東博の画像検索の「赤膚焼」2点目。
「色絵因果経図茶碗」東京国立博物館蔵。残念ながら写真が1枚のみである。この文様を昭和の初めころには因果経図といっていた。もちろん因果経は「過去現在因果経」に由来し、絵因果経を描いたという。この茶碗には作者印は無いが、奥田木白作でこの手の文様のあるものを「奈良絵茶碗」と読んでいる。東博の展示室に並んでいたことがあるが、小ぶりの茶碗である。
列品番号: | G-116 |
作者: | 赤膚焼 |
時代: | 江戸時代_19c |
形状: | 高8.3_口径11.2_底径4.8 |
「過去現在因果経
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
仏伝の一種。南朝宋(そう)(420~478)の求那跋陀羅(ぐなばっだら)訳。4巻。題名の意味は、仏(釈迦(しゃか))の過去世の事蹟(じせき)と、現在世の事蹟(成道(じょうどう)、転法輪(てんぼうりん)など)との間に因果関係のあることを教えるもので、これは譬喩(ひゆ)文学(アバダーナ)の一般的形式である。本経は、舎衛国(しゃえいこく)の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)において、仏が自ら過去世に善慧(ぜんえ)仙人として普光如来(ふこうにょらい)に散華(さんげ)供養して成仏の予言を受けたことを語り、ついで、入胎、出胎、出家、降魔(ごうま)、成道、転法輪、五比丘(びく)をはじめとする弟子衆の教化によって1250人の阿羅漢(あらかん)のできたことなどを説き、最後に善慧仙人以下、過去世の登場人物と現在世の諸人物との対応、同一性を明かして終わる。『開元録(かいげんろく)』によれば、本経の漢訳は6種あり、そのうち『修行本起経(しゅぎょうほんぎきょう)』『太子瑞応本起経(たいしずいおうほんぎきょう)』が現存する異訳であるというが、かならずしも同一内容とはいえない。本経は後世、絵因果経として仏伝の画を付して広く流布された。[高崎直道][参照項目] | 絵因果経」
「絵因果経
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
釈迦(しゃか)の本生譚(ほんしょうたん)(釈迦の前世における物語)と仏伝(釈迦のこの世に生まれてからの一代記)を説いた『過去現在因果経』に絵を加え、経文の絵解きをしたもの。経巻の料紙を上下2段に分けて、下段に8字詰めの経文を書写し、上段にこれに対応する絵を描いている。『過去現在因果経』は本来四巻本であるが、『絵因果経』はその各巻を上下2巻に分け、八巻本として世に行われていたと思われる。現存する主要なものとしては、奈良時代(8世紀)制作のものに上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)本(第2巻上)、報恩院本(第3巻上)、MOA美術館本(第4巻上)、東京芸大本(第4巻下)などがある。このうち報恩院本は軸に近く「□月七日写経生従(じゅ)八位」の墨書があるので、当時の写経司の制作と推定、天平(てんぴょう)(729~749)ごろの作であることがわかる。以上の作品は書風、画風に多少の違いはあるが、いずれも経文は当時の写経体、絵は中国六朝(りくちょう)風の古体で書かれている。楼閣、山、樹木など型で押したように類型的に描かれ、墨がきの輪郭による簡略な象形に、丹(たん)、朱、緑、青、黄、白などの原色を施し、描写はすこぶる素朴である。また連続式構図で描かれ、樹木、岩石、土坡(どは)などで前後の場面の段落をつけている。また鎌倉時代(13世紀)制作のものに根津美術館本(第2巻下)、大東急記念文庫本(第3巻下)などが現存し、ともに1254年(建長6)に慶忍(または慶恩)とその子聖衆丸(しょうじゅまる)が描いたことが奥書で知られる。画風は色彩も淡泊、描線も軽妙で、奈良時代のものとは大いに趣(おもむき)を異にする。なお両者を区別して、奈良時代のものを「古因果経」、鎌倉時代のものを「新因果経」とよんでいる。[村重 寧]
『『新修日本絵巻物全集1 絵因果経』(1977・角川書店)』
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