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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 12 新商品開発の提案は散々な回答

2024-10-11 12:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 12 新商品開発の提案は散々な回答 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 一方で、駐在員事務所としての重要業務のひとつアテンドでスケジュールが乱れることも多い、毎日でした。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆5-12 新商品開発の提案は散々な回答
 竹根は、市場要求の仕様にそぐわない商品ではビジネスが成り立たないと確信し、提案した新商品案に対する本社の評価は、竹根が想像していた以上にひどい反応であった。
 ここまで来たら、角菊の怒りだけではなく、本件では竹根の最大の理解者であるケント光学の北野原もあきれてしまった。それを含め、顕微鏡の輸出は、従来商品で行うようにと、指示というより命令として竹根のところにもたらされた。
 竹根は、そのような本社からの態度にお構いなしにさらにレポート送付を続けた。この経験は、後に経営コンサルタントになってから多いに役立ち、文章を書くことが苦にならなくなった。
 顕微鏡の光源は、ケント商品は鏡で、自然光を利用して凹面鏡で検体を照らす方法である。竹根からは、顕微鏡のベースに光源を組み込む形にするように要求した。それも高電圧式の照明と低電圧式の六ボルト照明、鏡光源のものと三種類から選択できるようにという内容であった。
 返事は、「外付けのケーラー照明を使うことができる」という短い返事であった。
 竹根の次の要求は、接眼レンズは、四十倍以上はフラットフィールド・アポクロマートである。顕微鏡を覗くとどうしても中心部分と周辺部分の焦点が均一にならない。フラットフィールドは、視野内が均一にピントが合う、レンズ構成をした接眼レンズである。少なくても使用頻度の高い四十倍だけでもフラットフィールドにするようにと主張した。
「フラットフィールドは、ケントの実力では無理である」という回答であった。
 竹根は、フラットフィールドを再度主張した。
 ここまで来ると、北野原が根負けをしたようである。一本の四十倍接眼レンズを送ってきた。これについて市場で評価をしてもらいたいという内容の手紙が、相本の手でしたためられてきた。
 竹根は、早速ロングアイランドのフィルモア光学に飛んでいった。フィルモアの親父は、値段次第で売れるというのである。竹根は、この朗報を、訪れたことのあるフィルモアの親父の意見ということを一言加えて北野原に直接手紙にして返事をした。
  <続く>
 
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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 9 北野原社長の辛口トーク

2024-09-20 12:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 9 北野原社長の辛口トーク 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 一方で、駐在員事務所としての重要業務のひとつアテンドでスケジュールが乱れることも多い、毎日でした。
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◆5-9 北野原社長の辛口トーク
 北野原社長との中国料理の夕食は、竹根には豪華すぎる思いをしていた。それだけではなく、北野原の顕微鏡愛の強さが伝わってきて、食事が一層おいしく感じられた。
「スバルというブランドの顕微鏡を知っているかい?」
「スバルですか?日本の顕微鏡のようですね」
「スバルというのは、星野商会という従業員が十人にも満たない会社だ。そこが、日本のレンズメーカーや、加工業者を使って顕微鏡の形にただ組み立てをするだけで、アメリカやヨーロッパに輸出をしている。毎年、三十億円もの売上を上げているのだ」
「たった十人で三十億ですか」
「そうさ、それに対して福田商事はどうだ。年間アメリカに百万円にも満たない金額しか顕微鏡を輸出できていない。自分たちが売りやすいものしか、売らないからだ。顕微鏡のように、販売に手間がかかるものは、代理店に任せっきりだ。そのアメリカの代理店も先般倒産してしまった。だから、今は福田商事はアメリカに顕微鏡の販路を持っていない。接眼や対物レンズが少し出ているだけだ」
 竹根は、福田商事の顕微鏡ビジネスについて、初めてその現状を知った。その実状が、あまりにもひどいことにショックであった。すくなくてもケント光学は福田商事の子会社である。その子会社の製品すらアメリカでは微々たる実績しか上げていない。
「代理店が倒産したからといって、福田商事の海外営業部は誰もその代わりを探そうとはしない」
 声が少々うわずってきた。不満が北野原の気持ちを高ぶらせているようだ。しかし竹根はなんと声をかけてよいのかわからない。
――子会社としては福田商事のやり方に不満を持つのも当然だ――とただ、そんなことを考えるだけである。
「福田商事がうちの顕微鏡を売ってくれないのなら、他に販売チャネルを開拓したいと思うけど、福田商事の子会社だから、まさかそうするわけにも行かない。だけど、これでは飼い殺しだ」
 強い紹興酒なので、まわりが早い。北野原は、限界を超えたようで、口数が次第に少なくなってきた。これが潮時であることを、この数日間で竹根は学んだ。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 7 入札ビジネスにいかに対応するか

2024-09-06 12:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 7 入札ビジネスにいかに対応するか 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
 一方で、駐在員事務所としての重要業務のひとつアテンドでスケジュールが乱れることも多い、毎日でした。
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◆5-7 入札ビジネスにいかに対応するか
 ケント光学の北野原社長とロングアイランドのフィルモア光学を訪れた竹根は、なんとか北野原社長にお土産となる「注文」をとりたいものだと考えていた。
 翌日は、マンハッタンの南の方、ソーホー地区にあるソーホー科学機器を訪問した。ここは、入札専門のビジネスをやっている。顕微鏡だけではなく、いろいろな理化学機器や測定器の入札があると応札する。ケントの顕微鏡も対象になりそうであるが、日本からの出荷では、納期的な問題がありそうで、アメリカ国内に在庫を持たないとソーホー科学機器とは取引ができそうもない。顕微鏡だけではなく、顕微鏡の対物レンズや接眼レンズといった部品類も入札の対象になるという。
 短納期に対応するためには空輸をするか、福田商事が倉庫を借りてそこに在庫を保管しておくか、等と考えた。しかし、福田商事のニューヨーク事務所は、「駐在所」ですので、在庫を持つことはニューヨーク州法ではできない。ニューヨーク駐在事務所の法人化を真剣に考えないと、ビジネスの拡大は難しそうであると竹根は思いながら、ソーホー科学機器を離れた。

 その日は、晴れた良い天気であったこともあり、ソーホー科学機器からそれほど遠くない自由の女神に行くことにした。竹根も初めてである。バッテリー公園の船着き場から十数分の船旅である。海猫が船を追いかけてえさをねだる。乗船客の中には手慣れたもので、飛んでいる海猫群にお菓子を投げる。それを上手に海猫が空中キャッチをすると、乗船客が歓声を上げる。
 小太りの北野原であるが、意外と健脚である。ゆっくりではあったが、自由の女神の王冠のところまで百段以上ある階段を登った。そこから見るマンハッタンは、まさに摩天楼が天に突き刺さる光景であった。今日なら、新宿などあちこちで高層ビルを見ることができるので誰も感嘆することはないであろうが、竹根は、平素は、ビルの下を縫うように走る道を歩きながら上を見上げるだけであったので、自由の女神からやや俯瞰的に見る大パノラマは初めてであった。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 6 アテンド客との同行でロングアイランドへ

2024-08-30 00:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 6 アテンド客との同行でロングアイランドへ 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。
 はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
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◆5-6 アテンド客との同行でロングアイランドへ
 午後は、ケント光学の北野原社長と、ロングアイランドにある顕微鏡を主体とした光学機器の販売店に行くことになっている。
「これから行くところは、竹根さんの知っているところかい?」
「いいえ、先々週初めて電話をしたところ、快く社長の訪問を受け入れてくれました。アメリカ人というのは、自分にプラスにならないとなかなか会ってくれないようなのです。ニューヨークといっても、ロングアイランドにあり、まだ田舎の良いところが残っていて、いわゆるヤンキーの伝統的な良さを持ち続けているようです」
「ケントの顕微鏡が売れるようなところだろうか?」
 ニューヨークの喧噪から離れた、マンハッタン島の東にある東西に細長い、その名を表すようなロングアイランドである。
「不勉強で申し訳ありません。私もアメリカでどのような顕微鏡が売れているのかよく知りません。それどころか、社長の会社で二日間の研修を受けながら触らせてもらったのが十何年ぶりというお恥ずかしい次第です」
「福田商事は、事務機、電子機器、文房具、学校教材、理化学機器など幅広いから、当たり前だよね」

 昨日の雪で、郊外に入るとさすがに雪の積もっているところが多い。高速道路で四十五分ほどのところにあるフィルモア光学に近いインターを出た。高速道路がほぼ西から東に延びているので、高速道路をおりてから右方向、すなわち南に数マイル行ったところである。さらにその道をまっすぐ行くと大西洋だ。運転には自信のある竹根だが、高速道路をおりた雪道はさすがに怖い。VIPを乗せているだけに慎重だ。
 フィルモア社長は、大学の医学部の学生を対象としたビジネスが核であるために、光源つきの、安価な単眼顕微鏡が中心である。安価といっても、ケントの顕微鏡はおもちゃのようなレベルであることがわかった。
 ケントの双眼顕微鏡が安く作れるのであれば、ライバルが嘆願顕微鏡を中心にしているだけに差異化(差別化)ができてビジネスがうまく行くのではないかと竹根は心の中で思った。口にしなかったのは、今のケント光学の力では、双眼顕微鏡を安く作れるだけの力を持っていないことを承知しているからである。

 帰りに、ロングアイランドを東に、すなわち東端方向にさらに三十分ほど行ったところにある漁港のレストランまで足を伸ばした。大西洋の波が押し寄せる海岸に建っている。時間的にディナー時間までには早いこともあるからだろうが、客は竹根たちだけである。窓側の席に案内された。
 レストランのほぼ中央に大きな水槽がある。水槽にいるメインロブスターを自分で選ぶと、それを料理してくれる。日本の伊勢エビとは比べものにならないほど大きい。左のはさみが異常に大きく、挟まれたら痛いだろうと思いながら一匹ずつ、二人で格闘することになった。
 北野原の要望で、しっぽの部分は生で出してもらった。醤油はないが、何もつけずに口にほおばるとプリプリした新鮮な歯あたり、甘味が口に広がり、かくもうまいものがこの世にあるのかと二人とも夢中になった。言葉もない。ひたすら、皮をむき、身を食べて行く。
 白ワインでも飲みたいところなのだろうが、運転をする竹根のことを考えて、さすがに北野原はアルコールを控えた。

 ホテルに戻ってから、近所のバーに入った。ピアノがおいてあり、曲を選ぶとピアニストが演奏をし、それにあわせて歌を歌うのである。ピアノバーと呼ぶことを日本人から教えられていた。今日のカラオケの前進のようなお店である。北野原が美空ひばりの悲しい酒を頼むと、ピアニストが上手に弾いてくれる。日本を思い浮かべているのか、昔を懐かしんでいるのか、北野原も良い声で歌った。それから二人が交代で何曲か歌ってから、その日はお開きにした。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 5 福田商事のCI戦略

2024-08-23 12:01:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 5 福田商事のCI戦略 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。
 はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
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◆5-5 福田商事のCI戦略
 アテンド客のひとり、北野原はケント光学という福田商事とは付き合いの長いメーカーである。北野原にはニューヨーク着任前に何かとお世話になっていた。
 昼間は日曜であることから、彼のたっての願いと言うほどではないが、楽しみにしていたという自然博物館に連れて行ったが、それが嬉しかったようである。
 夜になると、また酒の席に下戸である竹根は引っ張り出された。幸い、北野原は酒の強要はしないが、その後アメリカ詣でに来るたくさんの人に悩まされることになる。アメリカでは、酔って汚物を出したりすると罰金をとられるので気を遣う。酒飲みに対して寛大な日本と大きな違いの一つである。
 その日の北野原は、福田商事が企業イメージ戦略の一つであるCIの一環として、それまで技術者に慣れ親しまれてきたKENTブランドが使われなくなる。北野原は、社名にケントと入れているだけに、残念な気持ちが強いようである。竹根は、せっかく確立したブランドを捨てることはもったいないと思う程度で、北野原のようなこだわりはない。子会社の意向を無視した福田商事のやり方が不満なようで、北野原は少々荒れた。
 因みにCIとはCorporate Identityといって、企業イメージ高揚のためのマーケティング戦略の一つである。社名をカタカタ文字に変える企業が出たのもこの時期に多い。社名が変わるとその経済効果は大きい。CIを実施した企業側は、印刷物をはじめいろいろなところにコストがかかるが、印刷業界、建築装飾業界など多くを享受できた。CI実施企業にとっては、メリットはばらつきがあった。
 福田商事は、社名を変更することはなかったが、ブランドはすべて「FUKUDA」ブランドに統一され、それまで理化学機器や製図機器関連はケント、事務機器関連はオリエントを使っていたが、それらは一切使わなくなった。

 翌日の月曜日は、午前中は事務所で手紙や本社関連の事務処理をした。本社の相本が送ってくれたであろう手紙について、各担当者に返事を書いた。北野原を待たせているだけに、急いで書くこともあり、書き損じが出て、かえって時間がかかってしまったかもしれない。北野原は、近くの五番街を廻ってきたとかで、高島屋のニューヨーク店があまりにも小さいのでがっかりしたとか、タイムズスクエアあたりのブロードウェイは、彼がかつて滞在していた頃とあまり変わっていないとか言っていた。高島屋が小さい店構えであったのは、それが、日本の国力の実情だろうと、北野原は自分を慰めていた。
 二人で事務所裏にあるコーヒーショップに入った。
「社長、私がアメリカに来る時の飛行機の中で、ジュースがおいしかったのが非常に印象的だったんです。そのときに、アメリカ人は、毎日こんなうまいものを食べているのかと、うらやましくさえ思いました」
 アメリカ生活の経験がある北野原には、竹根が言いたいことが解ったらしく、ニヤリとした。
「ニューヨークで生活するようになって、アメリカの食事をするようになるとすぐ、『よくアメリカ人はこのようなまずいものばかりを毎日食べていられるな』と思うほど、なかなかうまい料理にありつけませんね」
 北野原、頷きながら笑っている。
「わらじステーキは、肉ではないよな」
 竹根がニューヨークに来てまもなくの頃、近くのステーキ屋に入った。丁度わらじのような大きさと形をしたTボーンステーキが二、三ドルで食べられた。値段が安い分、わらじをかじるような歯ごたえのある肉である。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 4 包容力のある経営者との再会

2024-08-16 12:01:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 4 包容力のある経営者との再会 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。
 はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
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◆5-4 包容力のある経営者との再会
 竹根の業務と並行して、その後も日本からアメリカ詣でと称して、何人かの経営者が訪問してきた。仕事に熱中することで、東京本社で竹根の業務を支援してくれる、相本かほりのことを、気持ちとは裏腹に忘れようとした。かおりからの業務連絡の手紙を受け取るたびに、暗い気持ちになるのは、以前とは全く反対の感情である。失恋とは、かくも自分の感情をマイナス方向に向けてしまうのかと、今更ながら思うのである。

 次に来るアメリカ詣での中の一人が、福田商事の資本が入っているケント光学の北野原社長であった。ニューヨークに着いたのが四月も末近くである。四月にしては珍しく吹雪く中、飛行機の着陸が一時間延びたものの、幸いケネディ国際空港に着陸できた。
 空港に迎えに出た竹根の顔を見ると、長旅の疲れも見せず、六十歳を超えているとは思えない元気な笑顔を北野原は投げかけてくれた。竹根がアメリカに出張するまえに、工場で加工実習まで体験させてくれた唯一の社長である。竹根の両手を、小柄な北野原ががっしりと握った。竹根には、なにか感動するものがあった。
 竹根はご老体の長旅を気遣って、ホテルまで連れて行ってそのまま別れるつもりであった。
「竹根さん、この寒空の下に俺を一人にする気かね」
「空の下ではなく、ホテルの中ですよ、社長」と冗談を言うと、「ニューヨークのこの寒い時期に、なんで俺が来たのかわかるかい?」と真剣な眼差しに引き込まれて、最上階のラウンジで酒の相手をすることになった。
 下戸である、竹根にアルコールを強要はしないが、酒が飲めないと商社では出世できないということを、アルコールが廻るにつれ、くどくどと言い続けた。竹根には、北野原が自分に期待をしていることが、言葉がなくてもわかった。

 翌日は、日曜日であった。約束の時間に北野原を迎えに行き、北野原が希望していた自然博物館に連れて行った。連れて行ったことは行ったが、むしろ北野原の方がよく知っている。聞くところによると北野原は、フルブライト留学生第一号の一人で、ニューヨークには、終戦後まもなく数ヶ月住んでいたというのである。それだけではなく、博物学にも通じていて、それが顕微鏡を製作することにつながり、福田商事の学校ルートで顕微鏡を販売している。顕微鏡開発の苦労、顕微鏡が日本を代表する輸出商品になるまでの業界の苦労、福田商事の販売ルートに乗せるまでの苦労、熱く熱く語る北野原を見て、自分にはこのように熱く語れるモノを一つでも持っているだろうかと思うと、自分の小人さを思い知らされた。
 ケントという社名は、北野原が学生の時に製図の授業で使った製図器のブランドだそうだ。それは福田商事の商品であることは、当然竹根は知っている。ケント製図器がなければ、今の会社も、今の社名もなかったとしんみりと語ってくれた。北野原の福田商事に対する思いを感じ取った。
  <続く>
 
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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 4 包容力のある経営者との再会

2024-08-16 12:01:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 4 包容力のある経営者との再会  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。
 はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆5-4 包容力のある経営者との再会
 竹根の業務と並行して、その後も日本からアメリカ詣でと称して、何人かの経営者が訪問してきた。仕事に熱中することで、東京本社で竹根の業務を支援してくれる、相本かほりのことを、気持ちとは裏腹に忘れようとした。かおりからの業務連絡の手紙を受け取るたびに、暗い気持ちになるのは、以前とは全く反対の感情である。失恋とは、かくも自分の感情をマイナス方向に向けてしまうのかと、今更ながら思うのである。

 次に来るアメリカ詣での中の一人が、福田商事の資本が入っているケント光学の北野原社長であった。ニューヨークに着いたのが四月も末近くである。四月にしては珍しく吹雪く中、飛行機の着陸が一時間延びたものの、幸いケネディ国際空港に着陸できた。
 空港に迎えに出た竹根の顔を見ると、長旅の疲れも見せず、六十歳を超えているとは思えない元気な笑顔を北野原は投げかけてくれた。竹根がアメリカに出張するまえに、工場で加工実習まで体験させてくれた唯一の社長である。竹根の両手を、小柄な北野原ががっしりと握った。竹根には、なにか感動するものがあった。
 竹根はご老体の長旅を気遣って、ホテルまで連れて行ってそのまま別れるつもりであった。
「竹根さん、この寒空の下に俺を一人にする気かね」
「空の下ではなく、ホテルの中ですよ、社長」と冗談を言うと、「ニューヨークのこの寒い時期に、なんで俺が来たのかわかるかい?」と真剣な眼差しに引き込まれて、最上階のラウンジで酒の相手をすることになった。
 下戸である、竹根にアルコールを強要はしないが、酒が飲めないと商社では出世できないということを、アルコールが廻るにつれ、くどくどと言い続けた。竹根には、北野原が自分に期待をしていることが、言葉がなくてもわかった。

 翌日は、日曜日であった。約束の時間に北野原を迎えに行き、北野原が希望していた自然博物館に連れて行った。連れて行ったことは行ったが、むしろ北野原の方がよく知っている。聞くところによると北野原は、フルブライト留学生第一号の一人で、ニューヨークには、終戦後まもなく数ヶ月住んでいたというのである。それだけではなく、博物学にも通じていて、それが顕微鏡を製作することにつながり、福田商事の学校ルートで顕微鏡を販売している。顕微鏡開発の苦労、顕微鏡が日本を代表する輸出商品になるまでの業界の苦労、福田商事の販売ルートに乗せるまでの苦労、熱く熱く語る北野原を見て、自分にはこのように熱く語れるモノを一つでも持っているだろうかと思うと、自分の小人さを思い知らされた。
 ケントという社名は、北野原が学生の時に製図の授業で使った製図器のブランドだそうだ。それは福田商事の商品であることは、当然竹根は知っている。ケント製図器がなければ、今の会社も、今の社名もなかったとしんみりと語ってくれた。北野原の福田商事に対する思いを感じ取った。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業 4章 迷いの始まり 16 ブックエンドの次の商品は

2024-06-21 12:01:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業 4章 迷いの始まり 16 ブックエンドの次の商品は 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。

◆4章 迷いの始まり 16 ブックエンドの次の商品は

  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

 竹根は、ファイルフォルダーでの苦い経験を何とか払拭したいとかねてから考えていた。ファイリングキャビネットの販売である。地球儀の時に失敗した『体積の張る物は空気を運ぶようなものである』という教訓である。ファイリングキャビネットも空気を運ぶに等しい商品である。しかし、アメリカでノックダウン生産をすれば価格でも勝負できるのではないかと考え、本社に企画書を出した。返事待ちである。
 昨年の暮れに来たラッキーの幸常務の出張中に思いついたレタリングビジネスは、竹根自身もアメリカに赴任する前、中南米に多数のセットを輸出した実績があるから、プリントショップ向けに販売展開をすぐにできた。
 ある規模の売上をすぐに上げるためには、統計器はどうかと思いついた。統計器というのは、営業パーソンが、いくら売上を上げたか、グラフとして表示するための機器で、色の異なるテープが目盛りのついたボードにループになっていて、つまみを掴んで上下をさせることができる。ノブ状のものが付いていて、それを回転させる方法でグラフを上下する方式の機種もある。
 これを販売するには、その用途、使い方を理解させるだけではなく、管理としてそれを活用する方法など、ユーザーが知っておくべきことは多数ある。そこでユーザーごとに提案書を提示し、管理職にはそれを管理に活かす研修も提案した。いわゆる提案営業を竹根は独自の形で進めることにした。
 しかし、統計器は、文具屋の立場では手間のかかる販売であるために興味を示さない。事務機のルートに持って行ったら、事務機に比べて統計器の価格は何十分の一か、場合によると何百分の一にしかすぎず、こちらでも興味を示されなかった。竹根は、考えたあげく、自分が所属しているAMAに話を持ち込んだ。AMAとは、アメリカン・マーケティング・アソシエーションのことで、マーケティングの専門家が集まっている。その中には、コンサルタントも非常に多い。幸いAMAの役員は大変興味を示してくれ、AMAに出入りしている業者を紹介してくれた。その業者が、全米の総代理店として販売をしてくれることになった。
 竹根が、経営コンサルタントに接する初めての機会でもあり、経営コンサルタントという仕事に非常に興味を持った。
 ニューヨークに来て五ヶ月、竹根は自分の失敗をどのように活かすのか、粘り強さとその思考方法は、後に経営コンサルタントとして非常に役に立つことになる。
 ニューヨークに短い春が訪れると共に、竹根のビジネスにも多少暖かさが見えてきた。かほりとも仕事上のやりとりだけではあるが、手紙を書くことが多くなった。自宅に私信がまた舞い込んでくることを密かに願うが、残念ながらそちらは希望通りにはなっていない。たった一通、年賀状を加えると二通のかほりからの私信は、竹根の心に春の火をともし続けてくれた。

  <続く>

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【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業2 思いは叶うか 2-6 急ごしらえの出張準備が始まる

2023-12-29 08:06:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業2 思いは叶うか 2-6 急ごしらえの出張準備が始まる

 

■ 【小説風】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりです。

【最新号・バックナンバー】
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い

■■ 2 思いは叶うか

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆2-6 急ごしらえの出張準備が始まる
 竹根は、重点商品の工場訪問の日程を決めたが、相手があることで、それを調整しながら日程変更をして決めていくことにした。出張が多くなり、連絡をどのようにするのかを長池に相談したら、事業部長に掛け合ってくれ、アメリカに駐在してからも連絡係は相本が担当することになった。
 出張の合間には、それ以外の商品について、国内営業で同期の社員を中心に時間を取ってもらい、いろいろと教えてもらった。このときほど、仲間の必要性を痛感したのだ。竹根は事業部内でこの一年半、あまりにも仕事の効率ばかりを考え、事業部員とのコミュニケーションを取っていなかったことを反省した。
 それが如実に出たのは、渡米が近くなっても、部員から歓送会を開くという声を誰一人として上げる者がなかったことである。これではアメリカに行ってからの支援も得られないのではないかと心配になった。しかし、それを懸念した長池が、何人かの部員を動員して、出発の二日前にささやかな会を開いてくれた。長池の計らいであろう、相本も参加をした。
 下戸の竹根を相本が隣の席でかいがいしく料理を皿に取ったりしてサポートしてくれた。時々相本とふれあう肩がかゆいような、心地よさを、「これが幸せ感なのか」と思った。女性には疎い竹根には、今まで感じたことのない思いであった。下戸の竹根であるが、何とか雰囲気を壊さずに散会となった。このまま相本と別れたくなく感じる自分を第三者的に見ていた。しかし、相本は横浜方面、竹根は、中央線で立川の方向のため、東京駅で別れることになった。
 別れ際に、相本が竹根の前に立った。握手の手をさしのべてきたが、その手を掴んでよいのか、判断が付かない――そのままでは、彼女に恥をかかせることになる――と思い手を差し出した。柔らかい掌が竹根の掌と一つになった。その瞬間、自分の身体がフワッと浮いた。竹根はそう感じた。「身体が浮くようだ」という表現を小説で読んだことがあったが、本当にそう感じることがあるとは信じていなかった。それが、自分のこの身に、現実に起こったのだ。
 周囲の人から見ると、別れを惜しむ恋人同士に見えるかもしれない。
 十二月二日、家族とともに羽田に向かった。空港には、事業部を代表して長田係長が見送りに来てくれた。平日で業務があるので、来られるはずもないことはわかっているが、ひょっとしたら相本も来てくれるかと姿を求めた。やはり、いなかった。

  <続く>

■ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950

 

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