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ぶらり大宇陀歩き旅「森野旧薬草園」

2019-06-28 19:29:41 | 地域と文化

ぶらり大宇陀歩き旅「森野旧薬草園」

 道の駅宇陀路大宇陀から北へ5分ほど行ったところに「森野旧薬草園」があります。この薬草園ですが、葛粉を作り始めて11代目の藤助が享保年間に自宅の裏山に開いた「小石川植物園」と並ぶ日本最古の薬草園です。 約250種類の薬草木が四季折々に来園者の目を楽しませてくれます。

  当家の祖初代兵部為定は吉野南朝に仕えたとされ、16世紀中頃大和国吉野郡下市で葛粉の製造を始め「吉野葛」の名称で、世に知られるようになり、森野吉野葛本舗の創業なのです。

 1615年(元和2年) 当主、与右衛門貞康が葛粉の製造により適した良質の水、寒冷な地を求めて現在地の地「大宇陀」に移住。
以後も、代々葛粉の製造を継承し、朝廷はじめ幕府及全国大小諸侯の御用を勤め承る。現在も天皇御即位式の折には森野吉野本葛をお供えする風習が残っています。第11代当主森野賽郭は、薬草に対する造詣が深く、幕吏に随行して近畿一円から北陸地方まで数回にわたる採薬、調査旅行を行う。時の八代将軍徳川吉宗公の漢方薬の自給自足と農事振興の施策に合致し、褒賞として下賜された薬草を、賽郭が自家の薬園に植え、森野旧薬園となります。

 賽郭によるその後の採集旅行と当代の文化人との交流を経て薬園は年を追って盛んになり、幕府官園の補助機関となる。
賽郭自身、享保20年に苗字、帯刀を許される。当薬園の名は商品作物農業の進展につれて高くなり、平賀源内、皆川棋園、田村元雄、池大雅とも交流のあったことが記録に残る。賽郭の死後も当薬園は維持されてゆき、西洋医学を志した学者とも交流があったとされています。

廃藩置県や洋薬輸入等の影響により、江戸期以来の藩営薬園の類いが殆んど廃絶する。その中でも幕府直轄の小石川薬園が明治8年に小石川植物園と名を変えて保存された他は、当森野薬園のみが往時の姿を伝え、希少なな資料と共に今日に至っています。また、1926年(大正15年)2月、当薬園の貴重さと、保存に対する意欲が認められ文化財史跡に指定されました。

         

 

         

 

         

 

         

 

 

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