私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

平和を願う祈り

2006-02-01 13:49:36 | メッセージ

 神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように

いさかいあるところに、赦しを

分裂のあるところに、一致を

迷いのあるところに、信仰を

誤りのあるところに、真理を

絶望のあるところに、希望を

悲しみあるところに、よろこびを

闇のあるところに、光を

もたらすことができますように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに

慰められることよりも、慰めることを

理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを

望ませてください。



自分を捨てて初めて

自分を見出し

赦してこそゆるされ

死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを

深く悟らせてください。

 

〈 アッシジの聖フランシスコ 〉

 

 

カウンセリング中、教えていただいた言葉です。


”慰められることよりも、慰めることを
 理解されることよりも、理解することを
 愛されることよりも、愛することを
 望ませてください。”


自分の寂しさよりも、相手の寂しさを思いやることが出来たのなら
私の寂しさは、自らの手で、癒されていくのかな。

回復という長い道のりの中で、
優しさとゆとりの心が持てたなら
私は、こんな風に心から望むことを許されるのだろうか?

今はただ、何度も何度も 心の中で唱えて、
いつか心の中に刻み込まれて、
自らの言葉になるよう、祈るばかりです。


カウンセリング15

2006-02-01 13:48:35 | カウンセリング
今日は、「寂しさ」について話してみました。
先日、突然に湧き上がってきた、寂しいという気持ち。
身の切れるような寂しい気持ちは、回復して互いを思いやる気持ちの中で、消えていくものなのか?
相手が変われば、感じないものなのか?
そんな気持ちを話してみました。

「寂しさ」を感じることが出来ること、それまでは、その寂しさを何かで埋めようと一生懸命になっていて、それで言い争いになったり、けんかしてしまったりしていたのだろうけれど、今、感じているのは、素面で感じる「寂しさ」ではないかと言われました。

テレビを見ながら、何か悲しい場面だったわけでもないのに、感情だけが湧いてきて、過去自分の感情(その時には、寂しいなんて思いもしていなかったのに)が蘇って、ただ、泣いていました。
切なくて、寂しくて、苦しい感情が、過去から切り取られて、貼り付けられたような感じでした。

でも、今の仕事や色んなことで、わくわくする気持ちもたくさん持っていて、それで寂しさと向き合うことが出来ていたことにも気が付いたこと。
悲しい思いばかりを引きずるのではなく、楽しい気持ちにさせてくれるようなものを持っていること、気持ちを形にしてきたこと。
ここ数ヶ月、デザインする上で色が使えなくなっていたこと、そして「寂しい」という気持ちに向き合ったことで、また色を取り戻せたことを話しました。

「寂しい」という気持ちに気付かないまま何かで埋めてしまっていた過去。
「寂しい」という気持ちに気が付いて、それと向き合いながら、自分と付き合っていくこと。
例え、他人から見た行動は同じでも、気が付くか気が付かないかで、心の中はずいぶんと違うのだなぁと思いました。
無意識の行動の中にも意味があって、それを気付いて行動すると、心の中が見えてきて、客観的に自分と向き合えてくる。
それは、それで楽しいのではないかなぁなんて思ってしまいました。

「寂しい」という気持ちの中で、過去の自分が、人を好きになったこと、それが当たり前の感情だと自分を認めることが出来たこと。
ゆっくりとその「寂しい」という感情を見つめることが出来たこと。
褒めていただき、聖フランシスコの「平和を願う祈り」という言葉を教えていただきました。