品川宿の一番東京よりが歩行新宿というエリアなのだが、その中にお寺、善福寺がある。
「藤沢の遊行寺を総本山とする時宗のお寺で、永仁2年(1294 鎌倉時代後期)に、遊行二祖、他阿真教によって開かれた。」「伊豆の長八の龍のこて絵が残っている。」(しながわ観光協会サイトより)
関東大震災の被害も警備で、第二次大戦中の空襲被害も免れているだけに、お寺は昔ながらの面影を残しているところが凄い。伊豆の長八というと、確か以前訪問した千住の橋戸稲荷にもあったなと思って確認してみると、その通りだった。
旧東海道から入って行くと、まず山門が迎えてくれる。重厚な山門。
境内まで舗装されているのだが、こういう時代を感じさせてくれるものが残されていると、雰囲気が違う。
小さなお堂。これも古そうだ。
本堂は瓦が下ろされていて、トタン葺きになっている。そして、全体が白っぽくなっている。
最初はコンクリートなのかと思ったほどだけど、漆喰が全面に塗られているのだろうか。コンディションはちょっと微妙な雰囲気になっている。
鏝絵は見事なもので、細部の細工も凝っている。貴重な文化財だけど、ちょっと心配な感じがする。
建て込んだ雰囲気の宿場町の中に、広々とした境内が広がっている。
本堂前に置かれた天水桶には、嘉永七年の銘が入っている。1855年になる。伊豆の長八が鏝絵を制作した頃のものかもしれない。
境内に隣接して、蔵が見える。こんなところにも、戦災にあわなかった宿場町の面影が残る。
品川の特長とも言えそうだが、レンガ塀が多い。山門を出たところにもレンガ塀があった。明治時代からレンガの製造も品川で行われていたからなのだろうか。
「藤沢の遊行寺を総本山とする時宗のお寺で、永仁2年(1294 鎌倉時代後期)に、遊行二祖、他阿真教によって開かれた。」「伊豆の長八の龍のこて絵が残っている。」(しながわ観光協会サイトより)
関東大震災の被害も警備で、第二次大戦中の空襲被害も免れているだけに、お寺は昔ながらの面影を残しているところが凄い。伊豆の長八というと、確か以前訪問した千住の橋戸稲荷にもあったなと思って確認してみると、その通りだった。
旧東海道から入って行くと、まず山門が迎えてくれる。重厚な山門。
境内まで舗装されているのだが、こういう時代を感じさせてくれるものが残されていると、雰囲気が違う。
小さなお堂。これも古そうだ。
本堂は瓦が下ろされていて、トタン葺きになっている。そして、全体が白っぽくなっている。
最初はコンクリートなのかと思ったほどだけど、漆喰が全面に塗られているのだろうか。コンディションはちょっと微妙な雰囲気になっている。
鏝絵は見事なもので、細部の細工も凝っている。貴重な文化財だけど、ちょっと心配な感じがする。
建て込んだ雰囲気の宿場町の中に、広々とした境内が広がっている。
本堂前に置かれた天水桶には、嘉永七年の銘が入っている。1855年になる。伊豆の長八が鏝絵を制作した頃のものかもしれない。
境内に隣接して、蔵が見える。こんなところにも、戦災にあわなかった宿場町の面影が残る。
品川の特長とも言えそうだが、レンガ塀が多い。山門を出たところにもレンガ塀があった。明治時代からレンガの製造も品川で行われていたからなのだろうか。