東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

品川区大井町周辺を歩く~その四:大井

2015-02-03 18:52:44 | 品川区
再び、立会川の暗渠から南側に向かうと、緩やかな上り坂が続く。大井町駅周辺は、品川宿から伸びてくる池上へ向かう道沿いが最初に都市化していったようだ。この道は古くからの道でもあったようだが、こちらについては改めて触れていこうと思う。その池上へ向かう道の西側は農村地帯であったようだ。大正7年にニコンの大井第一工場が完成したことが、都市化を加速させていく原動力になったのではないだろうか。目黒川沿いに明治期の工業化が発展したわけだが、大正期の震災前の時点で当時はカメラメーカーではなく、軍需の光学機器メーカーとしての日本光学の町となっていった。今でも、大井町駅から西大井駅南へと通じる道は光学通りという名が付いている。

立会川暗渠の道は立会道路と呼ばれているが、そこから光学通りへ向けて上っていく地形になっている。その斜面も今では完全に市街化されている。右手の道が上り坂になっている。


斜面を横切る道はフラットに続く。町並みの後ろには、真新しいビルが見える。


モルタル仕上げの看板建築で、柔らかな雰囲気を持ったお店は酒屋さん。


そこから回り込んで行った辺りに、東関森稲荷神社があった。東関森稲荷神社という名前では、以前にゼームス坂の途中の神社も同名であったことを思い出す。この神社も創建などは不祥とのことだが、江戸時代には既に地元の人々に大切にされていたという。


しながわ観光協会サイトによれば、
「鳥居は立派な石造り、昔は「稲荷森」と呼ばれ、倉稲魂命(稲荷)を祀った鎮守の森だった。」
とのこと。


辺りが木々の茂る森であったのは、いつの頃までのことだったのだろうか。素朴な社殿だが、かえってそれが稲荷森の頃を思わせる。


ずっと昔からこんな感じだったのではないか、と思える様な雰囲気。


境内には石碑が建てられている。
「感謝碑
小林久吉君森区ノ為メニ此館ヲ建設セラル同区ノ亨クル便益多大ナリ仍テ茲ニ此碑ヲ建テ感謝ノ意ヲ表ス」
裏には
「大正十三年四月 大井町森区」
とある。区は行政区ということではなく、この辺りという意味合いで使われている様だ。


境内には大きなケヤキが数本ある。稲荷森の面影というところだろうか。


さて、そこから光学通りを越えて、さらに南へ進んだ住宅地の中に、万作神社があった。


面白いのは、鳥居やら手水舎やら、神社のお約束なものが無くて、唐突に社殿が聳えているところ。調べてみても、あまり由来など詳細が出てこない。比較的新しい神社のようだ。それでも、地元の商店街のサイトで節分の豆撒きの様子なども紹介されていた。


コンクリート造りの社殿に、変額が掛かる。

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