自分の人生にとって、プラスとなるもの・・。すなわち、希望や調和、勇気や挑戦する心を、高めようとする。

すなわち、それらは、すべて生きる喜び、幸せに向かうものであり、それらの生きる喜びを求めて、さまざまなことを、やっている。

では、音楽にしても、映画にしても、文学にしても、さまざまな文化にしても、それらは、いったい、何を求めているんだろうか・・・?

それは、当然、幸せを求めている。その表現の結果が、感動であったり、勇気であったり、安らぎであったり調和であったりする。

実は、それらの人々が求めている、感動や安らぎ、希望や勇気、調和とかいうものは、『仏法のエッセンス』の一分(いちぶん)であり、生きる喜びのすべてが、『仏法』の中にあるんです。

だから、さまざまな音楽にしても、映画にしても、文学や、さまざまな文化にしても、生きる喜びという、『仏法のエッセンス』の一部分(いちぶぶん)を、求めて、ちまなこになっている!と言うこともできます。

それら、感動や勇気、希望や調和、安らぎなどの、人間が幸せになるために、欲(ほ)しくて欲しくて、しょうがないもの・・・。

その人間が、本源的(ほんげんてき)に求めているものの、本当の姿(すがた)であり、究極(きゅうきょく)の幸せの姿が、実は、創価学会が実践する『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』なんです。

だから、本当は、音楽にしても映画にしても文学にしても、あらゆる文化が、究極的に求めているのは、『仏法(ぶっぽう)』なんです。

はっきり言えば、人間は、仏法を求め、仏法に向かって、模索(もさく)し、それを、つかもうとしているんです。

ところが、『仏法(ぶっぽう)』と聞くと、そっぽを向く。まさか・・仏法が、自分が求めているものだとは、考えもつかないからです。

だから、人々は、必死で仏法を求め、仏法を、つかもうとしているのに、自分が、つかもうとして模索(もさく)している幸せが、まさか、仏法にあるとは、考えられず、結局、自分が欲(ほ)しがっている幸せを、つかめず、人生を終わってしまう。それが、多くの人たちの人生だと言うことも、できます。

だから、その『仏法』に対する偏見(へんけん)を打ち破(やぶ)り、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を求め、実践していったとき、自分のあらゆる悩みや問題が、解決でき、さまざまや希望や夢を、かなえていけるようになっていく。そして最終的に、これ以上ない!と言える幸せと勝利の、最高に満足のいく人生を、おくることができる!!

それが、すべての人が求めている、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる『仏法』です。


だから、ほんとうは、すべての人が、『仏法』を、求めている。

音楽にしろ、映画にしろ、文学にしろ、さまざまな芸術にしろ文化にしても、すべては『仏法』を目指(めざ)し、仏法に近づこうと進んでいる。

人間のいとなみの、すべては、仏法に近づこう!仏法に近づこう!として模索(もさく)している。

人間は、『仏法(ぶっぽう)』が、ほしいんです!!!『仏法』を求(もと)めて求めて求め抜いているんです。

けれど、自分が求めている幸せが、『仏法』であるとは、まさか、気づかない・・・。

だから、自分が望む本当の幸せを、つかめないまま、人生を、終わってしまう。

だから、勇気を出してほしいと思う。

仏法は、そこにある・・!

過去の時代から、あらゆる人が、求めて求めて、欲(ほ)しがっていた最高の幸せは、実は、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の中に、あるんです!

だから、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を、つかんでほしい!!

そこに、すべての人が望む、あなたが望む、すべての幸せが、あるからです・・・!


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