東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

中央区佃~その一

2011-05-16 18:00:00 | 中央区
さて、中央区はこの佃で最後になる。佃島と伸佃島東町,伸佃島西町を合わせて、島の字がとれて佃となった。佃一丁目の川と堀割に囲まれた一角は江戸初期からの佃島の姿を今でも良く残している。明治になって埋め立てられた新佃島と呼ばれた二丁目、三丁目とも今は地続きになっているのだが、大阪から勧請された住吉神社も佇まいが良い。この地区はその昔は漁師町であり、そうであるがゆえに佃煮が生まれたわけでもある。撮影をした当時は佃大橋はここまでで、終点はそのまま下って清澄通りの交差点に繋がっていた。今では少しずつ家が建て直されているので、気が付けばかなり様相は変わってきているのだが、この一角だけは空気感をあまり変えずにいることが嬉しい。ただ、どこを向いても背景に高層マンションが見えることには少々うんざりするのだが。二丁目もこの当時は趣のある町だったが、今は高層マンションを建てる再開発が行われている。撮影は、1981年10月3日、1982年2月18日19日。佃もミノルタ・オートコードで撮影している6x6版のカットが多い。スナップの軽快さはないが、少し絞り込まれた情報量の豊富なところを見て頂ければと思う。最近歩いて見たら、町歩きブームの為なのか、大袈裟に撮影をしたりすることが地元では迷惑になっていることを伺わせる張り紙があった。行かれる方は、地元の方の生活の邪魔をしないように心掛けて頂きたい。現在の画像は2011年5月14日撮影。

一丁目3番。この店は今も盛業中の有名な佃煮店天安。この建物は今でも大切にされているのが嬉しい。周囲の建物が大分変わっている。甘い佃煮の苦手の私には、この店の切れの良い味は好ましく思えた。


一丁目2番。そこから振り返った反対側の角。前の写真とこの写真は一番隅田川寄りのところ。


一丁目2番。その並び。立派なお宅。佃島らしい感じがする。


一丁目4番。少し戻って、佃島のメインストリートの真ん中の角の家。複雑な形の家になっている。今も少し感じは変わっているが健在。


一丁目4番。その横を入って振り返ってみたところ。重厚で良い感じ。


一丁目9番。船溜まりになっている堀割を越えたところの一軒。ちょっとモダン風な感じ。


二丁目9番。佃大橋の通りに並行した一角にあった左官道具の田邊啓太郎商店。重厚で良い雰囲気だった。今は細長いブロックに大きなマンションが建っている。


二丁目16番。これは今は佃仲通りという名前の通り沿いの家。今も健在で、バーバーヤマダも変わらないので嬉しくなる。


二丁目16番。その並びの栄屋梅本酒店。ここも現存しているが、タバコのみの営業になっているようだ。


二丁目16番。森永牛乳佃島配給所。モルタル造りだけど、面白い二軒長屋の看板建築。ここは駐車場になっている。


二丁目15番。その一軒先。重厚な佇まい。その隣の篠田ふとん店も今は建て直されている。


二丁目15番と16番の間の路地。森永牛乳佃島配給所の角を覗いたところ。横切る猫が下町らしい。


二丁目11番。そのまま通りを進んで、佃二丁目の交差点の角。特別に立派という訳じゃない普通の家だけど、古びてはいてもこの頃はやれてはいない家が多かった。今はマンションになっている。


二丁目14番。そして、清澄通りの方へと少し進む。右手にあるのは酒屋さんの倉庫。重そうな扉。今も健在。両隣の和菓子の双葉屋はしっかり営業されているのは喜ばしい。右隣の山下薬舗はない。この通りは、かつて石川島播磨の工場に通う人々で賑わった歴史を持つ。


二丁目14番と20番の間。その直ぐ先の角の景色。左角はマンションになっている。高いビルが建ってしまうと、通りに日が差さなくなる。脇道もかつては商店が並んでいた。


二丁目14番。その通りを入ったところの雑貨屋さん。閉店されたようだが、東日本大震災の影響で建物が傷んだ様子。どうなるのか、心配。


二丁目20番。その道を挟んだ反対側。今はマンションになっているところ。お好み焼き末広。奥は角の店の背中。手前の町の電気屋さん東陽電機工業所といういかめしい名前。


二丁目20番。そちら側の角の全景。角から増田屋は履き物、イリエ理髪店、一軒おいた向こうはフクヤ菓子店。しっかりした感じの造りの長屋。フォルシュライツというマンションになっている。


二丁目21番。その前の道を越えて反対側へ入ったところの理容クリヤマ。使い込まれてはいるが、くたびれてはいない生き生きとした家の外観が良い。今も建物はあるが、営業はされていない。


というところまでで、佃のその一。一丁目は独立国のように建物は変われども、独特の雰囲気を保ち続けているのが嬉しい。二丁目は高層マンションと昔ながらの住宅のコントラストが際立つ町になっている。これからどうなっていくのか、心配になる。個人商店の元気が良さそうなのは良いところだと思う。


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6 コメント

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Unknown (まさそり)
2011-05-16 20:20:55
明らかに人が住んでる街なのに、空を見ようを顔を上げれば高層ビルだらけの、不思議な空間ですね。
実は佃1丁目、元副業先(今はまだかろうじて現副業先かな。汗。)が貸している土地がかなり多く有ります。
大きなマンションが建たなかったのは、一つにはそれが原因だったかもしれませんねぇ。
バブル絶頂期は、まだ先代の社長が健在でしたし。
Unknown (kenmatsu)
2011-05-16 23:41:43
まさそりさん
なるほど、そんな事情もあるんですね。佃一丁目のオリジナル佃島エリアだけは、東京の中でも不思議な程の異空間だと思っていたんですが...。
でも、何にせよ、せめてあそこだけは変わらずにいて欲しいと思います。
佃一丁目 (かん)
2012-12-28 15:11:15
「一丁目4番。少し戻って、佃島のメインストリートの真ん中の角の家。」は、中島漆芸と言って、江戸時代から続いている漆芸の工房兼お店になっています。ちょうどサイトも今はあるようなので、ご紹介しておきますね。

http://www.urusigei-nakajima.com/

この中島さんと父が友人で、佃にいた頃はよくお目にかかりました。一丁目は元佃といわれるくらい昔からの路地や風情が残っているので、ロケなどにもよく使われますが、それを幸いとして、あの独特の雰囲気をいつまでも持ち続けてほしい、と思います。
情報感謝です。 (kenmatsu)
2012-12-28 18:29:46
かん様
こちらにもコメントを頂き、また中島漆芸さんのサイトも御紹介頂いて、どうもありがとうございます。
早速拝見させて頂きました。あの町の雰囲気によく似合う、素晴らしいもの作りをされていらっしゃるんですね。
当時、撮影していたときに、佃一丁目でのことでしたが、小学生の女の子に何してるの?なんて話し掛けられて、どこの佃煮屋さんのが美味しいの?なんて話をして、天安を勧められたの思い出します。確か、その子の家では天安で買ってるってことでしたけど。

東京では希少な、昔ながらの雰囲気を残している町ですから、変わらずにいて欲しいと私も思います。
佃煮屋 (かん)
2012-12-29 03:51:36
コメント返し、ありがとうございました。昨日の今日で、懐かしく拝見していてコメントを見つけました。

佃煮屋さん、天安はあの三軒の中で、味が甘めだったと思います。佃源 田中屋は少々しょっぱめ(味が濃い?)で、丸久さんはその間? 我が家もお使いものにはよく天安を利用しました。(笑)

本当にあの地域はほっとしますし、漫画(笑)の中でも見かけると懐かしくなります。

機会があったら、是非、7月の盆踊り大会や8月の住吉神社例祭や大祭にもお出かけください。深川とは違った下町や江戸情緒をお楽しみいただけると思います。
RE:佃煮屋 (kenmatsu)
2012-12-29 21:26:12
かん様
なるほど、あの中では天安は甘い方だったんですね。今度行く機会があったら、違う方のお店でも買ってみます。

住吉神社のお祭りは、いつか是非見てみたいと思っています。
素敵な故郷をおもちで、羨ましいです。

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