東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

谷中、根津、池ノ端1982~その三

2013-10-09 19:01:04 | 1980年代初期の写真
引き続いて、1982年2月2日の谷中、根津を歩いて行く。今日のエリアは下記の辺り。谷中、池ノ端から区界を越えて文京区の根津へ入った辺り。根津一丁目交差点の赤札堂の裏手の辺りなどを見て頂く。


藍染川跡の道から不忍通り方向へ向かう路地へ、前回掲載した旧田嶋邸、茨城県職員東京宿泊所の横の道を入って行ったところ。根津二丁目14。


同じ路地の少し先の木造二階家。ここは現存している。根津二丁目10。



同じ建物を逆サイドから。今も非常に良いコンディションで、現役の建物として使われているのが素晴らしい。根津二丁目10。



そして、この頃から根津界隈では一際の存在感を示していた「はん亭」。既にこの頃から串揚げの店を営業されていた。根津二丁目12。


木造三階建ての偉容は目を奪われる。そして、美しい姿を保つために大切にされていることが伝わってくる。根津二丁目12。



見比べていくと、細部が変わって来ていることが分かる。そして、最近の方がよりシンプルで美しくなっている。根津二丁目12。



この当時は不忍通りの側は、漆器や茶器を扱う店になっていた。風貴堂という。根津二丁目12。


6X6で撮影した堂々たる姿。根津二丁目12。


この当時でも、舗装を剥がしてしまえばいつの時代だか分からない様だと思っていたが、今は煙突を整理してよりシンプルな外観を得ている。根津二丁目12。



不忍通り側から見たところ。こちら側は不忍通りの道路拡張が行われたことで、建物が削られてしまった。耐震補強の意味合いを兼ねて、この様な形態に保たれたのだが、断腸の思いであったに違いないと思う。根津二丁目12。



「はん亭」裏の道。赤札堂裏の辺り。不思議とこの辺りはあまり大きく変わっていないのが嬉しい。根津二丁目13。



ここも変わらない。変わらない姿を保ち続けていることは、実は大変な事だとしみじみ思う。根津二丁目13。



個人宅だが、ここも変わらない。この撮影当時は、BMWの6シリーズなんて超高級車だった時代。バブルのやって来る前の時代である。日本家屋と洋館が混在する邸宅。根津二丁目13。



その並びにあった木造二階家。ここはマンションに建て替えられている。根津二丁目10。



これ程通りの並びが変わっていないところは、この周辺でも珍しい様に思う。比較的変化の穏やかな谷中周辺でも、ここ二,三年で随分と変わり始めているように思う。ここも変わらず、手を入れて、使われ続けている。根津二丁目8。


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