旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

隣の芝生は青いというけれど

2017年05月28日 09時10分21秒 | 日々のこと
新しい出会いがたくさんあった春。自己紹介したり、幼稚園の母さんたちとお茶(!!!)に行ったりすることも何度かあるわけで・・・楽しくもあり、違和感もあり、それはもういろいろ。

つばさとは物理的に片時も離れることはできないわけで、おなかも目立った状態での初めましてはやっぱり印象に残るらしく、いろんなことを言われる。聞き流せばいいだけなのだけど、妙に心にひっかかってしまったり、言い返せない悔しさが澱のようにたまっていくのを感じている。

びっくりするのは、夫の悪口?育児のできなさを馬鹿にしたり、けなしたりする人がこんなにも多いのかということ。
おもしろおかしく言うのはまだ笑えるとして、私がその夫の立場だったら、こんな風に言われたくないなーということがたくさん。どれだけ夫が非協力的なのかを競っているのか?と思うほどみなさん数多くのネタをもっている。夫をけなす人ほど「母親って大変だよねー」と同意を求めてくる。そして私のことを心配してくれる。「見てるだけでも大変そう」「すごいよねー。私にはできないわ」「幸せそうでうらやましいわ」だいたいこの3つ。

あのさ、よく考えてみてよ。
大変だったら子ども3人も育ててないでしょ。絶対に無理だったら避妊するでしょ。それかとっくにセックスレスになってるでしょ。私にはできないわって別にあなたもやってみたら?なんて誰もひとことも言ってないやん。すすめてないやん。ほんで幸せそうでうらやましいって、全然笑ってない目で言われてもそんなん見たらわかるやん。考えたらわかるやん。あなたは幸せじゃないの?自分が選んだ夫と望んだ子どもとの生活はそんなにも不満だらけなの?たいして親しくもない私にペラペラしゃべるほどに。

隣の芝生は青いとはよく言ったものだけど、うちの芝生は青いです。というのは本当に本当に難しい。お互いの不幸自慢みたいなのに安心している自分は小さくてみじめすぎる。それなら叩かれてもいいし、鼻を折られても構わないから「私は幸せ」と言い切ったほうが(多少無理してでも)よっぽど社会の雰囲気は明るくなると思うのだけど、子どもを抱えた小さな母親の輪の中でそのハードルのどれだけ高いことか。

夫のことを(妻のことを)ほめる人が本当に少ないのも不思議。それがこの国の美徳なのかどうなのかはわからないけれど、そりゃ50代、60代になった時、もっさりと輪郭を失った大人が徘徊しているのも仕方ない気がする。異性でなくても構わない。友達同士でも家族でも、もっともっとお互いがお互いを認め合っていることを言葉で態度で表現してもよいのでは。別に減るもんでもないしさ。

夫婦が尊敬しあい、互いを高めあっている姿を見せることで、子どもたちが「大人になっても楽しいんだな」と思ってくれたら、それだけでもう何も伝えることはないと私は思う。将来を脅す必要なんてない。「子どもはいいね」なんて言う必要はない。そもそも子どもはいいのか?子ども時代に感じていた得体のしれない不安や、怒りや、将来に対する心細さ。私はもう二度とあんな不安な年齢に戻るのは嫌だ。子どもはお気楽に生きているわけではない。産まれた瞬間から大人の世界にしっかり巻き込まれている。そこから逃げられない。

そんなに立派な夫婦なのかい?あんたたちは?と聞かれると、モゴモゴ口ごもるかも知れないけれど、それでも私は「幸せだよ」と言い切って、この人生をがっしがっしと歩んでいきたい。連れションしてる暇はないのだよ。残された時間は永遠ではないのだから。