男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

長野県青柳姓

2016年02月10日 | この名字のルーツは?
長野県内の青柳氏は、平成10年の電話帳には652軒ありました。県内では、安曇野市178軒、塩尻市141軒、松本市104軒、長野市34軒、佐久市26軒、上田市21軒、信濃町17軒でした。
安曇野市では、堀金三田田尻57軒、堀金烏川48軒、穂高35軒あり、塩尻市では、洗馬78軒(岩垂31軒・小曽部31軒)と特定の地域に青柳一族が多く集まっていました。

安曇野市
堀金三田田尻 青柳一族墓地が3ヶ所あり。
①20家…家紋「青の角字」
②10家…家紋「松波菱に青の角字」
③5家…家紋「丸に青の角字」

堀金烏川 一族墓地が3ヶ所あり。
①8家…家紋「丸に上り藤」
②5家…家紋「上り藤」
③6家…家紋「丸に揚羽蝶」

穂高 一族墓地 20家…家紋「下がり藤」

塩尻市
洗馬岩垂 一族墓地が3ヶ所。家紋「撫子」「青の角字」
洗馬小曽部 一族墓地が1ヶ所。家紋「丸にちぎり」

朝日村の西洗馬 家紋「上り藤」表紋、「二引両」裏紋。

片丘村の南内田 家紋「青の角字」
南熊井 家紋「かたばみ」「菱」

小曽部の青柳直良家(4823番地)は、教員をしていた頃、長野県内を転々と転勤しながら、青柳氏の由来を調べたそうです。先祖は青柳城主で、小笠原氏に滅ぼされた後、一族は安曇の堀金、松本の笹賀、南佐久、ここ小曽部など山奥に隠れ潜みました。みんな同じ由来があると言うことでした。この小曽部では、4899番地の青柳氏が村中でも古いですが、今は空き家になっています。

堀金烏川の青柳 競家は35代目とあり、由来が墓誌に刻まれていました。先祖は桓武平家の落ち武者で、隠匿生活後、信濃横瀬村(長野県大町市)に定住。仁科城主の婿養子となり、元享2年(1322)青柳城に入ります。その後四郡を与えられ、駿河守を称します。元文18年(1549)、弘治2年(1556)の戦いで功あり、その時の旗印は「揚羽蝶」でした。天正8年(1580)武田勝頼の命で、三河に出陣。その後大阪の陣で敗戦。元和元年(1615)郎党わずか8人をつれて信濃に戻ったとあります。

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