東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

馬込を歩く~その二:円乗院、北向稲荷神社

2015-03-30 18:59:29 | 大田区
湯殿神社から少し南側に進んでいく。次の平行する道に出ると坂の途中に円乗院という寺がある。瓦葺きの山門が重厚な雰囲気だが、境内などは近年に整備されたばかりという感じ。


高野山真言宗のお寺で、準別格本山とのこと。不動明王が本尊。
「当山は陽岳山南晴寺円乗院と呼び、鎌倉時代末期、天永法印によって草創されたと伝えられています。
弘法大師空海を宗祖とする高野山真言宗に属し、総本山金剛峯寺より寺格準別格本山の称号をいただきました。
ご本尊には大聖不動明王をお祀りし、御府内霊場88番中第19番札所、玉川霊場88番中第71番札所にも定められています。」(円乗院サイトより)


入って直ぐの左手には、大師堂がある。札所を示す札が掛けられている。


水屋は銅葺きのもの。


第二次大戦中の空襲下に婦女子を守って殉難した五人の若者を弔うものだという。殉難五君之碑。


本堂。地下から基礎部分をコンクリート造りで造築した上に、古材を用いて再建しているように見える。


本堂の造りは丁寧な細工が施されている


本堂の前から境内を望む。


坂を下って、左に曲がると神社の参道がある。その傍らには、大田区立ひばり児童遊園という看板も立てられている。


扁額には「出世稲荷神社」とある。正確には、北向稲荷神社というらしい。江戸時代には流行ったというのも、今の様子と落差があって興味深い。神社が珍しく北を向いているので、北向上臺(うえだいというのが、この辺りの旧地名)神社といわれていたそうだ。(大田区の史跡と歴史サイトより)


明治二年の銘のある水盤。盛んだった頃の名残ということだろうか。


今は境内が児童遊園になっている。


小さな社殿だが、細工のある造りなのは城南地区らしいところ。


どんな歴史を辿ってきたのか、この姿を見ていると思い巡らせてしまう。


神社前の坂道は、おいはぎ坂というそうだ。かつては両脇に木々が茂り見通しの効かない道だったという。坂下は今は暗渠になっているが、かつては内川が流れており、そこに牛洗戸橋が架けられていた。おいはぎ坂も牛洗戸坂とも呼ばれていたそうだ。

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