旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

ああ、そういうことか

2016年04月13日 20時55分42秒 | 日々のこと
私なりに我が子と向き合っているつもりだけれど、二人にとって私の向き合い方は
まだまだ全然足りないらしい。ダンナ氏は最後の出張、子どもと三人の日々が過ぎてゆく。
こどもたちは「とうちゃん、いつかえってくる?」「とうちゃん、いまなにしてる?」
そればっかり。目の前に私がいて「さあ、トランプしよっか」と笑顔で誘っても
「あーあ、本当はとうちゃんとしたかったんだけどな・・・」とか言って不服そう。
「私は今、トランプなんか全くもってしたくないんじゃ!!」と怒鳴りたい気持ちを抑えて
「まあ、今日はかあちゃんでもいいんじゃない」とか言ってる自分に気が遠くなりそう。

お茶碗を洗いながら突然ハッとわかったことがあった。そうか、そういうことだ。

子どもたちが私に「○○してほしい」と要求する回数を10とするとそのうち8はその場で
きいているつもりだ。それでもどうしてもできないこともある。できない時もある。
そして困ったことに子どもたちは私が耳を傾けた8ではなく、きけなかった2をより強く記憶している。
その結果、かあちゃん=言うことをきいてくれない人 となっているのではないか。

それに対して、とうちゃん。
子どもと接する相対的な時間と、役割の違いから(これに対して私の不満は全くないが)
子どもたちがとうちゃんに要求するのは私に比べると3ぐらいだ。そしてとうちゃんはその3のうち
ほぼ全部に耳を傾けている。だから子どもたちにとっては とうちゃん=自分の思いを聞いてくれる人
になっているのではないか。

これはあくまでもうちの家の場合だが、もしこれが事実だとしたら、そら子どもたちはとうちゃんが
好きなはずだわ・・・と深く納得した。

8きいても、できなかった(しなかった)2のために私の信用はここまで堕ちるんだな。
こどもはいつでも本気。小さなごまかしや嘘が通用しない。
10きいてやることは不可能だから、せめてきいてやれる8のことをごまかさずにやっていけたらいいのだけど。

赤子は動きがめっきり少なくなって、頭をぐいぐい食い込ませてきているような感じ。産道に向けて
自分の位置を決めようとしているようだ。時々グリグリっとめり込ませて練習している様子。
私の身体を通り道にして、あなたにはあなたの人生が始まる。「さあ、思う存分使ってくれ!」
そんな気持ちだ。親子の一体感とか、愛情爆発とか、そういうのがあんまりないのはなんでだろ。