私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

ワークショップ

2007-01-21 19:34:51 | カウンセリング
斎藤学先生のワークショップに参加してきました。
私は、旦那に対して怖いという感情がだんだん強くなっていくこと。
そして怖いという感情は、旦那に対してなのか、自分自身が旦那と接することによって色んな感情を引き出されてしまうのが怖いのか、わからないと話しました。
接触がある度に怯えてしまい、動かなくなってしまうので何とかしたいと話しました。

私の持つ恐怖は、根拠のない妄想で、放って置くと発育するものだと言われました。
それを断ち切るためには、それに慣らしていく必要があること、つまり、公共の場で逢うことが一番いいと言われました。
それを繰り返すことで、恐怖というものが薄れていく。
そういう行動療法的なものが必要だと言われました。

多少の問題があるにせよ、私が今までどおり生活が出来ているということに対して、もう一度関係を作っていくのが一番いいと言われました。
離婚するメリットとデメリットを考えた時に、メリットがある方が選択肢が多いのだと言われました。
選択肢が多い方が生きていきやすいのだと・・・
私の場合、収入の問題、子どもの問題を考えると、結婚を続ける方が、選択肢が増えることになるそうです。

逢って話をすることを考えただけで、怖いという感情が噴出してしまいます。
今までは、自分の気持ちの整理が出来ていけば、旦那への怖いという感情も薄らいでいくのではないかと考えていたのに、いくら気持ちは楽になっても、身体的には楽にはならない。

旦那だけではなく、それに関する人や場所すらも今まで以上に、避け始めています。
今までは、旦那を夢見て恐怖を感じていたのに、旦那の上司がいて、それを避けてしまうという夢を見るようになってしまいました。
パキシルは有効であるだろうという見解でした。

人は2歳くらいまでに、人間関係の辞書を作るそうです。
誰かがこういう行動を取った時には、こういう意味だというような自分なりの解釈をつけるようになるそうです。

そして怒りは、飼いならすことによってコントロール出来るようになると言われました。
自分がいい人だとは思わないこと、そして自分の中にある悪意や怒りを出してみるといいそうです。
例えば、一番憎い人を想像の中で殺してみる。
年賀状を見ながら、腹が立つ人に、出さない怒りをぶつけた手紙を書くなど、自分の中にある怒りを見つめることで、コントロール出来るようになるのだと言われました。

自分の中の怒りがコントロール出来ない人は、人から大切なものを貰っていない。
自分だけに向いてくれる人を持つことが必要だと言われました。
自分のすべてを受け入れてもらえる体験をしなければいけない。
女性であれば、男性のカウンセラーについてもらうのが良いと言われました。
そして、相手に全面的に受け入れてもらうということは、自分が相手を全面的に受け入れることだと言われました。

ここ1ヶ月、自分の中がとても楽になり、カウンセラーからも認めてもらえたのは、私がカウンセラーに対する不安が消えたことにも関連していると思っています。
それまでは、カウンセラーに対して、見捨てられ不安が消えず、心のどこかで関係性が危ういものだと思っていました。
でも、カウンセラーを信じられると思えた時から、少しずつ動き始めたように思います。

今朝、私の中で一つ整理できたことがあります。
私の恋愛は、母と妹と私の関係そのものでした。
私は、妹が生まれた時のトラウマを、ずっと恋愛で再現し続けていたのです。
そして、私は自分は愛されるべき存在ではないと思ってしまっていました。
妹を嫉妬することは、記憶がないのでわからないのですが、私にとって母から愛されないという誤ったメッセージを受け取ってしまったのでしょう。
「あんたが妹を欲しがったんでしょ。」ずっと言われ続けた言葉は、私の嫉妬の感情を抑圧していたのかもしれません。

斎藤先生の言葉を借りれば、私にとって、嫉妬心を表現すると愛されないという辞書が出来てしまっていたのです。
でも、私はこれでいいと思います。
嫉妬心に苦しむよりも、相手のことを尊重出来る方がいいなと思います。
今は、私の中で、嫉妬心を表現すると愛されないという意味づけは必要なくなったからです。

嫉妬心がある時には、それを押し殺す必要もないし、でも、嫉妬心がないからといって、それを考える必要もない。
過去の私は、嫉妬心を抑える必要はあったかもしれないけれど、私は、知らないうちに誰もが苦しむ嫉妬心というものを処理する能力を身に着けているのかもしれません。

先日、失恋したと書きましたが、それでも相手の感情には嘘がなかったのだと信じることが出来ます。
愛情というものは、一人にだけ注がれるものではなく、色んな人、例えば、友人や子どもや親などに注がれるものだと感じることが出来るようになったからです。

私は、母の愛情が妹だけに注がれているものと間違った認識をしてしまったことから、逆に、自分だけを愛して欲しい。
自分以外にも愛情を注ぐのは自分を愛していないからだと思ってしまうようになったのでしょう。

でも、私は色んな人からの愛情を感じることができるようになりました。
愛情は形ではないことを知ることが出来ました。
かつて、愛の形としてセックスを求め、結婚を求めていたような気がします。
セックスがなくても、自分一人を相手が見つめないにしても、愛はあるのだと、私はたくさんの愛を色んな人から貰って、生きているのだと感じています。
そして、本当の愛情は形なんかではなく、育んでいくものだと思えるようになりました。

旦那に対して、怖いという感情と裏腹に、私は一つの期待も持っています。
旦那がカウンセリングを受け、旦那自身が、私と同様、回復の道を歩み、自分の中の衝動性に気が付いてくれることです。
夫婦で、それが出来るのであれば、修復も可能なのではないかと思います。
ただ、それをしてくれたからと言って、修復できると約束出来るものではないかなと思います。

二人きりで、逢うことはまだ不可能ですが、その提案をすることから始めればいいのかもしれないと、このブログを書きながら、ふと思いました。
今まで、何度もカウンセラーから進められながら、受け入れることが出来ませんでしたが、もう一度、考えてみようと思います。


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