私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

エゴグラムによる性格診断

2006-02-17 17:08:12 | 自分考察
エゴグラムによる性格診断

貴方のタイプはaacaa です
CP=critical parent(批判的な親の心)a
NP=nurturl parent(養育的な親の心)a
A=adult(大人の心)c
FC=free child(自由な子供の心)a
AC=adapted child(順応した子供の心)a

性格
厳しい責任感と使命感に燃えていながら、他人には優しく思い遣りがあり、多情多感な性格で、趣味や娯楽が豊富です。出来た人という世間の評価の割には、今一つ出世に縁遠く、大きく財を成す事が出来ないのは、物事を大局的見地から把握する事が出来ないからです。社会の枠と情愛に振り廻されて、何時も自分を見失いがちです。貴方の最大の欠点は、或る行動と或る行動の間に、余りにも大きな落差が有り過ぎる事です。詰る所、それは生き方全般を統一して行くものが無いと云う事であり、価値観や人生観の中に、整合性に欠けるものが潜在すると云う証拠でも有ると思います。

恋愛・結婚
豊かな感情を持て余し気味です。精神年齢が低い(知能の高低とは直接関係ない)為に、自分自身の調整に何時も失敗します。そのため恋愛も、結婚もなかなかスムーズに行きません。合理主義的な常識豊かな人と結婚する事が出来れば、割合にうまく行くでしょう。

職業適性
好きで才能が有れば、芸能、芸術部門全般に渉って性格的な適性は有ります。合理的で、冷静な分析判断を要する様な仕事には性格的に不向きですので、避けた方が無難で賢明です。

対人関係
自分の立場と置かれている環境を的確に把握出来て居ない為に、何時も浮き上がった様な存在になっている可能性が高いタイプです。物事に対する適応と対応手段が鈍い為に、自分の弱点や欠点を残らず相手に読み取られてしまうタイプで、それが永い人生の中で大きなネックとなります。

現実無視タイプ(A欠乏型)
Aの柱だけ低得点のタイプです。学歴や地位にはほとんど関係なく、Aの低い人は結構います。最大の泣きどころは、自分の人生に整合性がないことです。計算しない人生、計算外の人生を送りやすい人です。判断力、分析力、冷静な計算力に大きな欠陥があるといえます。それだけに、このタイプの人は、政界や財界など、駆け引きや冷静な計算、力関係のバランス感覚などが重視される方面は、できるだけ避けたほうが無難でしょう。処世術が優先される世界よりも、むしろ芸術分野などの方が向いているといえましょう。


心理療法

2006-02-17 07:51:24 | カウンセリング
現在、カウンセリングを受け始めて4ヶ月が経ちます。
今まで、無意識に行動してきたことを意識化することで、自分の行動パターンが見えてきました。
何故、そういう行動を取ってしまうのか、その行動の裏には、どんな感情が隠されているのか・・・・・
自ら分析をしながら、日々過ごすようになりました。

一時は、本当に暗礁に乗り上げてしまったり、このまま這い上がれないのではないかと思ったり、あまりに辛く、やらなければ良かったと後悔しました。
こんなことばかりしていても、苦しいばかりで辞めてしまおうと思ったこともあります。

過去の自分を取り戻したくなって暴走したり、依存傾向が強くなり、行きずりの恋に堕ちてしまいそうになったり、そんな中でも、自分の行動をしっかりと見ることで、逆に過去の行動パターンが浮かび上がってきたり、結果オーライのこともありました。
カウンセラーに対する依存も激しくなり、独り占めしたい気持ちで苦しくなったこともありました。

カウンセラーとの対話は、1回1時間。
今までで17時間。一日一緒に過ごしたくらいの時間です。
でも、誰よりも私のことを知っている人という想いがあります。
ほんの短い間なのに、今まで誰にも、自分を見せてこなかったのかな、と思います。
こんな風に素直な気持ちで接することが出来たなら、想いを伝えることが出来たのなら、旦那とも上手くいっていたかもしれないな、そう思います。
身体を抱きしめられるよりも、心を抱きしめられることの心地よさを知りました。
誰かに抱きしめられたい気持ちでいっぱいで、いつも寂しさに流されてしまっていたことに気が付きました。
でも、本当に大切で求めていたのは、心を寄り添うことの出来る関係だったのかもしれません。

現在、週に一度のカウンセリングが、何よりも楽しみだったりします。
以前は、カウンセラーにすがりつきたい気持ちでいっぱいだったのですが、今は感情が違ってきました。
それは新しい自分に出会えることの喜びと寄り添ってもらえることの心地よさからくるものです。
心のマッサージを受けている、そんな感じです。

>そこにはまた感情の交流もあり、さらにもっと神秘的な要素のある一種のテレパシーのようなものもある。

と本の中でありましたが、本当にそれを感じます。
実際に、逢って話しているわけではないので、表情からという情報はありません。
それだから余計に感じるのかもしれませんが、共感してくださっていたり、私自身気が付くことのなかった思いを拾い上げてくださったりする中で、話し方の間、声によって共鳴しているというのを感じることがあります。
逆に、カウンセラー自信の持つ痛みを、私自身が拾い上げてしまうこともあり、痛いこともあるのですが・・・・

目に見えない、言葉に出来ない感情が、カウンセラーの言葉ではなく、そういったことで見えてきたり、感じてきたりします。
これは、今までに味わったことのない不思議な体験かもしれません。

カウンセラーと築いてきたような関係を、実世界で持つことが出来るのか不安はあります。
でも、カウンセラーとのやり取りの中で、本来の自分の姿を見つめることが出来、認めることが出来、少しずつですが楽な気持ちになれてきました。

ここで、色んな方とやり取りすることも、自助グループ的な効果が得られているのではないかとカウンセラーから言われています。
同じように感じ、同じように苦しみを分かち合える仲間がいること、本当に私を強くさせていると思います。

本当に一人では前に進むことなんて出来ませんでした。
一人では堪えることが出来ないような苦しい苦しい道のりだったかも知れません。
でも、こうやっていられるのは、ここで知り合った全ての人々、そしてカウンセラーとの出会いのお陰だなとおもいます。
本当にありがとうございます。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。

まだ、前に進むことを躊躇われている方、吐き出すことを恐れている方・・・・
ブログの中でも自分の居場所を持つことが出来ます。
思っている以上に、心地よい空間を作ることが出来ると思います。
私にとって、吐き出すための場所でしかなかったこのブログですが、今はなくてはならない場所になっています。
きっと同じように苦しんでいる、立ち向かっている仲間がいて、共に成長できると思います。
決して一人で苦しまないでください。
あなたは決して、一人ではないから・・・・
目を見開けば、きっと傍に誰かがいるはずだから・・・・・