東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

中央区の銅板貼り建築~その二

2014-10-11 19:47:19 | 中央区
さて、中央区の銅板貼りの建築をまとめてみた。中央区も戦災の被害も受けており、さらには開発の速度も速いところだ。バブル期の破壊的な荒波も受けているので、ここでも残されているものはそう多くはない。今回は旧京橋区の中でも銀座と築地のエリアをまとめてみてみた。

銀座と言っても、昔からの川の中の銀座エリアには銅板貼りの建築は残されていない。昭和通りを越えた、かつては木挽町といわれたところ、その北寄りに僅かに残されている。路地の中の銅板貼り建築。町工場。銀座一丁目。


引きのない路地なので、全景が抑えられていないのだが、銅板貼りであることが分かる。


こちらは建物を活かして、飲食店になっている。緑青が渋い風合いになっている。銀座一丁目。


裏道を歩き回っていると、銀座と住所はなっていても、木挽町という呼び名が相応しい雰囲気の町が僅かに残っている。銀座二丁目。


見事な銅板貼りの壁面。一階はリフォームされているが、大事にされているのが伝わってくる。銀座二丁目。


同じ建物の全景。この辺りは、私も1980年代からウロウロしていたところだが、気が付けば随分と雰囲気が変わってきていると思う。


築地は戦災の被害を受けていないので、かつては昭和初期の建物の宝庫だった。築地市場に関連した水産加工の中小の町工場も数多くあって、活気のある町だった。銀座に隣接するという立地から、大分ビル化が進んで、雰囲気も変わってきている。築地市場の移転が実現すると、この町も一気に変わってしまうことになるだろう。ここは変わらないスポットでもある。宮川商店。築地一丁目。


見事な銅板貼りの二階家。今では周囲はビルだらけになってしまったが、かつての面影を残した建物。築地三丁目。


そして、築地の場外。数多くの店がある中に、銅板貼りの店舗も混じっている。左側の海老の大丸が銅板貼りの店である。築地六丁目。


銅板貼りの店舗と、左側はマンサード屋根のカットハウス松原。マンサード屋根の形態がよく分かる。築地六丁目。


路地を覗いても、銅板貼りの建物が見える。看板建築スタイルで正面に四角い面が作られているが、その上にマンサード屋根が見えている。築地六丁目。


晴海通りを越えて、少し明石町の方へ言ったところの水産加工会社。左側の側面がモルタル仕上げになっているのは、後年の改装によるものだろう。左側に見えているマンサード屋根の建物も、正面は銅板貼りだった。こちらの建物は既に取り壊されている。この並びは、銅板貼り建築がかつてはすらりとならんでいたのだが、残っているのは中央食品だけになってしまった。築地七丁目。

さらに明石町の方へ行くと、築地七丁目になる。その角には変わらない姿。料理屋になっている。良い雰囲気。


直ぐ先は築地川を埋めてできた公園という、築地の外れに位置する辺り、二軒ならんで銅板貼りの建物が並ぶ。築地七丁目。


築地の場内には撮影していない所もまだ数軒は、銅板貼りの建築がある。ほかにも一軒掲載していないところもあるのだが、東京オリンピックに向けてこの辺りは大きく変貌していきそうな所だと思う。数年先にどう変わっているのか想像が付かない。

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