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★残してくれてものは 『純粋に音楽と向き合う』ことだったのかも 村上ポンタ秀一さん

2021-04-03 09:49:47 | 「音楽」


お疲れ様です。
みなさまお元気ですか?

こちら金沢
桜の花も良い感じで
お天気もまた、グット
よい週末となりそうです。





ということですが
今日はいまでは伝説のドラマーと
なってしまったこの方
「村上ポンタ秀一」さんです。

2月8日に視床出血により入院され
令和3年3月9日享年70歳にて永眠
されました。

数多くのミュージシャンとともに
数々の音楽を作り上げてこられた方で
だれしも、
ポンタさんの音は耳にされたことがあると思います。

ジャズ、ロック、J-POP、歌謡曲などなど
ジャンルを超え数々の作品に参加され
多くの名演奏を残されました。

ほんとに多くの方とともに
音楽を作り上げてこられた方で
ピンクレディーの「未唯mie」さんの
言葉を借りるとすれば
『純粋に音楽と向き合う』
その言葉が一番にあう方だったと思います。

共演された方は数知れずですが
昭和の時代で言えば
沢田研二さん矢沢永吉さん山下達郎さん
キャンディーズなどなど
椎名林檎さんや福山雅治さん

まだまだ、数え切れない感じです。

Wikipediaにその一部だと思いますが
紹介されていたので
気になった方はご覧ください。
村上秀一 - Wikipedia

そんなポンタさんですが
私の大尊敬のミュージシャンの一人でもあります。

葉巻をくわえ「歯に衣着せぬ」語り口は
さすがの一言
その実績が言葉に重みを加える
と言った感じでしょうか?

イメージ的にはこんな感じです。

ポンタさん口悪すぎワロタ
 

いろんな発言ありますが
数々の名演奏はこんな現場から
造り上げられるんだなあ・・・
YOUTUBE見ながら
そんなふうに感じました。

そして、このポンタさんの残した言葉ですが
検索すると、いろいろと出てきます。
ちょっと引用してみると

【ドラムってものが、リズムをドコドコやってるより、
 どれだけ色っぽくて表現力があって、
 どれだけ情景や叙情を描けるか、
 そういうことをもっと啓蒙していきたい。】


【もうちょっと自分で自分を認めろ!
 自分を愛して自分を信頼して、
 苦しんで楽しむ!
 ”際限はない”ってことを常に頭のどこかに置いて
 ”探求の旅”に出てほしい。】


【まずは”古きを知れ”ってこと。
 古きを知ってそれを自分なりに
 把握することが大事なんだ。】

こんな感じです。
どれも、
なるほど・・・と気付かされるような
言葉です。
そんな言葉の中で
私的に記憶に残っているのは
ポンタさんの教則ビデオで語られてた
こんな言葉です。

村上ポンタ秀一 ドラムデモンストレーション


それは
ドラマーとして大切なのは
凄いテクニックではなく
「音符と音符の間にどれだけのことを
 語れるか」

それが醍醐味だ
ちょっと言葉は違うかもしれませんが
こんなニュアンスの言葉だったと思います。

言葉では簡単ですが
音符と音符のドラムを叩かない部分で語る
なんとも奥深い言葉で
今でも、
ドラムを叩くときはそれを意識しながら
演奏するようにしています。

そして、村上ポンタさんを検索していると
こんな動画も見つけました。

追悼企画。偉大なドラマー、村上 “ポンタ” 秀一さんの功績を探る。
 

いままで知らなかったのですが
日本の音楽シーンのパイオニアとしての一面です。

それは、ポンタさんがプロデビューすることとなった
「赤い鳥」というバンドの
アメリカでのレコーディングでの一幕です。

「赤い鳥」と言えばこの曲が代表的ですが
赤い鳥 - 翼をください
 

当時、この「赤い鳥」が
アメリカでレコーディングすることとなります。
その演奏はアメリカの素晴らしいミュージシャン達
が行うので
ポンタさんはドラムを叩くことはありません。
ですが、見学のためにレコーディングに同行することとなります。

そして、そこで当時のアメリカの一流の
スタジオミュージシャン達の
レコーディングを目の当たりにします。

その頃、日本でのレコーディングと言えば
編曲家が書いた譜面を見て
その通りにドラムを叩く
それが当たり前
でした。

ですが、彼らは違います。
即興に秀でたミュージシャン達が
その場でアイディアを出し合い
音楽を創りあげていきます。


これを「ヘッドアレンジ」というそうですが
その現場に触れることとなります。

そして、この世界を日本に持ち帰って
これを始めたパイオニアの一人
それが、村上ポンタ秀一さんだったそうです。

なので、現代の日本の
ミュージックシーンを作り上げた
大きな存在だったことは間違いありません。

まだまだ
ポンタさんの逸話はネット検索すると
山のように出てきますが
最後にこの一曲をお届けします。

TRAVELLING 近藤房之助 Char PONTA BOX
 

ということで
今日は
ドラムの演奏で残してくれてものは
『純粋に音楽と向き合う』ことだったのかも
村上ポンタ秀一さん
でした。

 
 
 
 





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