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東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

目黒・品川再訪(二)~田向公園、清水池公園

2015-06-24 05:58:37 | 目黒区
碑文谷公園を出て、東急東横線の高架を潜ってしばらく住宅街の中を抜けて行くと、目黒通りに出てくる。以前、ここで紹介した目黒競馬場跡や油面から更に先に当たるところで、ダイエーの東京進出一号店であったダイエー碑文谷店や自動車ディーラーが並んでいる。その目黒通りを渡って一本裏へ入った辺りに田向公園という区立公園があった。この辺りは、きれいに道路整備がされていて、町の区画が整然としている。ちょっと渋い雰囲気の公園入口。


公園自体は極普通である。


その隅には、区画整理記念碑が建てられていた。整然とした町並みは、この結果だったわけだ。
昭和35年4月10日建立の区画整理記念碑
昭和11年に耕地整理組合を設立し、昭和13年4月から始めたという。戦争によるインフレなどで停滞したものの、昭和27年にようやく完成したという記念碑である。


目黒と言われて思い浮かぶのは、確かにこんな感じの町並みかなと思う。


更に少し先へ進んでいくと、清水池公園がある。
「清水池公園 目黒本町2-12-10
 清水池公園の全体の約3割を占めている清水池は、以前は湧き水が豊富な池でした。よって碑文谷池とともに立会川の水源であり、かつては碑文谷村共有の水田灌漑用の貯水池としても大切な役割を果たしていました。昭和7年、公園地としての永久保存を条件にこの地は東京市に寄附され、ここに清水池公園が誕生しました。目黒区には昭和25年に移管され今日に至っています。現在、清水池にはヘラブナが放流されて区内唯一の釣りのできる池として、区民はもとより区外の人にも親しまれ、また釣り愛好者グループの活動により順調な運営が図られています。公園西側には弁財天の祠がありますが、由来記によればこの地に守護神がいなかったことから、江戸時代初期に弁財天を祀って守護神にしたといわれています。
 平成19年11月 目黒区教育委員会」


公園の入口には、開園当時に東京市が設置した石板もあって、公園が出来る経緯が残されている。昭和初期の東京の公園は寄附によって出来たところが多くて、その経緯を東京市がこうして残すというスタイルが出来上がっているようで、これはこれで面白いと思う。
「清水池公園沿革
本園は武蔵野の遊水池にして旧碑衾町碑文谷字池上の共有に係り、古来辨天池と唱へ亦附近耕地の灌漑用水に利用せられたるを以て溜井とも称し地名の起源を為せり。昭和七年十月市域拡張の際挙げて公園地となし本市に寄附せられ、更に同九年一月角田長雄氏より隣接地若干の寄附を受領したり。茲に本園の竣成に当り地元各位の芳志を永久に伝えんとす。
昭和十年十二月 東京市」


この池も碑文谷池と同じく、立会川の水源の一つである。この二つの池から流れ出た水は、目黒周辺のみならず、荏原一帯の農業地帯を潤していったわけで、城南エリア全体から見ても正に命の水であったことだろう。


どちらの水源も弁天池とも呼ばれてきて、守護神を置いて大事にするのは、その重要性から言っても理解出来る話だ。


清水池の弁天様も、元は池の中の浮島にあったという。


目黒、荏原(品川区)が農村であったこと、緻密な品川用水の感慨が張り巡らされていたことを知ると、この池の意味合いがよく分かるようになる。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (田向公園)
2020-01-18 10:06:51
田向公園
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Unknown (市川友梨香)
2020-01-18 10:07:59
神岡実希
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Unknown (田口未彩)
2020-01-18 10:08:19
皆方由衣
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