東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

中央区築地~その二

2011-05-08 18:13:08 | 中央区
さて、引き続き築地の続き。

かつての築地を知る上で重要なのが築地川の存在である。いまは埋め立てられていたり、一部は首都高速道路になっていたり、その全貌は伺い知れなくなっている。かつての江戸市中の町の姿を思い浮かべるには、これだけではなく張り巡らされていた運河がどんな風にあったのかというのはポイントになる。浴恩園という松平定信の下屋敷が置かれていた一角は、明治維新後帝国海軍の生まれた場所であり、関東大震災まで海軍大学校、軍医学校など海軍施設が置かれていた。この場所に震災復興時に日本橋から魚市場が移転してきたことで,築地という町は大きな変貌を遂げたわけである。もちろん、関東大震災でそれまでにあった町が焼け野原と化したことは言うまでもない。築地川で分割されたブロックごとに違う表情を盛った町であったとも言える。今も残されている築地は、この昭和初期の復興によって生まれた町である。築地は空襲の被害を受けていないので、この昭和初期の町並が良く残されてきたと思う。撮影日は1981年10月23日と1982年1月29日。現在の画像は2011年1月5日11日13日に撮影。

四丁目16番。築地市場の正面、新大橋通りに交差点名として残る市場橋の上からの眺め。隅田川方向を見ている。今は全て埋め立てられていて、かつてそこが川であったことが信じられない景色になっている。


六丁目25番。晴海通りに戻って少し勝鬨橋の方向へ進み、場外の店が並ぶ横道を入ったところ。市場の場外の店の間に銭湯があった。この町で働く人々の一時の憩いの場であったのだろうか。今はビルになっていて銭湯はない。


六丁目21番。その近くの路地を覗き込んだところ。東包調理士紹介所、何となく頼もしそうに見える。奥に見える店の看板の一つあけのは、今も営業中である。


六丁目11番。晴海通りを渡った築地六丁目。右に見える薬局、閉店しているが建物は現存。


七丁目12番。その通りを進んでいくと、良い感じの看板建築があった。印刷屋さん。屋上の手摺りが良い感じ。建て直されて現存しないけど、印刷屋さんは健在。


七丁目16番。この通りは晴海通りから明石町へと続く道、角を曲がって隅田川方向へ行くとこんな風景。太田船具とか三福航運とか、後ろの日魯漁業のビルとか。今ではこんなだったとは想像できない。後ろの方は高層マンションが建ち並んでいる。


七丁目16番。少し戻って裏通りを明石町方向へ。右手の習い事の看板の出ている家だが,今も習い事の看板が出ている。妙に嬉しい気分になる。


七丁目14番。更に進んだ角。今もこの角の建物は健在で、小綺麗に化粧直しされて飲食店になっている。


七丁目12番。一本銀座寄りの通りの景色。築地市場で仕入れた魚を加工している町工場。看板建築の牛乳屋、その向こうにはナンデモヤと並んでいる。手前の水産加工の工場は現存している。その向こうはマンションになっているが、その一階でナンデモヤは営業中。


七丁目12番。水産加工の横の道の景色。市場から少し離れても活気のある町という印象。


七丁目12番。前の写真に写っている二軒並びの玄関。震災復興時、区画整理を行ったこともあって敷地が削られるケースが多かった。狭い敷地を最大限活用する為にこういった二軒続きやらの建物が多く造られている。屋根裏部屋の三階建ても同じ理由で出来た。今はマンションが建っている。


七丁目10番。少し銀座方向へ進んでいくと、立派な梁の仕舞屋があった。今は中央区の文化財指定を受けていて、現存している。


七丁目4番。本願寺の裏に出てきた。その角にあった家。この家は2011年になって取り壊された。マンションが建つようだ。


三丁目15番。前の写真の位置で振り返った光景。築地本願寺の裏手である。この頃は築地川の水面がここまでは残っていた。かつては備前橋という橋であったところから。いまは埋め立てられて駐車場になっている。築地本願寺は建築総覧によると、昭和9年築、RC、伊藤忠太設計、松井組施工とのこと。


三丁目13番。橋を渡って直ぐを右へ入る。料亭が並んでいて、何となく雰囲気のあるところだった。みつこ着物着付教室というのも渋い感じ。


三丁目13番。柳が風に揺れていたり、良い感じ。いまはビルになっていて、こんな風情はない。


三丁目4番。新大橋通の方へ斜めに出て行こうとすると角にはこんな銅板張りが良い感じの建物があった。今も健在。


三丁目1番。さらに築地三丁目の奥へと行った辺り。新大橋通の築地三丁目北という信号から入ったところ。奥に見えているマンションは、築地~その一の最初の方にも写っている。ここも今はビルが建っていて、雰囲気が変わっている。


築地七丁目辺りを歩いていると、この時には撮り切れなかった住宅など、今でも結構残されている。町全般では銀座にほど近い立地もあって、ビルやマンションに変わって来ているのも事実。でもその一方で、木造の昭和初期の家が綺麗に使われながら生きているという点では、飛び抜けているようにも思う。木造二階建てで屋根に物干し台のある家が,パリッとして使われているところなんて、今では絶滅寸前である。他の場所では、残っていても老醜といいたくなるような有様の家が多いだけに、この町が生きていることが嬉しく思える。長靴を履いた市場の男が歩く町である。それもあって、市場の移転が行われるとこの町も完全に姿を変えてしまうことになるだろう。少しでも長い間、この町の姿が留められていて欲しいと思う。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (まさそり)
2011-05-08 19:41:34
街そのものは記憶が無くても、遠慮会釈無く道路にはみ出た鉢植えとか、ゴミ箱である蓋付きポリバケツ、家の前の路上に保管されている自転車やバイクなど、懐かしさを覚えます。

当たり前のように路上駐車されていた当時ですが、考えてみればそれはつい最近まで有りましたっけ。汗。

【ウチの前の道路は、自分ちの領土】って感覚、昭和っぽいですね。
返信する
Unknown (kenmatsu)
2011-05-08 20:08:55
コメント、ありがとうございます。
庭がなくても軒先に植木を置いたり、というのは昔からの伝統みたいですね。どこまでやるかは個人個人次第であるにせよ。
路上駐車はここだけじゃなくて、他のところでも凄く多かったですね。というよりは、今が激減したというべきか。
当たり前といえば当たり前でもあるけど、町の活気も比例しているように見えるのがなんですね。

今の町並を見て歩いて、築地はかなり良い方だと思います。良い町だなと思うので、市場の移転でぶち壊して欲しくないんですけどね。
返信する

コメントを投稿