私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

子ども達が出掛けた後

2006-02-05 10:37:00 | 日々つれづれ
長男は、
「お母さんが行かないなら、行かない」といい始めた。
でも、長男だけが残ったところで、どうしようもないし、行くようになだめた。
台所に立っていると、次女がやってきて
「お母さん、一人で大丈夫??火つけたりしないでね。」
なんて言ってきた。

子どもに、心配させてなんて母親なんだろうと思った。
だけど、子ども達の気持ちが嬉しかった。
ちっぽけだった自分。

約束の時間が迫っているのに、なかなか支度が終わらない子ども達。
結局、いつものように追い立てるように準備をさせた。
「早くしないと、映画が始まるよ。まぁ、お母さんは困らないんだけど・・・・」
なんて言いながら。

「お願いだから、風邪引いたり、寒いの我慢したりするのはやめてね。」釘を刺しておいた。
今週は、どうしても休めない仕事がある。
「今週は、休めないかもしれないから、頼むね♪」とお願いした。
旦那は、全然そういうことを考えない。
子ども達が、風邪を引いていても、自分の都合で連れ回すし、下痢をしていても、水分補給だと言って、平気で炭酸飲料を買い与える。
お腹が痛いといいながら、自らアイスクリームを何本も食べてみたり・・・・・
舅もそうだった。
実家に帰れば、日が暮れて寒いから辞めてくださいと頼んでも、やっぱり外へ連れ出した。
冬に、行くと必ずその夜、咳き込み始めた。
そうかと思えば、数時間子どもを預けて外出すると、子守に飽きたのか、夕食時だというのに、近所の家に預けていたり・・・・

子ども達は、元気に出掛けて行った。
長男はキスをしてくれ、次女はハグしてくれた。長女は抱きつく私に、笑っていた。
「楽しんできてね。話を聞かせてね。」
私も元気に見送った。
帰ってくるのは、夜7時頃の予定。

昨夜、送り出した後の自分の気持ちに向き合うのが怖くて、眠れなかった。
でも、予想外になんでもない。
本当に不思議な気持ち。
こんなに穏やかなのは何故なんだろう。
少しずつ、心が変わり始めているのかな。
まだ、何の感情も湧いてこないことに慣れていないから不思議な気持ち。
湧いてこないことに不安を感じたりして・・・・・
不感症になってるのかな?離人感が訪れたのかなって考えてしまう。
へんなの。

取り合えず、気持ちよく送り出せた自分を褒めてみよう。
「えらい!!」

頭と心

2006-02-05 01:39:31 | 自分考察
今までは、頭で考えるよりも先に心が動いていて、自分でも抑えきれない感情が溢れ出していた。

旦那から来たのは、
「明日休みになりました!スパイキッズの続編が立体映画になったんだけど子供達と見に行きたいんですが?どうでしょうか?いつも勝手なこと言ってごめんなさい。たまには一人でゆっくりして下さい」というメール。

別居してすぐだったら、本当に勝手だとイライラと怒りが湧き起こっていただろう。
でも、このメールを受け取ったとき、不思議だけど、何の感情も湧きあがらなかった。
ただ冷静にメールを読み、どうしようかと考えた。
そして子ども達に伝えた。

その後、頭の中で、さっきの記事に書いたことを考えた。
感情的というよりもむしろ理論的に。
悔しいとか悲しいとか、寂しいとかいうのではなく、淡々とした気持ちで・・・・・

でも、その後、些細なことで長女と言い合いになった。
風呂に入らず、だらだらとしている長女に、私は注意をした。
その時、反抗的な態度をして、私を見下し、まるで旦那そっくりに私を罵倒した。
ここで私の感情が噴出した。
思わず、頭を叩いてしまった。
「そんなにお母さんのことが嫌なら、明日そのまま帰ってこなくてもいいよ。」
言葉が飛び出してしまった。

長女が、お風呂に入った後で、冷静になって、しまったと思った。
慌てて、追いかけるように風呂に入って謝った。
「ごめんね。お母さん、八つ当たりしたかもしれない。
○ちゃんの態度は確かに悪かったけれど、叩いてごめんね。
みんながあんまりに嬉しそうだったから、寂しくなったのかもしれない。
本当にごめんね。」

不思議なことに「寂しい」という感情が生まれてこなくて、その代わりに、長女に「怒り」の感情が生まれてしまった。
先日から、「寂しい」という感情が過去から切り取られて私に張り付いていたのに、今度は「寂しい」という感情が切り取られてしまっている。
この「寂しい」という感情が、素直に出ないことが私の問題なのかな?



子育てする上での理想的な親っていうのは、どんな姿なのだろう。
私も旦那も、両極端すぎる。
過干渉と無干渉。束縛と放任。
二人が上手く二人三脚出来ていれば、ちょうどいいのかもしれない。
でも、今まではそんなことは思わずにいた。
旦那のことをずるいと思っていた。

子どもから見るとどうなんだろう。
もしかしたら、上手くバランスが取れていたのではないかと思う。
私が、割り切れさえしていれば。
私は、自分だけが嫌な役割ばかり押し付けられていると思い続けていた。
楽な役割ばかり、旦那が担っていると感じていた。
でも、子どもから見ると、どっちがどうだっていいんじゃないかと思う。
必要なものをどちらかが与えていれば良かったんじゃないかと思う。

私は、両親から同じように束縛されて干渉されて育てられた。
逃げる場所がなくて辛かった。
そんな風にしか子育て出来なかった母親だったけれど、子どもにとっては旦那が逃げ場所でもあったのではないか?
旦那は、両親から放任されて干渉されることもなく自由気ままに育って、とてもルーズな性格で、やっぱりそんな風にしか子どもと接することが出来なくて、でもそれを私が補ってきたのではないか?

お互いが、お互いを認めず、非難することばかりを重ねてきた。
今回の旦那のメールには、私を思いやる気持ち言葉が含まれていて、変わっているのかななんて思った。
もしかしたら、その言葉で、私は子ども達を行かせてやろうという気持ちになったのかもしれない。

子ども達から愛されているのか自信のなさが、私を不安な気持ちにさせるのかもしれない。
私は、誰にも愛されない人間なんだって、ずっと思っていたから、子ども達に対してもなお、自信が持てずにいる。
もっと、どーんと構えていれば、色んなことが楽になっていくのかもしれない。

旦那に対しては、まだまだやっぱり恐い。
子ども達に、「ごめんね。家には入れないでね。マンションの玄関までね」とお願いしてしまった。
まだ許せていない部分がいっぱいあるのだと思う。
ゆっくり焦らず、自分の気持ちを考察していこう。
頭で考えること、心で感じること。これが一緒になったらいいのにな。