私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

カウンセリング25

2006-04-14 17:04:22 | カウンセリング
まず、出来事を中心に話していきました。
同僚の倒れた場所に、花を供えに出掛けたこと、そこで気持ちの整理をしたこと。
詳しい同僚にまつわる出来事、その後の職場での出来事、旦那の仕事のやり方に対して持ってしまった不満などを話していきました。

どんなに仕事しても、職場や、人は守ってくれないこと、自分も誰かを守ることは出来なかったこと、自分の身は、自分で守るしかないと思ったこと。
旦那は、そんな職場や上司に対して、疑いも持たず、自分の手を汚すようなことでも、平気ですること。
それが、どうしても許せなかったことを話してきました。

自分にも、子どもにも厳しかった父親に似てしまったのかもしれないけれど、私は曲がったことや、汚いことが大嫌いでした。
自分で、過ちだと知りながら、おかしいと思いながらも社会の流れに呑み込まれることは出来ませんでした。

みんながしているからとか、上司の命令であっても、過ちだと知りながら従うことがなかなか出来ずにいました。
旦那の事を必要以上に、責めてしまうこともあったと思います。

1年ちょっと前、夫婦関係が上手く行かず、旦那に暴力を振るわれてしまった後、父は旦那と話をしました。
その時に、父が自分が厳しく育て過ぎたせいで、同じように曲がったことが許せない人間にしてしまったかもしれない、ごめんねと言ってくれました。
何があっても、私と子ども達は守るからと話してくれました。

だから父の為に、もう一度旦那とやってみようと思いました。
でも、その後に発覚したのは、旦那の女性関係でした。
それでも、私はもう二度としないからという、旦那の言葉に許そうと思いました。

私がそんな旦那の事を、この人は変わらないと気が付いたのは、些細なことでした。
気持ちを切り替えるために、子どもの夏休みに長めに実家に帰省しました。
家に帰ってポストを開けると、そこには10日分の郵便物がありました。
春休みに帰省した際も、ポストはそのままで、いない間くらい開けて欲しいと頼んでいたのでした。

私はその日から、鍵を締めて家に旦那を入れていません。
「忙しかったから、出来なかった。」
言い訳にもならない、言い訳を並べる旦那に、何を言っても話にならないと思いました。

先日旦那は、カウンセリングを受けるとメールしてきましたが、それからは何にも言ってきません。
昨日の斎藤学先生のブログの中に、
「そばにいて食い物をやって寝るところを与えてくれる人を、イネイブラーと呼びます。「支え手」と訳しますが、これがいるうちは、本人は絶対に立ち直ることはありません。」と書いてありました。

旦那が単身赴任しているときにも、何度も私が言ったこと。
「実家にいる限りは、あなたは変わらない、一人で暮らしてみて欲しい」
その通りだったんだなぁと思います。
単身赴任から帰った旦那は、以前よりもまして、生活態度も、私に対する態度も、子どもに対する態度も悪くなりました。

今、旦那は実家で生活しています。
結局、借金や、子ども達のお年玉を使い込んだことや、女性問題、暴力についても、旦那を怒ることもせず、済んでしまったことだからと許してしまい、こうしてなおも、家で生活をさせている両親の傍で、旦那が変わるということはないのではないかと思いました。


カウンセリングの中で、自分の思いを上手く言葉にして話せないことを伝えました。
カウンセラーに質問されたことなども、ゆっくりと話すのではなく、書いていくと自分の気持ちが少しずつ、現れてきます。
カウンセリング中には、気が付かなかった想いが、ここでこうやって整理をしている時に、生まれてくることが多いです。

「なんとなく話しているのでもいいよ。
一番大事なのは、二人の関係が安全だということだからね。
気が付いたことは、何でも話して欲しい」と言われました。


生育歴は、なかなか進んでいません。
でも、生育歴を話すことだけではなく、ゆっくりと自分の中で整理していくことが出来ればいいなと思っています。
「お父さんやお母さんや妹との関係を丹念にチェックすることや、辛い出来事を新しい意味に書き換えていくことが大切だよね。」と言われました。

今までは、心の痛みを押し殺して、ポジティブに生きていこうとしていたけれど、心の痛みを癒したり、再体験しながら、新しい気持ちに変えていくことは、見た目の私自身に違いはないかもしれないけれど、心の中は随分違うのだなぁと思います。
今までは、つらい気持ちを抑えながらでは出来なかった行動が、何の気持ちも湧いてこなかったり、これまでと違って、自発的な行動に変わって来ていること楽しく思います。

今回、大阪に行って人の温かさを改めて知りました。
つくづく人とのふれあいっていいなぁと思いました。
帰宅途中、一つ一つの出来事を振り返りながら、出逢いを思い出しながら、ふわっと温かい気持ちで、思わず微笑んでいる私がいました。(傍からみると気持ち悪いでしょうね)
その昔、人と触れ合う仕事が好きで、某ビール会社のインフォメーションの仕事の採用試験を受けたこと(2次試験は大阪でした)、公務員になった時も、受付業務がしたいと言ったことを思い出しました。

色んな出来事があって忘れていたけれど、人と上手く付き合えないジレンマを抱えながらも、やっぱり人が好きだったんだなぁって思いました。
この気持ちを、もう忘れることなくずっと大切にしていきたいそう思います。

居場所

2006-04-14 15:24:05 | 日々つれづれ
大阪から帰って、久しぶりにゆっくりとした時間が合ったので、録画しておいた「東京タワー」を見た。
もし別居する前に、見ていたなら、甘い恋に憧れた気持ちで終わっていたかもしれない。

幸いかどうか判らないけれど、私は結婚前に不倫を経験していて、もう二度とあんな恋はしたくないと思っていたし、恋する気持ちやときめきに憧れるだけで、足を踏み入れるようなことも、恋に落ちてしまうような隙を、相手にも見せなかっただろう。

でも、見ていて切なかった。
女性の寂しさが痛かった。
結局、私もあんな風に、恋をしてきたんだろうなと思った。
自分の居場所を見つけようと必死だったんだろうなと思う。
男と女の寂しさが、ふっと重なる時、お互いの心の隙間がぴたっと重なる。

求め合うような、激しい恋。
もう憧れない。
居場所は、見つけるものではない。
少しずつ、作り上げていくものだと思う。

寂しさの中では、それを埋める場所を探したに過ぎない。
本当の居場所は、そうじゃないと思う。
もっともっと、優しくて穏やかで、安心の出来るところ。

ずっと私は、そんな場所を持たないままでいた。
その場限りのごまかしの、一時しのぎの場所ばかり求めていた。
濡れた羽を、ただ休めるだけの、疲れた心を、少しでも楽にしたいと、休息できる場所を求めてばかりいた。

そんなの、ずっといられる場所でもなんでもない。
本当に、安らげる場所は、ゆっくりと時間を掛けて、少しずつ少しずつ、自らの力で、自らの手で作り上げていくものだったのだと思う。

だから、あの映画の終わりは、結末ではなくて、スタートだと思った。
二人の居場所が、確保されたわけではなくて、これから作っていくのだと思った。

私に、居場所を作ることが出来るのかなって考えたら不安になった。
このまま居場所を作ることの出来ないまま終わっていくのは嫌だなと思った。
どこかに自分の居場所を、ゆっくりと築きあげることが出来たらいいなと思う。