広島・長崎と首相―「被爆国」の指導力とは
外交によって平和を目指す努力を最大限するのは当然である。
が、しかし、 いまのところ、究極的には、威嚇によってのみ、国の安全をまもれるのである。
自衛力による威嚇を肯定するなら、核武装はもっとも効率的な自衛力であろう。
威嚇による裏づけがないままに、安全保障が、対話でのみ実現可能という主張であれば、非武装中立を主張すべきた。
朝日の目指す軍縮、核軍縮は、アメリカが核兵器を放棄しないままーーーアメリカが優位を保ったままーーーその子分でアメリカのいいなりの日本がその恩恵を被る体制であり、アメリカを頂点とする世界の不平等な階層=アメリカ帝国を維持するものであり、妥当ではない。アメリカ帝国の圏外の国々の承服を得られるものでもなかろう。
奇怪で不気味な原理であるが、強大な威嚇力をもつ核兵器は、配備のされ方によっては、平和と平等をもたらすのであるーーそれを打ち破る説得力のある議論を提示してもらいたい。
「威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか」「人類の未来を見据えて、信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか」
米国の「核の傘」に頼ってきたのは自民党政権だけでなく、民主党政権でも同じだった。
目の前の安全保障問題を平和的に解決していくには、自衛力を持ちつつも、軍縮を含めた果敢な外交を展開していくことが不可欠である。そのことを抜きに、核に頼らない安全保障体制への転換は進まない。
大統領は6月の演説で、「核兵器が存在する限り、真に安全ではない」と強調している。
歴史的訪問の実現に向けて、被爆地の視点と日米同盟の利点を切り結ぶ指導力が、安倍首相に求められている。
外交によって平和を目指す努力を最大限するのは当然である。
が、しかし、 いまのところ、究極的には、威嚇によってのみ、国の安全をまもれるのである。
自衛力による威嚇を肯定するなら、核武装はもっとも効率的な自衛力であろう。
威嚇による裏づけがないままに、安全保障が、対話でのみ実現可能という主張であれば、非武装中立を主張すべきた。
朝日の目指す軍縮、核軍縮は、アメリカが核兵器を放棄しないままーーーアメリカが優位を保ったままーーーその子分でアメリカのいいなりの日本がその恩恵を被る体制であり、アメリカを頂点とする世界の不平等な階層=アメリカ帝国を維持するものであり、妥当ではない。アメリカ帝国の圏外の国々の承服を得られるものでもなかろう。
奇怪で不気味な原理であるが、強大な威嚇力をもつ核兵器は、配備のされ方によっては、平和と平等をもたらすのであるーーそれを打ち破る説得力のある議論を提示してもらいたい。