作者 未詳 巻十二 三〇二〇番歌
斑鳩の 因可(よるか)の池の 宜しくも 君を言はねば 思ひそわがする
訳:斑鳩の因可の池のように宜しくも、世間は君をうわさしないので、何かと物思いすることよ。
解説
この歌は、斑鳩の因可という池を題材にして、恋の物思いを詠んだものです。ここに詠まれる「斑鳩」は、現在の生駒郡斑鳩町付近を指していると考えられています。斑鳩は聖徳太子が宮をおいた場所であり、法隆寺をはじめとした聖徳太子ゆかりのお寺があることでも知られている地域です。
その斑鳩には、かつて因可という名前の池があったようですが、現在の場所も、現存しているかどうかも不明です。ですが、この歌では因可の池の場所が問題なのではなく、ヨルカという音から、ヨロシという言葉が導かれていることがポイントです。さらにいえば、イカルガのヨルカという音の続きも、リズミカルで口ずさみたくなります。「万葉集」には、こうした音を楽しむ歌がたくさん残されています。
リズムよく詠まれた上の句ですが、下の句では一転して作者の恋の悩みが打ち明けられています。「宜しく君を言はねば」とは、世間の人があなたのことを良く言わないので、という意味です。この作者の恋人は、世間からの評判が悪く、作者はそのために物思いをしているのです。恋人の悪い噂がどのような内容か、またこの作者が何を心配しているのか、この歌からだけではわかりません。誠実な人ではないのかもしれない・・・とか、浮気をしているのではないか・・・など、「思ひ」の事情はさまざまに考えられます。それを想像してみるのも、歌を詠む楽しみの一つです。古代の人々の恋愛模様も、案外複雑だったのかもしれません。
万葉集ゆかりの地~飽波宮(あくなみのみや)~
法隆寺の南東約1.5㎞に位置する遺跡で、平成3年度の歴史公園整備事業に伴う発掘調査で見つかりました。調査の結果、整然と配置された大型の掘立柱建物群や、平城宮や平城京で用いられた瓦と同じ文様の瓦などが見つかったことから、これらの建物群は「続日本書紀」に記された、称徳天皇が行幸の際に宿泊した「飽波宮」と考えられています。当初は、聖徳太子にゆかりのある葦垣宮(あしかきのみや)があったと言われていました。現在は、遺跡は埋め戻され公園として整備され、遺跡説明板や聖徳大師像、今回の歌の万葉歌碑などがあります。
聖徳太子ゆかりの寺~中宮寺~
創建時以来の尼寺。聖徳太子が母、穴穂部間人皇后のために建てた御所跡を寺にしたと伝えられ、大和三門跡寺院の一つにあげられている。斑鳩御所とも呼ばれていました。飛鳥時代後期の作である本尊の菩薩半跏思惟像(国宝)は、モナリザ、スフィンクスと並ぶ世界三大微笑像の一つ。右足を組み、右手の指を頬に触れようとする半跏思惟の美しい姿、気品のある微笑みは和辻哲郎もその著書「古寺巡礼」で絶讃するほどです。聖徳太子の妃橘大郎女が太子の冥福を祈って、死後の世界(天寿国)の様子を釆女らとともに刺繍したことで知られる天寿国曼荼羅繍帳(国宝)(展示は複製)も見ることができます。
また、本堂には門跡寺院らしい優雅さ、尼寺らしいつつましさが漂っていますし、池の周りには八重一重のヤマブキが植えられていますので、春には黄色い花が咲き何とも言えない雅さが漂っています。
菩薩半跏像(如意輪観世音菩薩)[国宝]
斑鳩の里に1300余年の法燈を継ぐ中宮寺のご本尊で、クスノキの部材をはぎ合わせた寄木造りです。
黒光りする細くしなやかな体に、穏やかな微笑みをたたえる本尊は、寺伝では如意輪観音菩薩と呼ばれています。
右足を左ひざの上に置き、右手をそっと頬にあて、優しい微笑みを浮かべるお顔、向かい合ったときのまなざし、見方によってさまざまな表情がみられます。
天寿国曼荼羅繡帳(複製)
662年橘大郎女が太子の往生した世界を繍帳にすることを推古天皇に願い出ました。
天皇は渡来系の絵師たちに下絵を描かせ、采女たちに刺繍させ、二帳の繍帳を完成させた日本最古の刺繍です。
どちらも痛みがあり断片化していたため、江戸時代に断片を貼り混ぜて一幅の掛け軸としたものです。
鳳凰が飛び月が浮かぶ空や、飛鳥時代特有の衣装をまとった人々、寺院において供物を揚げる人物、月面の兎、亀などをみることができます
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