東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

千代田区東神田

2011-05-23 18:00:00 | 千代田区
東神田と言われても、どことなくピンと来ない。大体こういうつかみ所のない町名は、役所が勝手につけた町名である。今は埋め立てられて姿を消した竜閑川沿いに広がるエリアである。浅草橋と日本橋馬喰町に隣接する。岩本町と同様で、繊維関係の会社が多い。撮影日は1981年1月31日2月1日。現在の画像は2011年5月18日。

一丁目3番。繊維街の中の一軒。大東新聞印刷株式会社千代田支社とある。隣には株式会社元丸の看板、ビルの上にはミツヨシビルと書かれている。今はビルになっているが隣はそのまま。


一丁目3番。その並びの奥。河田印刷、クボタ、角壇、東武運輸、そして向こうにはエトワール海渡。河田印刷の前に止まっているのはイスズのピアッツァ。同じ看板を上げているのは,一番手前にちらっと見えている政弥衣料とエトワール海渡だけ。


一丁目4番。いかにも繊維の町という風情。とみやまに左隣は万進、右隣は伊藤商店。今は建て替えが進んで、雰囲気も変わった。繊維街の衰退が町の表情に表れている。


一丁目5番。神田駅方向への一方通行の大きな道。日東タオルは今も健在。周りの建物がかなり変わっている。奥に見えるのが都立一ツ橋高校。


一丁目6番。協和会館。マキシム中村は今も健在。ここは旧竜閑川の上に当たるところで、かつては長屋のような二階建ての繊維の会社がずらりと入る建物が並んでいた。いまでは、ここと道路を越えたところだけがその姿を残している。


一丁目6番。こんな感じだったわけである。丸栄丹羽商店、食堂、高橋商店、MIKURA、MGユニホームと並んでいる。全く装飾無しの食堂が挟まっているのがいかにも問屋街らしいところ。今はビルになっている。


一丁目8番。横町に入ったところが喫茶びいとるである。今はマンションになっている。


一丁目6番。千代田テレビ技術学校。この建物の二階にあったのだろう。東京では各種専門学校の中では有名な学校に発展したが、民事再生法の適用を受けて今は学校は休眠状態になっている。真空管のテレビが普及していく波に乗ったビジネスだったのだろう。一階は繊維問屋、コロナハープ,丸エス商店、小高商店と並ぶ。東神田繊維街のアーチが掛かる。今は大きなビルである。


一丁目8番。前田屋酒店。今も変わらない。


一丁目9番。三星衣料ビル。屋上にはミツボシとカタカナでサインが出ている。昭和初期らしき重厚な佇まい。この頃はあちらこちらにミツボシ衣料の店舗があったようだ。今はビルになっている。日本近代建築総覧によると、昭和初年築とのこと。


一丁目11番。ここにもごく普通に町のパン屋としまやがあった。向こうは蕎麦屋の松のや、とんかつのサンキュー。その向こうは小林ウインドウケース。今はビルになり、サンキューは建物はあるが営業はされていない。


二丁目5番。龍角散の本社ビル。靖国通りの東神田の交差点にあった。独特な雰囲気の建物だったが、今は建て直された。建築総覧によると、大正12年築、渡辺仁、西村好時設計、戸田組施工とのこと。


二丁目6番。その向かいにあった割烹宝亭。今はビルになり、軽食などの店で営業されている。


二丁目9番。そこから裏手に入っていったところの床屋さん。太陽理容と地図には出ているが、太陽バーバーと扉に書かれていたのか?今は改装されて、ギャラリーになっている。


二丁目10番。同じ四つ角にある帆掛寿司。今も変わらずにある。


二丁目9番。角からの並び。板塀に庭があっての一軒家。生け花を教えている家。ごく普通であったはずなのだが、今は見ない。ビルになっている。


二丁目9番。更にその並び。大幅にリフォームされて現役を続けている。レンガ造りは良い感じだったのにとも思うが...。建築総覧には春日屋倉庫、大正13年築、煉瓦造二階、設計施工石井某(大工)と記されている。


二丁目4番。清洲橋通りを越えた龍角散本社裏。地味なモルタル塗りの看板建築。路地の奥の家が看板を出しているのが面白い。今は建て直されている。


三丁目2番。神田川を美倉橋で渡ったところ。川の向こうに赤帽のビルが見えている。今はマンション、赤帽のビルは変わらない。


三丁目1番。この当時は吉沢倉庫。今は改装されて会社の事務所になっている。隣のエースネクタイは変わらない。


三丁目3番。東糧健康保険組合。二階建てに見えるが高さは三階分あるようだ。三階は倉庫だったのか?今はビルに建て直されている。


三丁目4番。平和堂印刷所。これも標準的なモルタル塗りの一軒。今は駐車場になっている。


三丁目4番、同じ四つ角の反対側。オフセット印刷の大圏社。横の通りには水野靴店配送センターやら装粧品問屋鈴武の看板が見える。今はビルになっている。通りの看板もなくなった。鈴武はビルになっている。


東神田はエリアが広く、南北に長い。一丁目と三丁目ではかなり雰囲気が違う。そういうところが面白さであったのだが、ビルの町になると違いがなくなってくるようで残念に思う。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (まさそり)
2011-05-23 19:55:23
こうして見てみると、リフォームしただけでも建物の印象はかなり変わっちゃうんですねぇ。
古いものイコール良いものとは思わないけど、残して欲しいカタチって、有りますね。
自分が住んでたら、そんな事言ってられないのかな。。。

今回の写真で一番印象に残ったのは、実は「こどもが多い スピード落とせ!!」の看板です。汗。
【こども】を【老人】に書き換えれば、今でも通用するかも?
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Unknown (kenmatsu)
2011-05-23 21:22:33
古い家を見ていて良いなとは思うけど、維持していく大変さが分かるのかと言われると、ごめんなさいとしか言い様がなかったりしますね。でも、町内に棟梁がいて、手入れが行き届いていた頃の木造の家は,良い味があるものだと思います。

年月を経ても、それが味で良さに繋がることがポイントだろうと思います。時を味方に付けられずに劣化していくものは、大したものではないのだという気がする今日この頃ですね。

【こども】が少ないことは、この国や社会には大きな痛手ですね。私も片棒を担いでいるわけですけど。(笑)
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