さて、今回は中央区の明石町。今は聖路加国際病院の町といっても良いと思うが、この町の歴史も非常に面白い。お隣の湊、築地に明石町の隅田川沿いを鉄砲州といい、ここには赤穂の浅野家の屋敷も置かれていた。討ち入りを終えた四十七士は本所の吉良邸から鉄砲州の元の屋敷を通って、泉岳寺へと向かった。その後、明治維新後に外国人居留地が設けられた。結局のところ貿易は横浜でということになるのだが、東京における西洋文化の拠点となった歴史を持っている。今は聖路加病院になっている一角には、芥川龍之介生誕の地がある。彼の生家はこの地で牧場を開いていたという。面白いのは、その土地は借地だったのだが、地主が大阪の恩人といわれる五代友厚であったこと。五代は、明治維新で激動の浪に揺さぶられた大阪の近代商業の礎を築いた人物である。東の渋沢栄一、西の五代友厚といわれた五代の最期の地がここであった。上京中にここで亡くなり、大阪で葬儀が行われた。その地で、その後に芥川龍之介が生まれるという奇遇が面白い。
ちなみに、聖路加国際病院は第二次世界大戦中からアメリカが占領後の活用を考えていたと言われ、そのために明石町周辺は空襲を免れたという。また、東京空襲の際の目印とされていたとも言う。
さて、今は聖路加国際病院が建て直され、それに付随して隅田川沿いにも超高層が建てられ、この頃とも風景は激変している。公園のようなスペースをもつ病院として、そして古い病院の姿も出来る限り残されていて、苦労した再開発であることは理解できる。とはいえ、周囲の川は全て埋め立てられており、大きな変貌を遂げていることは間違いない。撮影日は1981年10月3日と1982年2月19日。現在の画像は2010年10月11日と11月8、9,18日に撮影。
1番。最初は、東京メトロの新富町駅のある入船橋の交差点の方から歩き出してみる。佃大橋の方へちょっと行った辺りの右へ入る路地を覗く。道の両側に小さな溝が流れて、板塀越しに植木が良い感じ。こんな光景はこの当時でもここくらいしか残っていなかったと思う。今はマンションが建っている。
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1番。そこから少し戻って、築地川沿いに進むんで最初の角を左に曲がると聖路加の裏手に入っていく。その反対側には日本家屋の家があった。
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1番。立派な門構えの家。今はここにもビルが並んでいて、様相が変わっている。
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10番。そこから少し進んで聖路加を仰ぎ見る。古い建物を耐震補強して活用する様にされているので、今もあまり変わらない光景を見られるのは嬉しい。日本近代建築要覧によると、昭和7年築、SRC6、A.レイモンド、バーガミニー設計、清水組施工とのこと。
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11番。元の通りに戻って進むと、聖路加の向こう側にあった建物。今はビルが建って薬局が営業している。
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11番。同じ建物をミノルタ・オートコードでも撮っていたので追加。こちらの方が周囲の状況も分かりやすいカット。
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11番。その脇を進んで、橋を越えたところから振り返る。もっとも、この辺りは埋め立てられていて、陸上の橋になっていたのだが。今は橋そのものも撤去されて、道路の曲がり具合にだけこの場所の痕跡が残っている。通り過ぎる自転車の男、築地が近いことを感じさせる。
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旧暁橋付近より。そこから、築地本願寺方向を見る。築地川の跡がそのまま駐車場にされていた。この先が前回の築地のところで掲載した水面の残る部分である。今は全て埋められていて、緑地帯の公園になっている。
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11番。戻ってきて、聖路加の前を行く。今の同じ所からはこんな町があったことが想像できない。
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11番。戦前からずっと置かれていたのだろうか。今はどこに行ったのやらと思う。
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8番。そのまま進んだところの道路を挟んだ向かい側にあった聖路加病院の看護婦寮。昭和初期らしい重厚な建物だった。今は超高層の聖路加タワーが建っている。
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8番。その側面。規則正しく並んだ窓。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/4e/689cbd2e6046e671c8063bd74eb2f362.jpg)
9番。そして、反対側から先程は途中まで来た聖路加の裏側の道を逆から入っていったところ。結構殺風景なところだったのだが、今は手前のところに新しい聖路加病院の本館が出来ているので、まるで違う景色になっている。建築要覧には、聖路加国際病院付属高等看護学院、大正13築、木1、清水組設計施工とあるけど、これのことか。
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明石町には、タイムドーム明石という中央区の郷土資料館に当たる施設もある。ここでは居留地時代の遺構の発掘調査やら、その他色々な展示も行われている。興味を引く展示もあるので、予定をチェックしておきたいところだ。
ちなみに、聖路加国際病院は第二次世界大戦中からアメリカが占領後の活用を考えていたと言われ、そのために明石町周辺は空襲を免れたという。また、東京空襲の際の目印とされていたとも言う。
さて、今は聖路加国際病院が建て直され、それに付随して隅田川沿いにも超高層が建てられ、この頃とも風景は激変している。公園のようなスペースをもつ病院として、そして古い病院の姿も出来る限り残されていて、苦労した再開発であることは理解できる。とはいえ、周囲の川は全て埋め立てられており、大きな変貌を遂げていることは間違いない。撮影日は1981年10月3日と1982年2月19日。現在の画像は2010年10月11日と11月8、9,18日に撮影。
1番。最初は、東京メトロの新富町駅のある入船橋の交差点の方から歩き出してみる。佃大橋の方へちょっと行った辺りの右へ入る路地を覗く。道の両側に小さな溝が流れて、板塀越しに植木が良い感じ。こんな光景はこの当時でもここくらいしか残っていなかったと思う。今はマンションが建っている。
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1番。そこから少し戻って、築地川沿いに進むんで最初の角を左に曲がると聖路加の裏手に入っていく。その反対側には日本家屋の家があった。
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1番。立派な門構えの家。今はここにもビルが並んでいて、様相が変わっている。
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10番。そこから少し進んで聖路加を仰ぎ見る。古い建物を耐震補強して活用する様にされているので、今もあまり変わらない光景を見られるのは嬉しい。日本近代建築要覧によると、昭和7年築、SRC6、A.レイモンド、バーガミニー設計、清水組施工とのこと。
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11番。元の通りに戻って進むと、聖路加の向こう側にあった建物。今はビルが建って薬局が営業している。
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11番。同じ建物をミノルタ・オートコードでも撮っていたので追加。こちらの方が周囲の状況も分かりやすいカット。
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11番。その脇を進んで、橋を越えたところから振り返る。もっとも、この辺りは埋め立てられていて、陸上の橋になっていたのだが。今は橋そのものも撤去されて、道路の曲がり具合にだけこの場所の痕跡が残っている。通り過ぎる自転車の男、築地が近いことを感じさせる。
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旧暁橋付近より。そこから、築地本願寺方向を見る。築地川の跡がそのまま駐車場にされていた。この先が前回の築地のところで掲載した水面の残る部分である。今は全て埋められていて、緑地帯の公園になっている。
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11番。戻ってきて、聖路加の前を行く。今の同じ所からはこんな町があったことが想像できない。
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11番。戦前からずっと置かれていたのだろうか。今はどこに行ったのやらと思う。
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8番。そのまま進んだところの道路を挟んだ向かい側にあった聖路加病院の看護婦寮。昭和初期らしい重厚な建物だった。今は超高層の聖路加タワーが建っている。
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8番。その側面。規則正しく並んだ窓。
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9番。そして、反対側から先程は途中まで来た聖路加の裏側の道を逆から入っていったところ。結構殺風景なところだったのだが、今は手前のところに新しい聖路加病院の本館が出来ているので、まるで違う景色になっている。建築要覧には、聖路加国際病院付属高等看護学院、大正13築、木1、清水組設計施工とあるけど、これのことか。
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明石町には、タイムドーム明石という中央区の郷土資料館に当たる施設もある。ここでは居留地時代の遺構の発掘調査やら、その他色々な展示も行われている。興味を引く展示もあるので、予定をチェックしておきたいところだ。
1985年~1986年前半です。
聖路加病院はまだ変化なしですが、家並みは既にだいぶ変化していましたね。
全国宝石学協会も、いろいろあって無くなっちゃいました。
この一連の写真の面白いと思えるところは、そんな風にみんなそれぞれ想い出のある町の昔の景色なんだなというところだと思っています。
気が付くと随分と年月が経ってしまったけど、景色を見ると色々と思い出す引き金になってくれるというののか。
まだまだ続きますので、お楽しみに。