おじいちゃんの小さな疑問集(旧:おもりぽ)

「おじいちゃんがふと抱いた小さな疑問」を、載せさせていただきます。答えや共感や異論があればぜひコメントを!

こぉんなバイトがあったぞ!リポート.3

2007年05月04日 | Weblog
 GWなんですが、事件があちこちで起きているようです。見知らぬ男に突然刺されたり。銀行に押し入られて人質にさせられたり。日本でも米でも、銃で撃たれてしまう事件も頻発しているようですし…。

 うかうかしていられない、世の中になってきてますね。話は、今よりもっとのん気だった時代、1970年代、ぼくが高校生だったころのアルバイトの紹介です。

【お歳暮配達】
 ぼくは、坂が多くて雪深い、北国の港町に生まれ育ちました。受験を経て高校生になって後の冬であります。中学時代からの同級生Yに誘われて、短期のアルバイトをいたしました。今回はその紹介です。まずはその、概要から。

①職種
言わずと知れたこれもバイトの定番でしょうか、百貨店(デパート)のお歳暮配達であります。

②給料
1970年代の高校生で、日給4000円かそれに届かない程度?だったような気がします。

③メリット
学校の冬休みの年内のうちに、短期集中型で稼げる。

④デメリット
とにかく体力勝負。へとへとに疲労する肉体労働。

⑤やったきっかけ
中学から同級生の、地元の友人Y(以下同級生Y)に誘われた。どうも、友人に誘われるパターンが多いですね。

⑥総合判定
やる前は想像していなかったが、相当肉体労働の割には得られる金は安い。もっと効率良いやり方はないのか、疑問が残る。

⑦コメント
 中学時代からの同級生Yに、冬休みに2つのバイトをしないかと話を持ちかけられました。1つは、デパートのお歳暮配達で、もう1つは、正月のしめ飾りの出張販売です。お歳暮配達は、冬休みに入ってすぐからクリスマス明けまでの1週間程度。正月のしめ飾りは、年末の2日程度で、「どちらも短期で、荒稼ぎしちゃおうよん」と、同級生Yは大人びた口調で言ったのであります

 しめ飾りの方は彼いわく、「知りあいが卸的なことをしているのだが、販売についてはエリアによる縄張りのようなものがすでにあって、新規参入はヤバイらしい」。そこで彼が知人から勧められたのが、「どうせ毎年買うぼくらの知人に、飾り(とりつけ)もしちゃいますと言ってあらかじめ予約してもらい、そこだけを廻って飾りつけとともに売る方法で、副業的にやる。件数は少なくても仕入れ値が安いので結構稼げるらしいよ」という戦法でした。

 学校が冬休みになるとすぐ、まずは1週間のお歳暮配達であります。デパートに行くのかと思ったら、ぼくらの家のほど近くにあった、配送センターに出勤でした。そりゃそうですよね、田舎町とはいえ中心街にあるデパートの建物を配達の拠点にしては、不動産費が高くつきますから。9時ちょっと前にセンターに着くと、待ち構えていた風のセンターの長老的なおじさんに、「今日1日は、センターの中で仕分けをやってくれ」と告げられました。

 ベルトコンベアーから流れてくる、お歳暮ののしをつけられた商品を一旦おろし、配達先の住居表示を見て、××市△△の、△△の単位で、鉄枠の大きな籠が用意されているので、それに仕分けていくのです。最初のうち、どの住所の籠がどこにあるのか戸惑いましたが、慣れてしまうと後は、おそろしく単純な作業です。ひたすらに、お歳暮に貼られている伝票の住居表示の住所を見ながら仕分ける。仕分けが滞ると、おろした荷物が溜まってしまい、さぼるわけにもいかない。

 時間が経つのが、とーっても遅い。「こいつは、1日が長くてやってらんないな」と、ため息とともに作業を続けたのであります。唯一仕事上での変化といえば、お酒のお歳暮の瓶が割れてしまったことでしょうか。俗にいうジョニ黒だったと思います。長老的なおじさんが、「瓶に残った分は、帰りにみんなで飲もう」と嬉しそうに言いました。仕事の終了時にはこのおじさんから「明日からは配達に廻ってもらうから」と告げられ、ぼくと同級生Yは、ほっとして目を合わせました。1日中仕分けでは、単調過ぎてとてももたないと、愚痴り合っていたので。

 翌日センターにつくと長老的なおじさんから、ぼくとYはそれぞれに一緒に廻る人を紹介されました。ぼくが紹介されたのは、四角顔の、結構ぼくれより年齢が高そうに見える男性でした。「では早速行こうか」と促され、ぼくらはセンターの前に止めてあるライトバンに向かいます。ライトバンは、タイヤにチェーンが巻かれていて、型式的にはおそろしく古く、とてもボロイしろものです。

 配達する荷物はすでに、バン後部に積まれていました。四角顔さんは運転席、ぼくは助手席に乗り込みます。そう、お歳暮の配達といっても高校生で、運転免許があるわけではないので、当然ながら配達助手なわけですね。目的の家の近くに着くと、四角顔さんが荷台から荷物を出します。そしてぼくがそれを受けとって家まで届け、在宅ならば受け取りの伝票に印鑑かサインを、不在ならば荷物を車まで持って帰ってくるという役割分担です。

 配達地域に着く道々四角顔さんから、色々教えてもらいました。四角顔さんはこう見えて(ふけて見えた)、大学生であるとのこと。自分の車持ち込みの配達のバイトなんだそうで、四角顔さんの場合このバンは、このために残りの車検期間がわずかなこの車を、5万円で購入したんだそう。終わったら廃車処分にすると言っていました。そして彼のもらうバイト代は、ぼくらのもらう額の3倍以上でした。

 彼はセンターにぼくらより早く着いて、どんなルートで廻るか自分で計画します。そしてそれに沿って、自分のエリアとして仕分けられた荷物を、自分の車に順に積んでおくわけです。だから荷物を取りだすのも彼がやった方が早いわけです。「運転免許という資格を持ち、配達車購入というなにがしかの投資をし、廻るルートを計画する、といった知恵を使う。そうすると、収入は3倍以上になるんだな」と、高校生ながらそのことは、ぼくの心に刻み込まれました。ガソリン代や車購入費、事故った場合の費用といった、経費やリスクも負っているわけですがね…。

 配達エリアに着き、荷物を渡されるとぼくは、走って目的の家に向かいます。坂と路地が多い街ですし、雪深いこの時期は、家の前に車を付けられるケースはまれです。ほとんどの場合、広めの通りに車を止めて、30~70メートル先ぐらいの家や、その他目印になるものを指差され、「あのあたりのはずだから」との指示のもと、荷物を持ってぼくは走るのです。

 内勤の単調さから解き放たれたぼくは、雪の中を子犬のように全力で走り廻ります。センター内の仕分けにくらべ、圧倒的に変化のあるこの状況は嬉しい。「あいつのろまなんで、助手を代えて下さい」とか言われて、内勤に戻されては大変。そんな思いもあります。いまにして思うと、もしかしたら初日に仕分けをやらせるのは、よくできた配達助手育成マニュアルが存在していたのでは?と思うのですが…。

 というわけで、昼飯時間には死ぬほど腹が減って、入った定食屋で頼んだ大盛定職を、喉を鳴らしながらかき込んだ次第。幸いにして仕分けにもどされることなく、残り期間はこの四角顔さんの配達助手を続けることができました。ちなみに、このバイト期間中の夜は泥のように眠るのですが、明け方は体の痛みを感じながら眠っていました。バイト期間が終わって裸になって計ってみると、始まる前より体重は5kg減り、胸や太股を見ると、筋肉が浮き出るようになっていていて、驚いた記憶があります。

 助手を続けるなかで、覚えていることがいくつかあります。1つは、お歳暮にも種類があって、缶詰や瓶物は重くて、不在だと持って帰らねばならず、とてもがったりしたこと。それに比べ「干し椎茸の類」は軽くて良い。「ぼくがお歳暮を贈るようになる折には、配達のバイトのために絶対干し椎茸!」と心に誓ったこと。これ、守ってませんが…配達の人ゴメンナサイ。

 2つ目は、届け先で奥さんが出てきて贈り主の名前を確認し、「これは、受け取れませんっ!持って帰ってちょうだいっ!」ときつく言われたこと。お歳暮を受け取るわけで、配達人には「雪の中ご苦労様」とか言って皆優しく接します。しかし、「贈られる人の立場や、贈り主によっては、受け取れないなんてこともあるんだな。それにしてもぼくにキツク当らなくてもいいでしょうに」と思ったこと。

 3つ目は、左側が崖になっている坂道で、トラックとすれ違う際にバンが左に寄ったひょうしに、急に左側が沈み込み、運転手の四角顔さんがぼくの右ほぼ真上にきて、驚いた事件。道に積もった雪を崖側にはねていて、道が左にもう少し広いように見えたのですが、実はそこははねた雪の集積だったので、車の左が沈んじゃったんですね。ほぼ真上になった運転席側のドアから脱出。すれ違ったトラックが止まってくれて、そいつは牽引用のワイヤーも積んでいる車で、トラックに引っ張りあげてもらって車も脱出して、事なきをえました。

 それにしても、当時は雪道はスパイクタイヤが全盛でした。しかし、なんといってもチェーンの威力にはかないません。デパートの配送センターに止めてある車はみなチェーンで、相当な坂道でもばりばり登っていたのも印象にあります。

 そんなこんなで配達助手のバイトを、毎日全力で走り回りながら終えたわけです。その後同級生Yと、年末の2日間で、知りあい10件ほどにお願いして予約を取っておいた正月のしめ飾りを、取りつけて歩きました。誰に指示されることもなくYとぼくは、気ままにルンルン気分で、知りあいの家を巡り、取りつけて代金を頂戴し、茶菓子などを御馳走になって楽しく過ごしました。そのうえ、この2日間で稼いだ金額は、配達助手のバイト7日間で稼いだ額より多かった。「つらさやガンバリに比例した報酬が、得られるのが世の常ではない」そんなことをここで学んだような気もします…。
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 次回は、「リポート4.業界新聞の配布」。大学時代に、先輩に頼まれて数時間やった、とてもニッチな業界新聞配布のバイトを紹介します。いまでもその全容が解らない、不思議な記憶であります。

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