私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

再構築2

2006-04-27 21:01:22 | 日々つれづれ
再構築

近くの町では、再開発が行われていて、古くからの建物がすべて崩されている。
曲がりくねった道。
古い建物。
全部壊して、太くシンプルな道が出来る。

私の心も、そんな風になっていけばいいな。

崩して、掘って、地下を整備して・・・・・
整地して、新しい道を作る。

4ヶ月ちょっと前は、崩して、掘っての真っ最中。
今は、ほとんどの家が崩されて、だだっ広い。

何年も前から計画されながら、色んな問題が起こって、全然進まなかった。
ようやく、本当に私が心を見つめなおした頃、同じように、動き始めた。

私の心も、この開発と同じように進めばいいな。
ここを通るたび、そんな思いが込み上げてくる。

計画では、家の前の狭い道路も、広くなる予定。
その頃には、私の心も、広くなっていたらいいな。


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価値観

2006-04-27 00:18:13 | 私のこと
色んな考え方があるのだと、そう頭の中で知っていても、それがどういうことなのかわからずにいたかもしれない。

「言わなくてもわかると思っていた。」
「親子は一心同体だと思っていた。」
という母の言葉。
私も、そういうことを信じていたのかもしれない。

時々、自分が思っていたこととニュアンスを違うように取られてしまう事がある。
コミュニケーションが上手く取れないことを悩んだこともある。
たぶん、相手が自分の思いと同じだと勝手に思い込んで話をしてしまうのだろう。

旦那とは、こういうことがよくあった。
自分の話していることが通じない。
会話が成立しない。

私の元職場の同期が車をベンツに変えた時のこと。
私「Fさんのところ、ベンツにしたんだって。」
旦那「偉そうに・・・・。」
私「すごいと思わない??」
旦那「わざわざ、お前にそれを話して、自慢しているのか?嫌な奴。
   お前も、うらやましいのか?」
私「・・・・・・」

私にとって、ベンツに変えてすごいと思ったのは、「ベンツ=すごい」ではなくて、ベンツを買うだけの余裕があることがすごいことだと思っていた。
うちなんて、そんな余裕も、貯蓄もなくて、すごいな、頑張ってるな、見習わなくちゃいけないよね、みたいな気持ちで話したのだった。

でも、旦那には、別の意味に取ってしまったのだろう。
旦那の心の中には、私と同じような考え方は生まれてきていないのだ。
違う側面から捕らえて、話をしているのだろう。

でも、その時私は、なんでそんなことを言うのだろう。
私と話をするのが嫌で、そんな風に話の腰をいるようなことばかり言うのだろうと感じてしまった。

旦那から見れば、どうしてそんな面白くない話ばかりするのだろう。
自分が手に入れることが出来ないベンツを他人が手に入れという話を聞いたところで面白くもなんともない。
何故、つまらない話ばかりするのだろうと思っていたのだろう。

私の方が、もしかしたら人と少し違っているのかもしれない。
私は、真意以外のことを口にしない。
下心とか、思ってもいないこととか、お世辞とか、そんな風に言葉を発することが出来ない。
馬鹿正直と言うか、大人になれていないというか・・・・・

いい意味で、発した言葉を、悪意に取られてしまうことがある。
相手を励ますつもりが、逆に傷つけてしまったり、伝わらないと思うことがよくある。
言わなくてもわかると勝手に思って、言葉が足りないこともあるのだろう。

最近は、親子間でそういうトラブルがあったときに、自分の気持ちを聞いてもらうことが少なかったせいもあって、行き違いがあったときに、それをわかってもらうための会話の能力が劣っているのかもしれないと思った。

行き違いがあったとき、二人の価値観が違うからそうなったのだとは思わなくて、自分が悪いから相手にそういう思いをさせてしまったという罪悪感が生まれてくる。
そうじゃないよっていう言葉を飲み込んでしまう。
自分の気持ちは宙に浮いたまま、相手の言い分だけを押し付けられて終わってしまう。

飲み込んでしまう影には、どうせわかってもらえないという、相手とコミュニケーションを取ろうとしない自分がいる。
”どうせわかってもらえない”というのは思い込みかもしれないし、そうでもないかもしれない。
でも、逆に相手のことを最初から信じていないことになるのかもしれない。

さっきの旦那との会話にしても、最後は、わかってもらえない、通じないと思って、自分がどうしてすごいと思っているかは説明していない。
わかってもらえない、以前に、わかってもらおうとしていないのかもしれない。

まぁ、旦那に対しては、もし私の気持ちを説明したからといって、それが伝わる相手ではないことを学習してしまっているから、伝えなかったのでもあるだろう。
「相手は、わかってくれるはず」と思って話をしてしまうから成り立たない。
逆にわかってもらえないとき、何でわかってもらえないのだろうという恨みの気持ちさえ生まれてくるかもしれない。

これが、分かりあえる友達ならば、一つ話をすれば、10わかってもらえたりするのだろう。
本当は、夫婦というものは生活していくうちに、少しずつ互いのことがわかり合い、言わなくてもわかる関係になって行くのだろう。
最初から、わかり合えているものと勝手に私が思っていたところが、そもそもの間違いなのだろう。

価値観が、あまりにも違いすぎた私と旦那。
お互いに、心のどこかで自分が正しいと思い込んでいて、譲り合うことも、相手が違う価値観の持ち主だということも考えもせず、わかってもらえないというジレンマを抱え込んでしまっていたのかもしれない。

でも、私はここまで価値観の違う人とは付き合ったことがない。
友達にしても、価値観が同じ人がいつまでも付き合っていけるのではないかと思う。
そんな中で、私は、何故旦那を選んでしまったか?
無邪気なまでに、私を追い回す姿を見て、
「こういう人が、私を幸せにしてくれるのだ。」と思い込んでしまったからだ。

思い込みっていうのは怖い。
すべてをオブラートに包んでしまう。
幻想に近い世界かもしれない。

私と違って、旦那は取引が上手い。
下心も大いにある。
上司にゴマをすり、部下をおだてて使うことを知っている。

最初から私を惹きつけるために、色んな手段を用意していた。
「釣った魚には餌はやらない」
そう言い放つ旦那。
人を疑うことを知らず、駆け引きも出来ない私は、旦那の誠意を紳士に受け止め、勝手に思い込んでしまっていたのだ。

私がオブラートに包んでしまったことと、旦那が演じていたことで、価値観の違いにはまったく気が付かぬまま、知り合ってわずか数ヶ月で、結婚を決め、知り合って8ヶ月で結婚してしまったのだ。
そして夢から覚めたら、現実はあまりに違っていた。

価値観というのは、少しずつ変わっていくのだろうか?
少しずつ歩み寄ることが出来るのだろうか?
伝わらないジレンマから逃げ出すことは出来るのだろうか?



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